ラストニューイヤー

文字数 5,002文字

 尾根づたいに隣山まで歩いて、あの場所で初日の出を見よう。
 そして、そこでおわかれしよう。
 ふいに言い出したのは、ユミのほうからだった。そうなるだろうな、と、なんとなく気づいていた私は、思いのほか素直にそれを受け入れられた。
「あけまして、おめでとう」
「はい、あけおめ!」
 あらためて新年の挨拶をかわし、装備を整えて山頂の宿を出る。
 時刻は、午前四時五十二分。
 いくら夜の山道の横断行とはいえ、ユミの言うあの場所へは大人の足なら二時間もかからない。さすがにまだ少し早い出立の気もしたが、まあ、道中つのる話もあるだろう。なにしろこれが、ふたりですごす最後の正月なのだ。
 そう思ってユミのほうを見ると、当の本人は不思議そうに小首をかしげる。
「ん? なに?」
「いや、なんでも」
 苦笑しながら答えると、変なかっつん、と鼻で笑われた。
 勝敏(かつとし)だから、かっつんね。
 そんな呼ばれ方にも、いつの間にかすっかり馴染んでしまっていた。
「あれから、まる三年か……」
「うん、そだね」
 何気ないつぶやきに、屈託なくユミが笑う。
 ダウンジャケットの隙間からでも容赦なく侵入する夜気の中に、私の吐く息だけが白く凍りついてゆらゆらと漂ってゆく。
 青梅にあるこの小高い山の宿坊街で正月を迎えるのが、私たちの毎年の習慣だった。
「あ~あ、それも今年でおわりかぁ」
「自分で言ったことなんだから、ちゃんと責任もちなさい」
「ぶぅ、かっつん、またオッサンくさいこと言う」
 と言われても、実際オッサンなのだから仕方がない。
 歳の差カップル、と言えば少しは聞こえもいいが、私とユミの年齢は干支にしてきっちりふたまわりほど離れていた。
 十二×二だから、二十四歳の年齢差だ。
 ユミは干支女で二十四。私が干支男で四十八。
 もっともそれが正しいカウントかはいまだに疑問だが、率直につたえると、いつものようにユミからあざといくらいのあかんべーが返ってくる。
「いいじゃん別に、だってユーレイは歳なんか取らないし!」
「まあ、そりゃそうなんだけどさ」
 そう、ユミは私にとり憑いている幽霊なのだ。
 厳密にいえば、この連峰の片すみにひっそりと祀られていた祠の土地神。
 いや、かたむきかけた私の整体院を見事にたてなおした手腕からすると、どちらかというと座敷わらしのたぐいの存在だろうか?
 ……なんにせよ。
 そんな親子のようなふたりが出会ったのも、こんな冷え込みの厳しい正月の朝だった。
「そうそう、あのときはびっくりしたねぇ」
「びっくりしたのは、こっちだよ」
「そっか、ごめんごめん」
 益体もない昔話をしながら、うねった路地を尾根に向って左手へ。
 こうしてあのときとおなじルートをたどっていると、じょじょに当時の記憶も鮮明によみがえってくる。
 あっけらかんとユミは言うが、あれは本当に衝撃のできごとだった。
 三年前のあの日――。
 すでに山の上の正月を習慣にしていた私は、年明けと同時に山頂の神社への参拝も済ませ、ふと思いついて今日のように夜の横断行で隣山の展望台をめざしていた。
 もちろん目的は、そこからの初日の出を拝むため。
 例年なら宿の窓から寝ぼけまなこで済ませるご来光詣を、慣れない夜の山歩きを覚悟してまで敢行したのには切実な理由があった。
 というのも、稼業とする整体院の経営が思わしくなく、「この際、神様でもお天道様でも泣きついてやれ!」とやけになった私は、わらにもすがる思いで商売繁盛の願掛けを決意したというわけだ。
「それなら、人気の初日の出スポットがありますよ」
 にっこりと微笑む宿坊のおかみさんの言葉に、私はほいほい乗っかった。
 ところがさすが人気スポット。
 懐中電灯片手にえっちらおっちら尾根を歩いてたどりついてみると、目的の展望台はすでに詣客であふれ返り、日の出までまだ数時間あるにもかかわらず、猫の子一匹入る隙間もないほどぎゅうぎゅうの状態になっていた。
「まいったな、こりゃ」
 展望台へとつづく行列にゆく手を阻まれ、思わず私はそうつぶやいたものだ。
