第120話 LGBT法案に関して思うこと

文字数 3,182文字

 先日、内閣第一部会と性的マイノリティに関する特命員会の合同会議において、反対多数にもかかわらず『部会長一任』を強行すると言う、およそ民主的ではない手続きでLGBT理解増進法案が第一関門を強行突破しました。
 岸田首相はサミットを控えて焦っていたんでしょうかね、この問題に対して日本が遅れを取っては面目が立たないとでも思ったんでしょうか。
 しかし、実際には性的マイノリティに対して日本は元々差別的ではありません、なぜなら日本は神道と仏教の国だからです。
 キリスト教では同性愛をダブー視していますから欧米では差別が存在していたんでしょうね、ですから『差別するな』と法的に取り締まる必要があるのかもしれません。
 翻って見れば、神道は性に大らかですし、仏教でも同性愛を禁じているという話は聞きません、そもそも憲法で万人の権利は守られているわけで、性的マイノリティの方『だけ』を『特別に』保護する必要なんてあるんでしょうか?
 アメリカでは州ごとにかなり事情が違うようです、『心は女性』だと主張する男性が女性用の更衣室やトイレを使うことを認め、女性から抗議されると『差別的』であると非難される州がある一方、反LGBT法とも言うべき法が成立している州もあるようです。
 L、G、B、Tのうち、特に問題なのはT、すなわちトランスジェンダーでしょうね。
 とりわけ『体は男性、心は女性』のケースが。

 女性という性は守られるべきだと私は考えます。
 例えば通り魔的なレイプでも女性は妊娠してしまう可能性があります、中絶したとしても母体は少なからず傷つきますが、レイプ犯の方は何のダメージも負わないのです。
 生物学的にそうである以上、人間社会はルールで女性を守らなければならない、このことについて異論のある方、いらっしゃいますか? いらっしゃらないことを私は望みます。
『体は男性、心は女性』のトランスジェンダーを女性と認めてしまった場合、女性は守られるべきというルールはなし崩しになります。
 実際、女子更衣室やトイレ、浴場などでレイプ事件が多発することは考えられます、厚労省や推進派の稲田議員などは『そんなことはない』と言っていますが、事実欧米では増えています、女子刑務所で連続レイプ事件が発生した、なんてことすら報告されていますよ、それでも『そんなことはない』と言えますか?
 逆に『体は女性、心は男性』の場合はと言えば……今でも『女性トイレが混雑してるから』と言う理由で堂々と男性トイレを使うおばちゃんはいますけど、それを糾弾する男性はまずいません、守るべき性だと認識されている証拠だと思います(でも本当は『なんでやねん』くらいは思ってるんですよ、男性もw)。

 まあ、今のところ『理解増進法』という理念法案ですが、これが通ればいずれは『差別禁止法』に発展する可能性を捨てることはできません。
 そこがもう一つの危険なところだと思います。
 ヘイトスピーチ規制法を見てごらんなさい。
 何しろヘイトの定義があいまいなので『それはヘイトだ』と言えばヘイトにされてしまうわけです。
 トランスジェンダーの場合はもっとあいまいです、出自もへったくれもありません、『僕は、私はトランスだ』と言いさえすれば良いのです、それを証明する必要もありませんし、もっと極端に言えば『この前までトランスだったけど今は違う』とさえ言えるのです、男になったり女になったり、いいとこ取りのやりたい放題ですよね。
 スポーツの分野でも問題が起こりますね、陸上競技、水泳などの女子世界記録はトランスによって塗り替えられますね、さすがにスポーツ界では男性器の有無、ホルモン検査等のルールはあるようですが、青年期までを男性として成長していればやはり女性とは骨格や筋力は違いますから、生まれながらの女性には著しく不利になりますね、ドーピングは検査によって監視できますが、性転換は合法ということになれば女子スポーツは衰退の一途を辿るほかありません。
 それこそ19世紀に逆戻りすることになりかねません。
 更に同性婚が認められたとしたら、悪用される恐れもありますよ。
 偽装結婚によるビザの取得は容易になります、これまで不法滞在だったものが合法になるのです、そして『用事』が済めば帰国して再び男性として暮らせるわけです、犯罪の温床になりますよね。
 更に言うならば『同性婚で子供を持てないのは差別だ』として養子縁組手続きが簡素化されれば、やはり悪用される可能性があります。

 私はストレートな男性です。
 ゲイの方を差別する気はありませんが、あまり二人きりにはなりたくないですね。
 あちらの方から『メタボの60代なんてお呼びじゃないわよ』と言われるかも知れませんが、男性と『そういう仲』にはなりたくありません、はっきり言って嫌です。
 でも、それって私の権利ですよね、ゲイとして生きる権利はありますが、ストレートとして生きる権利もあるはずです、LGBTという生き方を理解しろと言うならストレートという生き方も尊重されなければならないと思うのですが、ヘイトの例を見ると、その辺りが危ういのではないかと私は思います。

 とにかく、この手の話が起こると『日本は遅れている、世界から取り残される』と言う論調が蔓延します。
 ですが、本当にそうなのでしょうか?
 そもそも、日本くらい差別の少ない平等な国は多くないことを考慮するべきだと思います。
 差別が蔓延し、不平等な国ではそれを是正する法律が必要になる場合もあるでしょう。
 例えば、かつて南アフリカではアパルトヘイト政策がとられていましたから、差別を撤廃し、不平等を是正する法律は必要だったでしょう。
 ですが日本ではアパルトヘイトに相当するような政策はとられていませんでした。
 もちろん、差別は全くなかったとまで言うつもりはありませんし、在日外国人の方は就労に苦労したり、アパートを借りにくかったりしたことがあったことは事実だと思います。
 ですが、国の政策としてそれを容認して来たというわけではないのです。
『外国人は雇用したくない』と考える事業主がいたり、『外国人には部屋を貸したくない』と考える大家さんがいたとしても、それは個々の問題です。
『以前外国人を使っていたけど、仕事ぶりがどうも……』とか、『外国人に貸したら部屋をひどく汚された』などと言う理由があったのかもしれないでしょう? 
 それを『差別』だとして法で規制しようとするのは正しい事なのでしょうか?
 日本人は真面目と言うか、お人好しと言うか、『問題がある』と言われると『そうなのかな? だったら悪いところは直さないと』と考えてしまいがちです、また、マスコミもそのように誘導しようとします、マスコミは基本的に反日ですからね。
 
 100%の社会などあり得ません。
 1%の人のことなどどうでもいいとは言いませんが、その1%の人ために99%の人が不幸になって良いわけではないと思います。
 100%の社会などあり得ないからこそ、多数決による民主主義が存在するのです。
 完全な社会などあり得ない以上『よりマシな』社会を目指すほかないのです。
 LGBT法案に限らず、その法律によって『よりマシな』社会が実現できるのか、それとも何とか成り立っている今の社会を壊してしまう可能性があるのかを見極めなくてはならないと思います、たとえその社会が妥協の産物だとしても。

 以前にも書きましたが『保守』は『保ち、守る』と書きます、『革新』は『革め、新しくする』と書きます、現状をぶっ壊すことこそが『革め、新しくする』の第一歩なのだと知らねばなりません。
 50%を超える人々が『こんな社会なんてぶっ壊してしまえばいい』と考えるのならば、それはそれで民主主義に則ったものではありますが。
 
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