第58話 ひとりの人間として
文字数 5,295文字
はじめは単なる追いかけっこであったが、痺れを切らした追跡者が至近距離まで詰め寄られた瞬間、いくつものナイフが容赦なく降り注ぐが、なんとかこれを回避してまた逃げるの繰り返し…そんなやりとりにとうとう疲弊し切った追跡者は息を切らし走る足を止めた
「ま、まてこの…っ…はぁ、はぁ…」
「おや、揃いも揃ってもうへばったでござるか?」
「いや、あんたねぇ…流石の私も、疲れるわよっ!…はぁ、はぁ」
キレ気味にツッコミを入れるケイに反してサイゾウは余裕の笑みを浮かべるほど息を乱していなかった
「…で、そんな物騒なモノを持って拙者達になんの用でござるか?アサシン・オルティナ」
サイゾウが名を呼んだとき、バッと顔を上げる…オルティナ
彼女の名を聞いてケイは思わず目を見開く
「オルティナ…お前が…!」
「…っ!」
オルティナは訝しげな表情で口篭った、すると…
……ボンッ!!
「!!」
「!…なにこれ!…うっ…げほっ!」
間を割って入るように足元に転がってきた小さな玉が派手な音を立てて爆発し、あっという間に煙が充満した。身動きが取れないサイゾウとケイはしゃがんだ体勢で煙を吸わないよう口を覆い、煙が晴れるまでじっとしていると…
「!…いないっ」
「…」
煙が晴れるとオルティナの姿は既になくなっていた
立ち上がって周囲を見渡すが、姿形はどこにもなく
完全に見失ってしまうのであった。
何も聞き出せないまま彼女を逃がしてしまったことに対して
「ちくしょう…!」と言って吐き捨てるケイの傍らで
サイゾウがふと、月が浮かぶ空を見上げていると
「…!」
砂漠に咲いていないはずの花びらがサイゾウの足元に何枚も落ちた。それを見てサイゾウは何かを察したようにすかさず手に取った。
(この花びらは…)
その花びらはただの花びらではなく
既に枯れて萎びてる上に
何故か焼け焦げたような痕が微かに残っていた
「なんなの、それ…いったいどこから…」
「さぁ…なんでござろうな」
焼け焦げた花びらは、彼らに
何を
伝える?ーーー
ー ブロンズ宮殿 廊下内 ー
ナッドは静かな口調で
生前のマクシィについて話をした
彼は当時、ウェルディ家の次期当主として期待された騎士である傍ら、リーフの第二王子と最も親しい友人として右腕として、ナッドと同じエージェントとして暗躍していた。
初めて会った時は互いを警戒し合うも
『ファクティス』という共通の敵をきっかけに
二人は利害関係を越えた戦友として
共に戦うようになっていった
その一方で、マクシィはナッドの妹であるイリーナに一目惚れし、毎日のように猛アプローチをした…イリーナ自身もゆっくりとだが、次第に彼を慕い『結婚』を意識するようになってから…ナッドとマクシィはより一層喧嘩した…辛く厳しい日々を過ごしてきたからこそナッドはマクシィの人柄を理解し、イリーナの幸せを思うからこそ…何度も何度も、ぶつかりあった
「真剣…だったんですね…父さん」
「あぁ、アイツは…イリーナを必ず幸せにすると言って何度も俺にぶつかってきた…そんなアイツだからこそ…俺は認めたんだ…二人の結婚を」
両親を失い、ずっと二人だけで生きてきたナッドとイリーナ
そんな二人の前に現れた、マクシィ
彼はイリーナとの希望ある未来を見出してくれた
彼女と共に未来を歩きたい
共に幸せを育んでいきたいと彼は言ってくれた
今も困難とされる、違う
「一緒に…未来を」
「お前にとっちゃ信じられねぇ話だよな…母親と息子を置き去りにした父親がそんなことを…って」
「それは…」
「無理するな…お前は…何も知らなかったんだ…いくらあいつら自身が選んだ事だとしても…お前の中にある恨みが消えるとは、思っていない…」
「え…」
どこか引っかかりのあるナッドの一言にシンは一瞬凍りついた
「それ、どういうことなんですか…?二人が選んだ事って…なんなんですか…」
「…はじめは、王子を助けに行くのをマクシィは躊躇ったんだ…行けば…もう二度とお前達の顔を見ることが、出来なくなると言って…」
マクシィは、リーフが懸念する問題を肌で感じてきたからこそ、予期していた。力で跪かせる第一王子と民達の信頼と希望を一身に背負う第二王子の王位継承権を巡る争いは…大勢の民を巻き込む命懸けの戦いになることを
「父さんは…王子と親しい仲じゃなかったのですか?」
「親しい仲であることは間違いない…だが、お前が生まれてから三年の間…アイツは既にお前とイリーナの為に生きると心に決めていた…そんなアイツが、家族を置き去りにして、王子を助けに行くことは…アイツにとって究極の選択だったんだ…」
「…!」
王子の命か、家族との幸せか
どちらもマクシィにとってかけがえのないもの
けれど、やっと手にした幸せを
手放すことはそんな容易ではなかった
だからマクシィは悩みに悩んだ…
そんな彼の背中を最後に押したのは……
「イリーナ…なんだ」
「え…」
シンは、あまりにも信じられなくて絶句した
「そん、な…母さんが…どうして…」
「あいつは…小さい頃からずっとそうだった…自分が一番辛いくせに、誰かのために自分を押し殺すところがあった…けれど同時に…信じていた…アイツが…必ず生きて帰ってくることを…」
『私の知ってるマクシィ=ウェルディは、大切な友達を見捨てたりはしない!かと言って、家族を置き去りになんてしない!だってあなたは強いから!誰よりも強いから!そして私は、そんな強くて優しいあなたの妻なの!待ってるわ…あなたが帰ってくるのを…ここで!