 このまま列の最後尾で、ご利益まで後回しにされては堪らない。
 どうにかこっそり、初日の出をひとり占めできないか? そんなよこしまな思いをいだいた私はそっと列を離脱し、あてもなく周囲のやぶの中をさまようこと十数分。やがて展望台の裏手あたりに張られた黄色いロープと、立入禁止のプレートがかかったけもの道の入口らしき繁みを発見する。ことになるのだが……。
「まさに運命のわかれ道だね!」
「まさにじゃないだろ、まさにじゃ」
 唐突なユミのつっこみが、そこで私を回想から現実にひきもどした。
 どうやら思い出話にふけるうち、私たちは文字どおり尾根へと下るわかれ道までたどりついていたらしい。
 私は舗装のとぎれた砂利道を選択し、大きく深呼吸をする。
「さて、それじゃいきますか」
「今度は、あのときみたいに大騒ぎしちゃダメだよ?」
「うるさいな、それくらいわかってるよ」
 ひやかしの声には憮然と答え、手元の懐中電灯のスイッチをオンにする。ゆく手をふさぐ闇を裂くように、さっと青白い光が伸びてゆく。
「うわっ、まぶし!」
 と、大袈裟にのけぞって、ユミがその光から顔をそむけた。
 私は苦笑いで、そんなユミをふり返る。
「あいかわらず寒いな、そのネタ」
「ふーんだ、ユーレイギャグだもーん」
 いつもどおりの、だらだらと意味のないやりとり。
 しかし、もうそれも残り時間が少なくなったことを予感して、私はかるく鼻をすすりながら山道をすすんでゆく。
「お、もしかして泣いてる?」
「ばーか、寒いんだよ、おまえのギャグに凍えてるの」
「素直じゃないなぁ、かっつん、やっぱりそういうとこあるよね」
 ユミの悪態は、こんなときでも変わらない。
 だが、私には確かにそういう逃げ癖のようなものがある。だから肝心なセリフも、いまだにタイミングを逃したままだ。
 それでもなにか感じるところはあるのか、ユミはぽつぽつと神妙につづける。
「でも、楽しかったね。この三年」
「ああ、そうだな」
 私も素直に、そこだけは認めておいた。
 あの日あのとき、あのけもの道に足を踏み入れたのは、やはり正解だったのだろう。それは経営者としてではなく、ひとりの男としての率直な心境だ。
 あの日の私はそれから、立入禁止の札を無視してこっそり繁みへわけ入った。
 ひょっとするとそのさきに、隠れた初日の出スポットがあるのではないかと勘ぐったからだ。ところが懐中電灯でやぶを掻きわけながら苦労してすすんでみると、そのさきにあったのは初日の出スポットどころではない。ほとんど封印された、といってもいいくらいぼろぼろの、朽ちはてた小さな祠だった。
 そしてそこで声をかけてきたのが、ほかでもない祠の主であるユミだった。
「いや~、あのときのかっつんはケッサクだったねぇ」
「そんなにか?」
「うん、だってひさしぶりに〝視える人〟がきたと思ってよろこんだら、声かけたとたんに『うひゃぁっ!?』だって」
「視える視えないは関係ないだろ、うしろからいきなりだったんだから。だいいち子供のころから視えるタチではあったけど、こんなにはっきりコミュニケーションとれた霊はおれも初めてだったんだよ」
「へへ、よっぽど相性よかったんだね。ユミたち!」
 ケラケラと笑うユミに苦笑を返し、私はなだらかに傾斜する山道を下ってゆく。ユミはそのあとを、つっとすべるようについてくる。
「それからは、いろいろあったねぇ」
「まったくな」
 あれをいろいろで済ませるのもどうかとは思うが、それについての異論もなかった。
 結局そこで一悶着あったものの、私は福の神との契約に成功したのだから。
「で、どうだった? 娘みたいな女の子との同棲生活は」
「どうかな、子育てしてた気分……かな?」
「あっ、ひっどーい!」
 憤慨したようにユミは騒ぐが、私たちの暮らしは実際そんなようなものだった。
 ユミは院の運気をたてなおし、私はそのたびに対価を払う。
 かわした約定を守るため、毎日がバタバタとユミの世話ですぎていった。
 ――神様に願い事するなら、お供え物が必要でしょ?
