別に知ったこっちゃないってしても良かったんだが

文字数 2,631文字

 ……お悔やみ申し上げます
 消え入るような声で、私は見ず知らずの女性にそう言った。別に声が出せないほど悲しかったわけじゃあない。こうするのが礼儀だと聞いていたから、形式としてその様にしただけだ。他にも香典は薄墨で書かなくてはならないとか、実は遺族以外は喪服でなくともいいとか色々調べた。インターネット知識で申し訳ないが、生前それほど深く付き合いがあったわけでもない相手という事もあってそれほど熱心に調べる気にはならなかった。
 それで怒るようなら、それは私のような人間を呼んだ相手側に問題があると逆に文句を言わなくてはならない。ただまあ、それほどおかしな風にはなっていないだろうと判断する。周りと比べて、自分が著しく変わっているように思えなかった。
 溺れてしまうかと思うほどの参列者の中は、どうにも居心地が悪かった。なにせ私はちっとも悲しくないのだ。終始泣き続けている女の人や、手が真っ赤を通り越して白くなるまで握り込んでいる男性なんかの中に、私なんかが混ざっていていいのだろうか。当然、全員が熱心というわけではないようだが、自らの異質感はどうしても無視できなかった。悼みも悔みもなく、私はただそこに座っている。誰一人として知り合いなどおらず、ほんの少し咳を吐いてしまう程度で空気が破壊されるような空間だ。私が最も苦手とする、最も縁遠い空間だった。
 なんなら、今棺桶に入っている仏すらほとんど交流はない。
 私は、懐に入れられた二通の封筒に手を触れる。一通は仏から送られた物だ。私と彼の繋がりは、この一通が唯一であるとすら言える。
 彼が亡くなってから時に受け取った手紙。彼から受け取った唯一の手紙。彼と私の、ほぼ唯一の繋がりだ。



 名前も知らない隣の病室の方へ
 突然こんなお手紙を出して、あなたはきっと驚いた事でしょう。私はあなたの事を何も知らないのでどうやってこの手紙を出したものか悩みますが、ともかく届けられたという前提で綴らせていただきます。もしかしたら、あなたは私の事など覚えていないかもしれないので、私が誰なのかから話さなくてはならないでしょう。
 あなたが私の部屋に突然入ってきたのは、私が入院して三年目の春頃でした。入院患者だというのにひどく酔っ払っていたあなたは、自分の部屋と間違えたのでした。私が手紙を書いている様子を見て、あなたは何かを問いかけました。多分それは何かと聞いたと思うのですが、手紙を書く事に集中していた私はよく聞いていませんでいた。その後、私はあなたの非礼に腹を立て、酔っているあなたはよく分からない言葉をまくし立てたのちに部屋を出て行きました。
 それを最後に、私とあなたはもう顔を合わせませんでした。
 たったそれだけかと驚かれるでしょうか。しかし私にとって、それだけでも重要な事なのでした。私がこの世に生まれ落ちてから命を落としてしまうその瞬間までの全て、その出会いは私にとってかけがえのない出会いです。
 命を拾い損なって手から溢れ落としてしまう私は、せめて繋がりだけは取りこぼしなくないと考えたのでした。
 何の事か分からないでしょう。
 私の体は、不治の病に侵されているのです。
 見ず知らずのあなたには関係のない事なので、ここに病名を書く事はしません。しかしよろしければ、私の葬儀に参加してはいただけませんでしょうか。この手紙と一緒に、詳しい情報が同封されているはずです。
 突然のお手紙失礼しました。不快になられましたら、当然無視していただいて構いません。あと、当然ですがこの手紙に返信はご不要です。
 どうか、この手紙が届きますように。



 正直のところ、私はこの事を全く覚えていない。
 この手紙は、健康のために訪れた人間ドックで年配の看護師さんに手渡されたのだった。わけもわからずにポカンとしている私に、その看護師さんは詳しく事情を説明してくれた。
 なんでも驚く事に、彼は余命が宣告されたその日から毎日手紙を書いていたのだそうだ。自分の記憶にある限り全ての人物に対して、自分の葬儀に参加してはくれないかと願っているらしい。学生時代のクラスメイトはもちろん、隣のクラスに三ヶ月だけいた転校生、そして私のような名前も知らない相手にまで。
 信じられなかった。私が手紙を受け取ったのは、偶然病院を訪れたからだ。その上、偶然その看護師さんに出会ったからだ。もしかしたら、この手紙は届かなかったかもしれない。いやむしろ、ほとんどの場合届かないだろう。そんなおよそ届かないだろう相手の分まで合わせて全員分、彼は余す事なく書き綴ったらしい。
 起きている間のほとんどの時間、彼はペンを持ち続けた。一年や二年で書き終わるような量ではなく、迫る余命の日に焦って手を痛めてしまうほどに書き続けた。
 彼は最後の手紙を書き終えると、水を一杯飲んで眠ってしまったようだ。深く、深く、深く眠って、二度と目を覚まさなかったらしい。
 それが、命日から二年も過ぎての事だったそうだ。
 私は、懐に入れられたもう一つの封筒に触れる。こちらは、誰かから受け取ったものではなく、私自らが書いたものだ。
 棺桶の中を見る。青白い顔が無表情に目を閉じており、どうしようもなく不気味に思えた。私は生前の彼の顔など覚えていないが、間違いなくこれ程までにおっかなくはなかったはずだ。人間である限り、ここまで恐ろしい顔であるはずがない。
 棺桶の中には、仏のために色々な物が入れられている。確か副葬品とかいうやつだ。死んだ後の世界に持っていけるように、仏が好きだった物を一緒に燃やすらしい。燃焼に影響しない程度の小さな食べ物や、好きだった本。そして、大量の手紙。
 なんだ、私以外にも同じ考えのやつはいたのか。
 そっとその中に私の手紙を入れ、足早に自分の席に戻る。人の死に顔など、別に好んで見たいものじゃあない。
 その後も長く続いたが、見ず知らずの私にとってはまったく無意味の事だった。特に何事もなく出棺を見送る。泣き崩れた奥さんだか兄妹だかを尻目に、私はさっさとその場を立ち去った。
 彼がどんな人物であったのかなど私には知る由もないが、なんとなく空を見上げて息を吐いた。ふっと吹いた風に何か思ったような気がするが、火葬はまだなのだったと思い出して空から目を戻しす。
 何も悲しくない、何も辛くない。今日は、そんな一日だった。
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