番外編 搭乗ゲート
文字数 5,807文字
(番外編で剛と志のぶのなれ初めをw 実はこれも私自身が出したお題作品なんですが、この月のお題は口紅を塗る女性のイラストでした、挿絵が使えないのが残念です。)
⇒(挿絵が使えるようになりましたね、志のぶのイメージはこのイラストから取っています)
『搭乗ゲート』
「よう、おねぇちゃんよ、坊ちゃんがあんたに用があると仰ってんだ」
「手を離してください!」
「大人しく坊ちゃんの隣に座って、お酌して差し上げればそれでいいんだ」
「ここはそういうお店じゃありません!」
「そう硬いこと言うもんじゃねぇよ」
「お断りします!」
「ああ? お前ぇ、誰に盾ついてんのかわかってんのか?」
『坊ちゃん』と呼ばれた男は昔で言う庄屋の血筋、今でもこの辺りの農家には絶大な影響力を持つ実力者の息子。
父親の権力を自分の力と勘違いし、ゴロツキを取り巻きにして我が物顔でのし歩いていている嫌われ者だ、今日も二人のゴロツキを従えている。
女ったらしでも名を馳せているから『お酌だけ』ですまない事は、この辺りの住民なら誰でも知っていることだ。
「いいから、こっちに来いってんだ」
「やめてください!」
絡まれた女性は志のぶ・二十一歳、この辺りの農家の出で、高校を卒業後祖母の畑仕事を手伝う一方、週末となれば街道筋にある『昔ながらの』と言った風情のドライブインでウエイトレスとして働いている。
農家と言っても父親は地元企業で働くサラリーマン、三人姉妹の末っ子で、上の姉は既に嫁ぎ下の姉は大学に通っている、志のぶも学校の成績は悪くなかったのだが大のお祖母ちゃんっ子で、代々続いている畑を今でも守る祖母を手伝うことを選んだのだ。
「ぎゃっ」
下品な悲鳴を上げたのはゴロツキのほう、志のぶは祖母から教えられた護身術を身につけている、掴まれた腕を振りほどき、さかさまに相手の腕をねじ上げたのだ。
「このアマ!」
ゴロツキたちが気色ばむ、いくら護身術を心得ているといっても相手は大の男三人、女一人ではいかんとも……。
その時……。
「さっきから黙って聞いてりゃ、あんたらオイタが過ぎやしねぇか?」
立ち上がったのは隅のテーブルで食事をしていた男、どうやらトラックの運転手らしいが、がっちりとした大男だ。
「関係ねぇ奴はすっこんでろ」
「そうも行かないな、俺が引き下がったらそのお嬢さんのピンチのような気がするんでね」
「野郎!」
ゴロツキの一人が拳を振りかざして殴りかかる、しかし大男は眉ひとつ動かさず素早く前蹴りを繰り出した。
「ぐへぇぇぇぇぇ」
大男の蹴りを腹に食らったゴロツキはその場で膝をつき、腹を抱えてのた打ち回る。
「痛ぇ、痛ぇよぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「おい、あれを……」
『坊ちゃん』は床を転げまわるゴロツキを一瞥すると、助けるでも声をかけるでもなくもう一人のゴロツキになにやら指示を出し、ゴロツキは店の外へと飛び出して行った。
「偉そうにするだけあって、ちっとはやるようじゃないか、だがな、この俺を怒らせると為にならねぇぜ」
「坊ちゃん、どうぞ」