…母は、夫の訃報を聞く瞬間まで信じていた
必ず帰ってくる…必ず自分達の元に帰ってくると
それはまるで、不可能な夢を抱くかのように
それから母は家族のために働き、笑顔を取り繕った
だから夜になるとリビングで一人、泣いていたのだ
こうなることを悟りながら、今生の別れになると理解しながら、母は…決心したのだ…息子と二人で生きる覚悟を、もう二度と埋まることのない、心に空いた穴を抱える覚悟を
「…それが、俺の知るマクシィの全てだ」
話を聞いても、まだ現実味が湧かないせいで頭がふわふわする
同情の余地はあっても、二人の選んだ道を理解するには
自分の気持ちを整理するには時間が足りなさすぎる…
それを理解してる上で、ナッドは、敢えて答える…
「シン…お前は、お前自身の気持ちを大事にしろ…たとえアイツらがどんな思いで決断をしたと知っても…無理に気持ちを理解する必要はない…なぜならお前は、アイツらの息子としてだけでなく、お前という一人の人間として…ここにいるんだから…」
「ナッドさん…っ…」
ナッドにわしゃわしゃと頭を撫で回されて
また涙が出そうになるシン
父との再会はもう一生叶うことのない願いとなったが
それでも…ナッドや母を介して、改めて知った父の愛情に
ずっと複雑に絡んでいた糸が少しだけ解れていくのを感じた
ーー
翌朝、寝室の中が日差しでじんわりと暑くなるのを感じながら目を覚ましたシン…正直熟睡は出来てないが、気持ちの方は少しばかりだが、軽くなっていた
(…父さん…母さん)
二人の息子としてだけでなく、一人の人間として…
ナッドにかけられた言葉が今も心に響いている
するとそこへ
コンコン!
『シンさん、起きてますか~?』
「!…リンク…あ、あぁ、今起きたところだ!」
シンはすかさず布団から出てきて
扉をゆっくりと開けた
「おはようございます、シンさん」
「うん、おはよう」
いつものように挨拶した直後
「!…ど、どうしたんですかその汗っ…目元も、クマになって…」
「え?あ、これは…その…」
「み、水と手ぬぐいを持ってきますので、座っててください!」
「え!ちょっと!リン…」
バァンッ!!!
「…」
珍しく嵐のように去っていったリンク
あの瞬間に見た、血の気が引くほど真っ青な彼女の顔
そんなにもひどい顔をしてたのか?と我を疑うシンは
ベッドの傍にあるドレッサーの鏡で自分の顔を確認すると
確かに目元はクマになり、汗もびっしりとかいてるが…
(さっきの俺、そんなにひどい顔してたのか?…だとしたら俺、悪いことしたな)
その後、リンクは桶にたっぷり入った水と、飲み水が入ったグラス三杯分と、手ぬぐいを三枚用意して部屋に戻ってきた
「はいどうぞ、ゆっくり飲んでください」
「ありがとう…」
シンが水を飲む間にリンクは手ぬぐいを濡らして絞り、汗ふきの準備をした。相変わらず手際の良さに感心しながら、シンは水を飲み干すと、すぐに濡らした手ぬぐいを火照った顔にピタっと当てた
(ん、冷たくて気持ちいい…って、寝汗もやば…)
首筋から肩だけでなく、着ている黒のタンクトップの中まで
汗が伝っていたことに気づいたシン
暑い環境の中とはいえ、やはり気持ち悪くて仕方ない
するとそこへ…
「後ろを向いて服を脱いでください、背中の汗拭き取りますから」
「!?…い、いや、そのくらい俺でも出来るから」
「いいえ、拭き取ります!」
(き、今日のリンク…なんだか張り切ってるな…どうしたんだ?)
