二三 退路

文字数 5,154文字



 金の指輪は天幕の陰りの中でも優美を失うことはなく、素材としては安物でも、加工品としては十二分に手を尽くしたものだとうかがえる。
月垂(つきしず)りの国には大きな港がある。長大な交易路の中にあり、海と陸をつないでいる。月垂りの国土は不毛だから、税は入るけど、自国から売るものはない。けれど、羽撃(はう)ちの国は違う」
 侵攻目標である月垂りの国のことを、(むつ)は頭に入れてあった。国土の半分以上は砂漠、ゆえに不毛であり、そして交易路には向いている。少々枯れていようが、山がそびえるより大森林が広がるより、よっぽど物を運びやすい。古く、駱駝(らくだ)が家畜として浸透して(のち)、交易路が確立した。
 (ゆく)は、話し相手が睦であることをありがたいと思った。言い含めなくても、多くを省いてしまっても、意図が伝わっていく。行は自分の考えの整理に力を注げる。
「羽撃ちでは(きん)が湯水のようにあふれ、大暴落までしている。諸国連合全体が金の産地だから、近場では売れない。けれど海の向こうでは違う。西国(さいごく)はほとんど(きん)が採れない。一(グラム)単位でさえ、高値がつく。羽撃ちの国じゃ、一(キロ)(グラム)単位でも安値なのに」
 おそらくは、(きん)を西国で売ることも含めて、(かく)の進言だったのだろう、行はそう考える。隠は二代目塾長、経済の知識についても、教えていた側だ。
 羽撃ちの国と月垂りの国は以前から水面下で交渉をしていたのだ。月垂りの国は港を支配し、自国の利益や安全のために、様々な規制をしている。交渉は難航していたはずで、列椿(つらつばき)の侵攻が契機になった。隠にしてみれば、ある意味、渡りに船というところ。月垂りの国は自国防衛のため、是非なく羽撃ちの国と手を組まねばならなくなった。
 周辺諸国に交易を隠しておきたかったとするなら、単純に外貨を求めたのではない。大量の(きん)を輸出する代わりに、諸国にとって都合の悪い物を大量に輸入しようとしていた、行の考えるところ、筋道はそこに通る。
「月垂りの港から出港、船に満載した(きん)を西国で売ってから、代わりに最新の鉄砲や大砲、弾薬を満載して帰ってくる。こんな筋書きだろうね。列椿も港は欲しがってる。月垂りの領土というより、これは、交易路の奪い合いだ」
 列椿と羽撃ちの両国が、なぜ危険を冒してまで、半ば焦るようにして港を奪い合っているのか、それもまた、行には見当がつく。
「そして、二度目はないんだよ。順番争いでもある。船一杯の(きん)を売るとなれば、西国でも(きん)の価値が下落してしまう。先に売らなきゃ意味がないんだ」
 行の指で輝く指輪を見て、ふと、(しず)には思われることがあった。行と隠の間には特別な絆があると今も信じているが、その絆のあり方を掴みかねていた。
「その指輪は、羽撃ちの裏切りを、それとなくゆっちに知らせるため、ということなのでしょうか?」
「まさか。


 すぐに返ってきた否定。断言。その確信の様子を見て、沈には絆の形状が見えた気がする。確かに、お互いを守り合うような関係ではないのだろう。けれど、ここには絶大な信頼がある。
「あたしは、そんな

を教えた覚えはないよ」
 手を抜かない。迷わない。互いが相手でも全力で騙し討つ。それが行と隠の絆なのだ。互いが互いを、最高の戦術家のひとりだと信じているから。ふたりにとっては、騙し討たないことこそが、互いに認め合う気持ちを裏切ることになるのだ。
「この指輪は最終確認だったんだ」
 行は左手の中指にある金の指輪をなでた。ここにはめるようになって日は浅いのに、なじんだ感覚がすでにあって、行にはもう、外そうと思えなかった。
「あたしが(きん)に違和感を抱くかどうか、確かめるための。あたしは贈り物として受け取って、

とは感じなかった。それをもって、離反を決行すべしと判断したんだ」
 隠の真意がどうあれ、状況として離反される恐れがあり、その理由もある。退()くか進むかの決断が求められる。早いにこしたことはないと思え、睦は問うた。
「まだ離反の確証は得ていませんが、一度、兵を退()きますか?」