戻ってきたゴロツキが差し出したのは日本刀、『坊ちゃん』はそれを抜くと鞘をゴロツキに投げ渡す。
「言って置くが、ちゃんと刃がついた本物だぜ、無銘だが切れ味は本物よ」
『坊ちゃん』はそれをドスっとテーブルに突き立てて見せる。
確かにメラミン合板のテーブルに刺さる本物だが、大男はそれを見てせせら笑った。
「何がおかしい? 腕の一本も切り落としてやろうか?」
「ああ、そいつは無理だね、もし俺が切れ味を見せたいなら椅子の背でも切り落として見せるところだ、お前さんにはその腕はないんだろう?」
「ははは、ばれたか、確かに我流だよ、腕を切り落とすのは無理かも知れねぇ、でもな、骨まで見える傷を作ることは出来るぜ、腹に突き刺して血反吐を吐かせることもな」
「そいつは、俺にそいつを当てられたらってことだろう?」
「ふん、余裕こいていられるのも今のうちだけだ」
『坊ちゃん』が不敵な笑みを浮かべると同時に、ゴロツキが後ろから大男に飛びかかる、いつの間にか後ろに回っていたのだ。
「そんなことだろうと思ってたぜ」
大男がそう言った時には、ゴロツキは背負い投げを食ってモルタルの床に叩きつけられていた。
「ぎゃっ、腰が、腰が折れたぁぁぁぁ」
「大げさな奴だな、そんなに強く投げちゃいないぜ、まあ、しばらくはしびれて立てないだろうがな」
「手前ぇ、空手か柔道の心得が?」
『坊ちゃん』の顔つきが変わった、3対1なら強気だが、1対1で、相手が武道の心得があると知ると、急に怖気づいたらしい。
「いや、お前さんの剣術と同じで我流だよ、まあ、小せぇ時分から喧嘩に明け暮れてたからな、言うなれば実戦流ってとこかな?」
「こ、こっちには刃物があるんだぜ」
「だから言っただろう? 当てられなきゃ意味はねぇって、どうすんだい? その娘さんに頭を下げて、金輪際手出ししねぇって謝るんなら見逃してやってもいいぜ」
「ふざけるんじゃねぇ、そんなみっともねぇ真似ができるか!」
「自分の非を認める度量もなくて、無駄に虚勢を張るほうがみっともねぇと思うがね、まあ、そう言うんなら相手になるが」
「野郎っ!」
「無駄だ無駄だ、腰が引けたまま無闇に刀を振り回したって当るもんじゃねぇよ」
「ぎゃっ!」
短い悲鳴と共に『坊ちゃん』が刀を取り落とした。
盲滅法切りかかってくるところを、大男は冷静にかわして右手で右手首を掴み、左腕で二の腕を抱えて肘を極めたのだ。
「腕が、腕が折れたぁぁぁぁ」
「お前も大げさだな、靭帯くらいは伸びてるだろうが、折っちゃいねぇよ」
肘を抱えてうずくまる『坊ちゃん』を尻目に、大男は元の席に座ると言った。
「すまないが水を一杯もらえるかな、ちょっと暴れて喉が渇いた、麦茶ならなお嬉しいんだが……」
「あ、はいっ、ただいま」
あっけにとられていた志のぶだったが、我に返って麦茶を注ぎ、大男のテーブルへ。
「ありがとうございましたっ!」
志のぶは麦茶を置くと、深々と頭を下げた。
「あんた、肝が据わってるなぁ」
「え?」
「普通、こんな騒ぎの後だと手が震えてるもんだ、さっきの合気道みたいなのも見事だったぜ」
「え? あ、そんな……」
「若いのに大した……危ねぇっ!」
志のぶは大男に不意に肩を突かれて横転した。
ガキィン!