半ば強引にも映るリンクの行動に戸惑いを隠せないシンだが
惚れた弱みなのか、彼女に対してそれ以上逆らうことが出来ず、大人しく後ろを向き、服を脱いで背中を預けた
「シンさん」
「ん?」
「いつも、ありがとうございます」
「…!…ど、どうしたんだよ、急にそんな畏まって」
「ガイアに来るまでの道のりも、ここに来てからも…あたしはずっと、あなたのこの背中に守られてきました…あなたには、感謝してもし切れません」
「リンク」
唐突なリンクの感謝の言葉に
シンは嬉しさと戸惑いでさらに鼓動を速め
顔がまた熱くなるのを必死に抑えると
「…お、俺の方こそ、ありがとう、リンク」
「え?」
「君の助けがなければ…俺は今頃もっと傷だらけになってるだろうし、君がいなかったら、あんなに美味しいご飯を毎日食べることが出来ないし…ボロボロになった服も、きっとそのまま着て過ごしてる、気がする…みんなとも…こんなきっかけだけど…出会わなければこうして一緒に苦難を、乗り越えられなかった」
「シン、さん…」
シンはリンクに顔を向け、ありのままの想いを伝える
「だから、感謝してもしきれないのは俺の方だ。リンク…本当にありがとう…俺…君を困らせてばかりかもしれないが、これからも、俺が君を、守りたい………いや、必ず守ってみせる…!」
「…っ」
「……なんて、カッコつけすぎた、かな?あはは…」
「ううん、そんなことないですっ…シンさん、本当に、ありがとうございます…!」
ここにいるのは父と母の息子としてではなく
シン=ウェルディという一人の人間だ
目の前にいるリンクという大切な少女を守るために
仲間と共に困難に立ち向かうために
己が信じる道を突き進むために戦うことを選んだ一人の男
今は理解出来ずとも、いつか…その日が来ることを、信じて
(父さん、母さん…本当は言いたいこと山ほどあったけど、今となってはそれも永遠に叶わぬ願いになった…この恨みも、悲しみも、死ぬまで晴れることは、きっとないかもしれない…けど同時に、二人が俺を産んでくれたこと…父さんが俺を愛してくれていたこと、母さんは最後まで俺を心配してくれたこと…俺は最後まで、忘れない…本当に、本当に………ありがとう)
………ガチャン!!!!!
「シンさまぁ!!いらっしゃいますかぁ!?」
「うわっ!!い、いきなりなんだよミール!?」
「直ぐに着替えて王の間に来てください!い、今、宮殿の外で騒ぎが…!」
「え…!!」
ミールの突然の報せに、動揺しつつも
すぐに着替えて王の間まで急いだシンとリンク
その場には既に全員が揃っていた
「あれ、ケイさん…いつの間に戻って」
「そんなことはどうでもいい!ロック王!今どういう状況なの?」
「お、王様相手に容赦ないですねケイさま…」
「伝令っ!!!」
民達がいったいなぜこんな騒ぎを起こしてるのか?
思い当たる節が見つからない中、タイミング良く
現場に居た伝令兵が民達の主張を伝言として預かり戻ってきた
「民達はなんと言ってるのだ?」
「はっ…!民達の言い分によりますと…先日起きた市場の騒動の元凶であるリンク=アソワールという娘を今すぐ処罰しろとのことです!」
予想だにしなかった言い分に誰もが耳を疑った
「リンクを…処罰?…どうなってるんだよ…!」
「ひとまず外へ向かうでござる…誰がこのようなホラ話を吹き込んだのか…確かめねば」
「当然っ!!」
「よし行こう!」
全員が頷き、宮殿の外へ向かおうとしたその時
キィィィィィ…ン…!!!!
「…うっ!?」
「リンクッ!?」
急に頭を抱え膝を崩したリンク
「リンクさま!いかがなさいましたか!?」
「ま、また……急に、声が…うぅっ」
「声…どうしてまたこんなタイミングに………っ?!」
さぁ、見せてみろ…シン=ウェルディ…お前の信じる道を…お前の守ろうとする意志を…!
(…これは、あの時と……同じ声…!)
奇しくもこのタイミングで脳裏に響くは
グレイで起きた騒動の時と同じ、不思議な声
新たな試練が、再びシンの前に立ちはだかる
【終】