退

。そして、離反については、すぐに確定させる」
 他ならぬ行自身が隠に叩き込んだ戦術、気づかれることはかまわないと思っているだろう、何よりもまず、敵の行動、その選択肢を削ぎにくる、行にはその確信がある。もし、行が選べる行動がひとつきりなら、隠は未来を予知できるのと同じ。有利になる。
「しずっち、ここ、誰かいるか、情報取って」
 行はそう言いながら、地図上の一カ所を指で示した。山中を貫くように通る道で、ここに来るまでに越えてきた。
「えっ、わたくしの咎言の領域内ではありますが、戦場でない場所は何も取得できないのですが……それとも奥の手で?」
 沈の咎言は、何もかもをいっぺんに知るものではない。取得したい情報を選ぶ必要がある。地点についても同じく選ぶ。
 山中の道はここからかなり遠い。沈の咎言の力が及ぶ範囲ではあるが、沈としては、条件を満たすようには思えず、ならば取れない。戦場の情報しかわからない。

でいい。とにかくやって。無理なら無理でいい。いや、そのほうがいい」
 沈は頷いた。行にやれと言われれば、やる。それが戦勝請負で、沈もその一員だ。
悉知(しっち)
 沈は咎言を発し、指定された場所に誰かいるかを探る。
 探る、というよりは、やはり、

と表すほうが正しい。遠見をして確認しているわけではない。沈は咎言によって、

から情報を読み取っているのだ。過去と未来、そして現在、その全てを知る何らかのもの。そこから、現在の、力の及ぶ範囲、戦場に関することだけを読み取れる。
「……ひとり、います」
 沈は言う。取得できた。取れてしまった。その道は立派な戦場であるということ。そこにひとりしかいないのなら、その者は疑いなく、


禍祓(まがばらえ)(はや)。通称、夜の早。死処(しどころ)の姫の異名を持つ、咎持ちです。山を貫く道のちょうど半分のところ、真ん中に立っています」
 聞くや否や、行は鉛筆を手に取り、地図に×印を書いた。死処の姫が立つ、その位置に。
「睦将軍、わかるね?」
 もはや羽撃ちの離反は確定として扱ってよかった。そこに死処の姫を配置して誰かが得をするとすれば、それは、羽撃ちの軍が寝返ることが大前提だった。そして、列椿の軍にとっては致命的な窮地となる。
「退路が……塞がれています」
 羽撃ちの軍が

、それが成立する。三方を囲まれ、列椿の軍は行き場をなくす。行は鉛筆で地図上の×印をとんとんと叩いた。続きを促されたものと解釈して、睦は見解を述べた。
「狭いです。山間(やまあい)隘路(あいろ)、来る時に通りましたが、兵を横いっぱいに展開してもせいぜい五〇人が限度。一騎当千の咎持ちを五〇の兵で破ることはおよそ不可能。前へ進んだ者から順に撃破され、我がほうの兵が損耗するのみで、


 ここまで来る際、その狭い道を進路に選んだ。ひるがえせば、他に都合のいい道がなかった。そこを通れないなら山越えとなるが、なにせ大軍勢だ、厳しい。
「正しい。でも及第点はやれないね。裏側から考える癖をつけないと」
 行は多くを言わなかった。睦は聡いし、どうやら会話のやりとり、その相性がいいらしいと感じていた。これで伝わる。睦を有望と見込んで副将に据えたわけだが、どうやら拾いもののようで、行の腹心の部下として最適だった。
「あ、」行の考え通りに、睦はすぐ気づいた。さらに窮地を深める事実に。「援軍を呼んだとしても……


 本国と前線をつなぐ唯一の道が絶たれている。本国の側からも通れない。たとえ両側から死処の姫を囲んでも、兵は一〇〇にしかならない。相手にならないだろう。
「そう。あたしたちの退路のみならず、援軍の進路も存在しない。本国からの増援は期待できないね」
 そして行は、あえて質問の形を選び、睦に意見を求めた。
「あたしたちには、戦闘に向いた咎持ちがふたりもいるね。死処の姫を排除できないかな?」

。禍祓早は、神幡姫潤と同等に渡り合ったと聞きました。戦勝請負は組みでやっと神幡姫潤と同等なのです。個の力では劣る。囁殿か改殿、どちらかを向かわせても勝てません」
 睦は怖じない。現実を直視せねばならない。戦勝請負を持ち上げている余裕はない。気迫さえこもった声音で、話を続けた。
「ふたりともを向かわせても、戦場を闇に落とされれば、狙いが定まらない。その時は同士討ちになる危険性があります。分のいい賭けとは思えません」
 聞き終えて、行はひとつ頷いた。
「それじゃあ、ふたりには別な仕事を任せようか」
 睦は地図に目を落とす。通り道にはならないが、南に広がる山は、陣取る場所としては悪くない。
「大軍での山越えは困難でしょうが、南下しますか? 山に籠もり、高所にいる有利を活かして耐えることはできます」
「あたしたちが山に籠もれば、死処の姫は移動する。半径一(キロ)(メートル)、直径で言えば二(キロ)(メートル)、それだけを闇に落とされたら、高所も何もない。総崩れだ」
 行は言下(げんか)に否定した。こう厳しく言っても睦は(ひる)まないだろう、そんな安心感があった。
「どこに活路が……」
 睦は再度、地図に目を落とす。行は頼もしささえ感じる。行に任せない。力足らずは自覚しているだろう、それでも、副将であることに全力を尽くそうとしている。その頼りがいに後押しされる形で、行は結論を出した。
「どこも何もないよ。単純だ。挟み撃ちを避けたければ、追いつかれちゃいけないんだ。