日本刀が床に打ち付けられた音……『坊ちゃん』が立ち上がり、左手一本で日本刀を振り下ろしたのだ。
もし突き飛ばされていなければ今頃背中から……。
大男の血相が変わった。
「手前ぇっ! 狙うなら俺だろうが! 娘さんを狙うたぁどういう了見だ!」
「そ、そいつのせいで……そいつが大人しく俺に従っていれば……」
「全く……救い様がねぇな、手前ぇみたいな奴が一番嫌ぇだ!」
「うるせぇ!」
『坊ちゃん』は左手で日本刀を振りかぶるが、それを振り下ろすより早く大男の拳が空気を切り裂いた。
左フック一発、それを顎に受けた『坊ちゃん』はその場に崩れ落ちた。
「ちぇっ、またやっちまったか……娘さん、警察と救急車を呼んでもらえないか?」
「警察?……それより逃げてください!」
志のぶが叫ぶが、大男は椅子にどっかりと腰を下ろした。
「そうも行かねぇんだよ、肘くらいなら俺もずらかるけど、今のパンチでそいつの首はいかれちまったはずだ、ひょっとすると障害が残るかも知れねぇ」
「でも、元はといえば……そう、正当防衛、正当防衛ですよ! 刀を振り回してたんですから!」
「いや、肘までなら正当防衛だけどよ、首までやっちまうと過剰防衛だな」
「そんな……」
「俺はこんなことを何度もやっちまってるんだ、その度に刑務所さ、前科者にゃ情状酌量もねぇしな」
「あなたは一体……」
「俺かい? 俺は流れ者よ……なんてな、そんな格好いいもんじゃねぇ、ガキの頃から喧嘩早くって、何度も警察のお世話になってる乱暴者さ、今度もやっとのことでトラックの仕事を見つけたんだが、それもこれでアウトだな、刑務所から出たらまた職探しさ、つくづくバカだと思うぜ」
「でも……あ、あたし、証言します、だって悪いのは……」
「ありがとう……でもな、仕方ないんだ、やっちまったことには責任を取らなきゃな」
その時、パトカーのサイレンが遠くから聞こえてきた……。
O(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆
『坊ちゃん』の怪我は、大男が言ったとおり頚椎損傷、おそらくは一生車椅子から立ち上がれないだろうということだった。
怒り狂った『庄屋』はゴロツキを使って目撃者にも圧力をかけた。
その結果、証言をしたのは志のぶ一人、店の者はすっかり口をつぐんでしまった。
テーブルや床に付いた傷という証拠はあったものの、庄屋に裏金をつかまされた国選弁護士は熱心には働かず、過剰防衛ということで裁判は結審した。
裁判の期間中、志のぶは毎日のように面会に行って大男と話した。
彼の名は納谷剛、三十一歳、まだ高校生だった頃、袋叩きに会っていたホームレスを庇って最初の傷害事件を起こし、これまでに五回、都合十年の刑を言い渡されていた。
もっとも、刑務所の中では常に模範囚だったので、実際の服役は六年ほどだったが。
そして、当然のことながらその都度職を転々としていて、志のぶの件の数ヶ月前にやっとトラックの仕事を見つけたばかりだった。
強すぎる正義感と並外れた腕力、そして天性の格闘センス、それが彼の前科を積み上げしまっていたのだ。
面会を重ねるうちに、志のぶは剛に強く惹かれて行った。
確かに彼には前科がいくつもあるかもしれないが、悪い人なんかでは決してない、理不尽な暴力を許さない正義感、虐げられる弱者への優しさ、それが罪になるなら法律のほうが間違っている……。
「今度、刑務所から出たら、あたしを妻にして下さい!」
刑が確定し、刑務所に送られるという前日、志のぶは剛の目をまっすぐに見つめてそう言った。
剛はしばらく真顔で志のぶを見つめていたが、ふっと笑い、こう言った。
「バカ言ってるんじゃないよ、俺は世の中のはみ出しモンだ、あんた、美人だし肝も据わってる、頭も良いし優しい娘だ、ふさわしい男を見つけて幸せになりな」
そして、しばらくの沈黙の後、志のぶが一筋こぼした涙を見て、こうも言った。
「ありがとう……俺も涙が出そうだよ、へっ、俺らしくもないな……でも、本当に俺のことなんか忘れちまいな、俺はそう言ってもらえただけで充分だよ……じゃあな、毎日のように面会に来てくれてありがとうよ、いつも待ち遠しかったぜ、それじゃ……元気でな……」
そう言うなり背を向けて行ってしまった……。
O(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆
「何をバカなことを言っているんだ、前科六犯の男だぞ、いかに恩人だと言っても結婚など許せるはずがないだろう!」
「そうですよ、あなたはまだ二十二、若気の至りで苦労させたくないわ」
それから一年余り、面会に通う内に二人と懇意となった警官から、剛が直に仮出所するという情報を貰った。
この一年、じっくりと考えても志のぶの気持ちは変わらない。
彼には側にいる人が必要だ、そしてそれが自分ならば……。
東京に行って、彼の側にいたい、彼さえ良ければ結婚もしたい、と両親に打ち明けた時、猛反対された……もっともと言えばもっともなのだが、本当の彼を知っていれば、彼を理解できれば何の不思議もないとは思うのだが……。
唯一志のぶの気持ちを理解してくれたのは、大好きな祖母だった。
「父さんと母さんを恨んじゃいけないよ、お前のためを思って反対しているんだからね、でもね、お前の人生はお前のものだよ、お前は浮ついた気持ちでよく考えもしないで行動する娘じゃない、それはあたしが良く知っているよ、お前が一年考えて考えて、それでも彼の元へ行きたいと願うのなら、その通りにおし……父さんと母さんにはあたしが上手く話しておいてあげるからね」
そう言って背中を押してくれて、『すぐに仕事が見つかることもないだろうから』と当面の生活費も包んでくれた。
「ありがとう、お祖母ちゃん、あたし、やっぱり東京へ行く、彼の元へ」
「そうかい、よっぽど好きなんだね、そんな一途な恋って誰もが出来るものじゃないよ、お前はそれを見つけられたんだから幸せ者だよ……ま、あたしも見つけたけどね、テヘッ」
そう言ってペロリと舌を出し、ウインクをひとつ……。
O(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆
志のぶは口紅を塗り直している。
買ったばかりの落ち着いた紅色。
それは昨日までの世間知らずな自分に決別する儀式。
今日からは自分の行動に責任を持てる大人の女へと変わらなければ……。
小さな地方空港の出発ロビー。
羽田への便はこの一本だけ。
足元にはボストンバッグがひとつ。
昨日までのピンクの口紅は捨ててしまおう。
昨日までの自分に未練はないのだから。
かけおち?
ううん、違う、押しかけ女房。
彼がそれを受け入れてくれるかどうかはわからない。
でも、簡単に引き下がるつもりもない。
彼との暮らし……もし、彼が首を縦に振ってくれたらだが……それが楽なものではないことはわかっている。
彼は、明日刑務所から出てくるのだから。
でも、自分の気持ちが揺らぐ事はない、それだけは確かなこと。
搭乗開始のアナウンスが響いた。
志のぶはボストンバッグひとつを手にして搭乗ゲートをくぐる。
そこは昨日までの自分にサヨナラする境界線。
もう引き返すことは出来ないし、引き返すつもりもない。
彼と共に行きて行こうと、強く心に決めたのだから……。
⇒(挿絵が使えるようになりましたね、志のぶのイメージはこのイラストから取っています)
『搭乗ゲート』
「よう、おねぇちゃんよ、坊ちゃんがあんたに用があると仰ってんだ」
「手を離してください!」
「大人しく坊ちゃんの隣に座って、お酌して差し上げればそれでいいんだ」
「ここはそういうお店じゃありません!」
「そう硬いこと言うもんじゃねぇよ」
「お断りします!」
「ああ? お前ぇ、誰に盾ついてんのかわかってんのか?」
『坊ちゃん』と呼ばれた男は昔で言う庄屋の血筋、今でもこの辺りの農家には絶大な影響力を持つ実力者の息子。
父親の権力を自分の力と勘違いし、ゴロツキを取り巻きにして我が物顔でのし歩いていている嫌われ者だ、今日も二人のゴロツキを従えている。
女ったらしでも名を馳せているから『お酌だけ』ですまない事は、この辺りの住民なら誰でも知っていることだ。
「いいから、こっちに来いってんだ」
「やめてください!」
絡まれた女性は志のぶ・二十一歳、この辺りの農家の出で、高校を卒業後祖母の畑仕事を手伝う一方、週末となれば街道筋にある『昔ながらの』と言った風情のドライブインでウエイトレスとして働いている。
農家と言っても父親は地元企業で働くサラリーマン、三人姉妹の末っ子で、上の姉は既に嫁ぎ下の姉は大学に通っている、志のぶも学校の成績は悪くなかったのだが大のお祖母ちゃんっ子で、代々続いている畑を今でも守る祖母を手伝うことを選んだのだ。
「ぎゃっ」
下品な悲鳴を上げたのはゴロツキのほう、志のぶは祖母から教えられた護身術を身につけている、掴まれた腕を振りほどき、さかさまに相手の腕をねじ上げたのだ。