 とはいえ、その理屈はよく飲み込めたし、そもそも選択の余地があるわけもない。私はふたつ返事で、ユミの要求に応えていった。
 供え物は、流行の服だったり、最新のスイーツだったり、そのときどきでさまざまだったが、そうしてユミは現代の文化に馴染んでいった。
 供えればちゃんと食事もしたし、服装も変わるのには私も驚いた。
 そのご利益たるや効果てきめんで、私の院の経営は見る間にもち直した。
 けれどそんな生活が当たり前になると、互いに甘えもでれば情もわく。いつの間にか私たちの関係は、契約ではなく相互依存のなぁなぁなものになっていった。それはやはり、親子や恋人に近い感情であったには違いない。
「だって無理やり神様にされてから、ひとりぼっちで寂しかったんだもん」
 拗ねるように言うユミに、私は「そうだな」と一言だけ返す。
 それは私だっておなじだった。
 ユミは生前、はやり病を鎮めるため山に捧げられた供物だったという。
 早い話が、生贄の村娘だ。
 没年と生まれ年の子年を、戊子がどうのうと言っていたから、あるいは江戸の中期か後期のことかもしれない。
 なんにせよ、ユミの命はたった二十四年で断ち切られた。
 当時の事情で鑑みれば仕方ないことだったのかもしれないが、そんな寂しいだけの人生に、やはり私は自分を重ねていたのだろう。
「そういえば、ふたりで夜景を見にいったりもしたねぇ」
「水族館にも、遊園地にもいった……もっともまわりからは、オッサンがひとり遊園地を謳歌してるようにしか見えなかったろうけどな。きっと」
 つらつらとそんなムダ話をしながら登り下りをくりかえしていると、やがて見上げたさきに展望台の灯が見えてくる。私たちは足を止め確認するが、幸い周囲に人影はない。人目をさけてこの時間帯を選んだのは、どうやら正解だったようだ。
「……ついちゃったね」
「ついちまったな」
 その言葉だけかわすと、私たちは展望台を迂回するわき道にそれた。
 あとは黙りこくって、ひたすらやぶを掻きわけてすすむ。
 しばらくゆくと、黄色いロープの張られたけもの道にいきあたった。立入禁止のプレートもいまだに健在だ。
 ロープもくぐり抜けて、さらに奥のやぶの中へ。
 すると山肌のほんの少し開けた場所に、ぽつんと人ひとり分のスペースが現れる。
 朽ちてぼろぼろになった祠も、まだそのまま残されていた。
 私とユミが初めて会った、あの場所。
「どうする、このままここで日の出を待つか?」
「そだね、そうしよう」
 そして私たちは、じっとふたりでうずくまって初日の出を待った。
 しだいに東の空がぼんやりと明るくなり、冷え切ってこわばった私の頬を、じんわりとご来光の予兆が温めてくれる。
 私は真っ赤に腫れた目を、もう隠そうとはしなかった。
 ユミの顔はすでに、涙でクシャクシャになっていた。
「もう、思い残すことはないのか?」
「……うん」
「そか」
 にっこり笑ってそう言ってやると、ユミの姿は朝の光にさらさらと溶けてゆく。
「三年間、ずっと一緒にいてくれてありがとう」
「あぁ、向こうでも元気でな」
 やっとしぼりだしたその声が、ユミに届いていたかはわからない。
 それでも満面の笑みで消えていったユミの姿を、私はいつまでも新年の空のかなたに追いもとめていた。
 わぁ、と展望台のほうから歓声が響き、遠くの水平線に太陽が顔をだす。
「おめでとう!」
「おめでとう!」
「ばんざーい! ばんざーい! ばんざーい!」
 そんな新年を祝う声に呼応するように、主をなくして役目をおえた祠が、私の背後でカタカタと音をたてて崩れた。
 私はその残骸を抱きしめて、ようやく言えなかった最後のセリフを口にする。
「こっちこそ、いままでずっとありがとう」
 それが彼女の新たな門出を祝す、私からの精一杯の言葉だった。

〈了〉

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