 羽撃ちの軍が進んだぶんだけ、こちらも前に進む。それならば挟撃されない。単純にして至難の理屈。前方には八〇〇〇の兵、挟撃を成そうとして、時間稼ぎをしてくるだろう。
「睦、羽撃ちの離反の件は、絶対に漏らすな。うちの兵の誰ひとりにも気取(けど)られるな。自軍優位だと思わせて、押せ押せの雰囲気にしておくんだ」
 睦は黙したまま頷いた。事実、気取(けど)られては(いくさ)になるまい。
「さっちゃんとあっちゃんに指示書を出すから、馬の用意を。睦にはすぐに、さっちゃんを運んでもらうから、ふたり乗れるようにしといて。しずっち、本国に飛ばすから、伝書鳩を一羽連れてきて。三番の鳩で」
 沈もまた、何も言わずに頷いた。
「前線にいるふたりに指示書を届けたら、号令だ。笛を鳴らしてよ。全軍突撃、と。今をもって、作戦行動開始とする」
 告げられ、睦も沈もすぐさま動き出し、天幕を出た。人手が足りないことは理解していた。他の兵に気取(けど)らせたくないならば、知っている自分たちが動くしかない。
 天幕にひとり残った行は、墨汁の瓶と付け硬筆(ペン)を用意しながら、ふと、自慢の一番弟子と話をしたくなった。あいにく、敵の陣地にいる。結局、独り言として漏れた。
「さあ、

。一番弟子は、先生に追いつきたいんだろう?」
 筆記具は世にたくさんある。行が墨汁と付け硬筆(ペン)を好んで使うのは、それが自分を救ったからではなく、隠との出会いを導いたからだ。あの時の行にとって、救いの神は崖下(がいか)で見つけた死体ではなく、団子屋の(せがれ)だったからだ。
隠坊(かくぼう)、こんな時、西国だとどう言うか知ってるかい?」
 今、行はこうして喋っている。和語の発音を知っている。根気よく教えてくれたのは、たまたま会っただけの団子屋の(せがれ)――隠だった。
 凍罪(いてつみ)の島を買うための交渉は、国外で、一月(ひとつき)半に及んだ。その間に、行は洋語の発音をひととおり覚えてしまった。
 (きん)の指輪を眺め入る。言葉をどう音にするか、今度は自分が教えてやりたいと、行はそんなふうに思う。恩返しの意味もあるが、何より、まだまだ

でいたいのだ。隠に自負があるように、行にもまた、自負がある。
「Catch me if you can!!
 だから、今一度(ひとたび)、吼えた。
「あえて乱暴に和語に訳すなら、『捕まえてみやがれ!!』だ!」



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登場人物紹介

哭日女囁 なきひるめ・ささや 16歳、女。

四人組の傭兵、〈戦勝請負〉の一員である。

通称、焉の囁。

天栲湍改 あめのたくたぎ・あらた 16歳、女。

〈戦勝請負〉の一員である。

通称、矛の改。

双思沈 ならびおもい・しず 14歳、女。

貴人の出身。〈戦勝請負〉の一員。

通称、知の沈。

別千千行 ことちぢ・ゆく 13歳、女。

〈戦勝請負〉の一員にして中心人物。

稀代の戦術家。

乙気吹睦 おといぶき・むつ 26歳、女。

列椿国軍所属・従七位。

行付きの任を命じられる。

神幡姫潤 かむはたひめ・うる 17歳、女。

兵(つわもの)の頂点として知られる。

通称・魅の潤。

戯(おど)と名付けた大蛇をいつも連れている。

禍祓早 まがばらえ・はや 12歳、女。

“死処の姫”の異名を持つ。

通称・夜の早。

秋大忌隠 あきおおいみ・かく 21歳、男。

隣国・羽撃ちの国に雇われた軍師。

行の一番弟子。

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