「このアマ!」
ゴロツキたちが気色ばむ、いくら護身術を心得ているといっても相手は大の男三人、女一人ではいかんとも……。
その時……。
「さっきから黙って聞いてりゃ、あんたらオイタが過ぎやしねぇか?」
立ち上がったのは隅のテーブルで食事をしていた男、どうやらトラックの運転手らしいが、がっちりとした大男だ。
「関係ねぇ奴はすっこんでろ」
「そうも行かないな、俺が引き下がったらそのお嬢さんのピンチのような気がするんでね」
「野郎!」
ゴロツキの一人が拳を振りかざして殴りかかる、しかし大男は眉ひとつ動かさず素早く前蹴りを繰り出した。
「ぐへぇぇぇぇぇ」
大男の蹴りを腹に食らったゴロツキはその場で膝をつき、腹を抱えてのた打ち回る。
「痛ぇ、痛ぇよぉぉぉぉぉぉぉぉ」
「おい、あれを……」
『坊ちゃん』は床を転げまわるゴロツキを一瞥すると、助けるでも声をかけるでもなくもう一人のゴロツキになにやら指示を出し、ゴロツキは店の外へと飛び出して行った。
「偉そうにするだけあって、ちっとはやるようじゃないか、だがな、この俺を怒らせると為にならねぇぜ」
「坊ちゃん、どうぞ」
戻ってきたゴロツキが差し出したのは日本刀、『坊ちゃん』はそれを抜くと鞘をゴロツキに投げ渡す。
「言って置くが、ちゃんと刃がついた本物だぜ、無銘だが切れ味は本物よ」
『坊ちゃん』はそれをドスっとテーブルに突き立てて見せる。
確かにメラミン合板のテーブルに刺さる本物だが、大男はそれを見てせせら笑った。
「何がおかしい? 腕の一本も切り落としてやろうか?」
「ああ、そいつは無理だね、もし俺が切れ味を見せたいなら椅子の背でも切り落として見せるところだ、お前さんにはその腕はないんだろう?」
「ははは、ばれたか、確かに我流だよ、腕を切り落とすのは無理かも知れねぇ、でもな、骨まで見える傷を作ることは出来るぜ、腹に突き刺して血反吐を吐かせることもな」
「そいつは、俺にそいつを当てられたらってことだろう?」
「ふん、余裕こいていられるのも今のうちだけだ」
『坊ちゃん』が不敵な笑みを浮かべると同時に、ゴロツキが後ろから大男に飛びかかる、いつの間にか後ろに回っていたのだ。
「そんなことだろうと思ってたぜ」
大男がそう言った時には、ゴロツキは背負い投げを食ってモルタルの床に叩きつけられていた。
「ぎゃっ、腰が、腰が折れたぁぁぁぁ」
「大げさな奴だな、そんなに強く投げちゃいないぜ、まあ、しばらくはしびれて立てないだろうがな」
「手前ぇ、空手か柔道の心得が?」
『坊ちゃん』の顔つきが変わった、3対1なら強気だが、1対1で、相手が武道の心得があると知ると、急に怖気づいたらしい。
「いや、お前さんの剣術と同じで我流だよ、まあ、小せぇ時分から喧嘩に明け暮れてたからな、言うなれば実戦流ってとこかな?」
「こ、こっちには刃物があるんだぜ」
「だから言っただろう? 当てられなきゃ意味はねぇって、どうすんだい? その娘さんに頭を下げて、金輪際手出ししねぇって謝るんなら見逃してやってもいいぜ」
「ふざけるんじゃねぇ、そんなみっともねぇ真似ができるか!」
「自分の非を認める度量もなくて、無駄に虚勢を張るほうがみっともねぇと思うがね、まあ、そう言うんなら相手になるが」
「野郎っ!」
「無駄だ無駄だ、腰が引けたまま無闇に刀を振り回したって当るもんじゃねぇよ」
「ぎゃっ!」
短い悲鳴と共に『坊ちゃん』が刀を取り落とした。
盲滅法切りかかってくるところを、大男は冷静にかわして右手で右手首を掴み、左腕で二の腕を抱えて肘を極めたのだ。
「腕が、腕が折れたぁぁぁぁ」
「お前も大げさだな、靭帯くらいは伸びてるだろうが、折っちゃいねぇよ」
肘を抱えてうずくまる『坊ちゃん』を尻目に、大男は元の席に座ると言った。
「すまないが水を一杯もらえるかな、ちょっと暴れて喉が渇いた、麦茶ならなお嬉しいんだが……」
「あ、はいっ、ただいま」
あっけにとられていた志のぶだったが、我に返って麦茶を注ぎ、大男のテーブルへ。
「ありがとうございましたっ!」
志のぶは麦茶を置くと、深々と頭を下げた。
「あんた、肝が据わってるなぁ」
「え?」
「普通、こんな騒ぎの後だと手が震えてるもんだ、さっきの合気道みたいなのも見事だったぜ」
「え? あ、そんな……」
「若いのに大した……危ねぇっ!」
志のぶは大男に不意に肩を突かれて横転した。
ガキィン!
日本刀が床に打ち付けられた音……『坊ちゃん』が立ち上がり、左手一本で日本刀を振り下ろしたのだ。
もし突き飛ばされていなければ今頃背中から……。
大男の血相が変わった。
「手前ぇっ! 狙うなら俺だろうが! 娘さんを狙うたぁどういう了見だ!」
「そ、そいつのせいで……そいつが大人しく俺に従っていれば……」
「全く……救い様がねぇな、手前ぇみたいな奴が一番嫌ぇだ!」
「うるせぇ!」
『坊ちゃん』は左手で日本刀を振りかぶるが、それを振り下ろすより早く大男の拳が空気を切り裂いた。
左フック一発、それを顎に受けた『坊ちゃん』はその場に崩れ落ちた。
「ちぇっ、またやっちまったか……娘さん、警察と救急車を呼んでもらえないか?」
「警察?……それより逃げてください!」
志のぶが叫ぶが、大男は椅子にどっかりと腰を下ろした。
「そうも行かねぇんだよ、肘くらいなら俺もずらかるけど、今のパンチでそいつの首はいかれちまったはずだ、ひょっとすると障害が残るかも知れねぇ」
「でも、元はといえば……そう、正当防衛、正当防衛ですよ! 刀を振り回してたんですから!」
「いや、肘までなら正当防衛だけどよ、首までやっちまうと過剰防衛だな」
「そんな……」
「俺はこんなことを何度もやっちまってるんだ、その度に刑務所さ、前科者にゃ情状酌量もねぇしな」
「あなたは一体……」
「俺かい? 俺は流れ者よ……なんてな、そんな格好いいもんじゃねぇ、ガキの頃から喧嘩早くって、何度も警察のお世話になってる乱暴者さ、今度もやっとのことでトラックの仕事を見つけたんだが、それもこれでアウトだな、刑務所から出たらまた職探しさ、つくづくバカだと思うぜ」
「でも……あ、あたし、証言します、だって悪いのは……」
「ありがとう……でもな、仕方ないんだ、やっちまったことには責任を取らなきゃな」
その時、パトカーのサイレンが遠くから聞こえてきた……。
O(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆
『坊ちゃん』の怪我は、大男が言ったとおり頚椎損傷、おそらくは一生車椅子から立ち上がれないだろうということだった。
怒り狂った『庄屋』はゴロツキを使って目撃者にも圧力をかけた。
その結果、証言をしたのは志のぶ一人、店の者はすっかり口をつぐんでしまった。
テーブルや床に付いた傷という証拠はあったものの、庄屋に裏金をつかまされた国選弁護士は熱心には働かず、過剰防衛ということで裁判は結審した。
裁判の期間中、志のぶは毎日のように面会に行って大男と話した。
彼の名は納谷剛、三十一歳、まだ高校生だった頃、袋叩きに会っていたホームレスを庇って最初の傷害事件を起こし、これまでに五回、都合十年の刑を言い渡されていた。
もっとも、刑務所の中では常に模範囚だったので、実際の服役は六年ほどだったが。
そして、当然のことながらその都度職を転々としていて、志のぶの件の数ヶ月前にやっとトラックの仕事を見つけたばかりだった。
強すぎる正義感と並外れた腕力、そして天性の格闘センス、それが彼の前科を積み上げしまっていたのだ。
面会を重ねるうちに、志のぶは剛に強く惹かれて行った。
確かに彼には前科がいくつもあるかもしれないが、悪い人なんかでは決してない、理不尽な暴力を許さない正義感、虐げられる弱者への優しさ、それが罪になるなら法律のほうが間違っている……。
「今度、刑務所から出たら、あたしを妻にして下さい!」
刑が確定し、刑務所に送られるという前日、志のぶは剛の目をまっすぐに見つめてそう言った。
剛はしばらく真顔で志のぶを見つめていたが、ふっと笑い、こう言った。
「バカ言ってるんじゃないよ、俺は世の中のはみ出しモンだ、あんた、美人だし肝も据わってる、頭も良いし優しい娘だ、ふさわしい男を見つけて幸せになりな」
そして、しばらくの沈黙の後、志のぶが一筋こぼした涙を見て、こうも言った。
「ありがとう……俺も涙が出そうだよ、へっ、俺らしくもないな……でも、本当に俺のことなんか忘れちまいな、俺はそう言ってもらえただけで充分だよ……じゃあな、毎日のように面会に来てくれてありがとうよ、いつも待ち遠しかったぜ、それじゃ……元気でな……」
そう言うなり背を向けて行ってしまった……。
O(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆
「何をバカなことを言っているんだ、前科六犯の男だぞ、いかに恩人だと言っても結婚など許せるはずがないだろう!」
「そうですよ、あなたはまだ二十二、若気の至りで苦労させたくないわ」
それから一年余り、面会に通う内に二人と懇意となった警官から、剛が直に仮出所するという情報を貰った。
この一年、じっくりと考えても志のぶの気持ちは変わらない。
彼には側にいる人が必要だ、そしてそれが自分ならば……。
東京に行って、彼の側にいたい、彼さえ良ければ結婚もしたい、と両親に打ち明けた時、猛反対された……もっともと言えばもっともなのだが、本当の彼を知っていれば、彼を理解できれば何の不思議もないとは思うのだが……。
唯一志のぶの気持ちを理解してくれたのは、大好きな祖母だった。
「父さんと母さんを恨んじゃいけないよ、お前のためを思って反対しているんだからね、でもね、お前の人生はお前のものだよ、お前は浮ついた気持ちでよく考えもしないで行動する娘じゃない、それはあたしが良く知っているよ、お前が一年考えて考えて、それでも彼の元へ行きたいと願うのなら、その通りにおし……父さんと母さんにはあたしが上手く話しておいてあげるからね」
そう言って背中を押してくれて、『すぐに仕事が見つかることもないだろうから』と当面の生活費も包んでくれた。
「ありがとう、お祖母ちゃん、あたし、やっぱり東京へ行く、彼の元へ」
「そうかい、よっぽど好きなんだね、そんな一途な恋って誰もが出来るものじゃないよ、お前はそれを見つけられたんだから幸せ者だよ……ま、あたしも見つけたけどね、テヘッ」
そう言ってペロリと舌を出し、ウインクをひとつ……。
O(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆ o(・_・)○☆
志のぶは口紅を塗り直している。
買ったばかりの落ち着いた紅色。
それは昨日までの世間知らずな自分に決別する儀式。
今日からは自分の行動に責任を持てる大人の女へと変わらなければ……。
小さな地方空港の出発ロビー。
羽田への便はこの一本だけ。
足元にはボストンバッグがひとつ。
昨日までのピンクの口紅は捨ててしまおう。
昨日までの自分に未練はないのだから。
かけおち?
ううん、違う、押しかけ女房。
彼がそれを受け入れてくれるかどうかはわからない。
でも、簡単に引き下がるつもりもない。
彼との暮らし……もし、彼が首を縦に振ってくれたらだが……それが楽なものではないことはわかっている。
彼は、明日刑務所から出てくるのだから。
でも、自分の気持ちが揺らぐ事はない、それだけは確かなこと。
搭乗開始のアナウンスが響いた。
志のぶはボストンバッグひとつを手にして搭乗ゲートをくぐる。
そこは昨日までの自分にサヨナラする境界線。
もう引き返すことは出来ないし、引き返すつもりもない。
彼と共に行きて行こうと、強く心に決めたのだから……。