第9話 困ったクラスメイト②

文字数 4,490文字

 分かれ道まで、篠田さんと歩く。足を進めながら、ヴァラナシについて語り合った。

 ヴァラナシはインドの町で、聖なるガンジス川が流れている。川の畔には、火葬場がずらりと並ぶ。1日に火葬される死体は、200体とも300体とも。人を焼く臭いは、魚の燻製に似ている。火葬場の周りに野犬や烏が集まり、肉のお零れを狙う。

 火葬されて灰になる死体ばかりではない。子供や病人の死体などは、宗教のルール上、火葬が禁じられる。重石(おもし)を着けて、川の真ん中あたりでドボンだ。

 川面(かわも)に流れる火葬後の灰、薪代が十分に払えず生焼け状態の人体の一部、重石が外れて浮いてきた死体。
 死体の流れる同じ川で、人間たちが沐浴をする。上流では食器も洗う。洗濯する人、歯を磨く人、いろいろだ。

 ガンジス川の面白味の一つは、〈浄・不浄の観念〉を崩してくれる点である。

 インド人は衛生面に関して大らかだが、宗教上の浄・不浄には敏感だ。

 火葬場は、右岸にだけ集まる。ヒンドゥ教の文化で、左は不浄とされる。左岸は閑散としていて、荒れ放題の原野が広がっている。烏の群れや、()からぬパーティをする若者の溜まり場となった結果、ますます不吉な空気を漂わせる。

 沐浴するヒンドゥ教徒たちに(なら)って、私も川に浸かった。1999年の冬の話だ。

「まさか」と疑いつつも、心の奥底でノストラダムスの予言の的中を恐れていた。不安な年越しを、ガンジス川の傍で迎えると決めたのだ。

 ノストラダムスは、1999年の7月に世界が滅亡すると予言した。夏が過ぎた時点で、既に予言は外れている。ただ、1999年の年末には《2000年問題》と呼ばれる懸念材料が残っていた。

 世界各地のコンピュータ・プログラムの一部は、年数を下2桁で表現していた。1998年なら98、1999年なら99、といった具合に。1999年が明けて2000年になると、99から00に移行する。つまり、1999年を越えたところで数は増えず、0に戻ってしまう。この現象のために、世界中でコンピュータが狂い、大混乱するのでは、と恐れられた。

 ノストラダムスの予言は世界滅亡の時期がズレていて、7月ではなく年末が正しいのでは、と疑う人が出てきた。

 一部の人間――少なくとも私の中には、破滅願望が(ひそ)んでいる。

 世の中がしっちゃかめっちゃかに混乱して、あらゆる価値観が壊れ、全部をひっくり返したい。予言の的中を恐れつつも、心の奥底では、ほんの少し期待している自分がいる。だからこそ、夏を過ぎてもまだ予言が当たるのではないか、と疑うのだ。つまり、往生際(おうじょうぎわ)が悪い。

 手漕ぎの舟を雇って、岸から離れた場所から静かに入水した。珈琲牛乳色の川水は、思ったよりも温かい。誰もを分け隔てなく、優しく包んでくれる。頭まで沈んだ。濁った水の中で目を開ける。何も見えない。足の裏が底に着くと、柔らかい泥を踏んだ。何十万、何百万もの死体の蓄積だ。

 連帯感。

 泥を踏んだ時に、頭に浮かんだ3文字である。

 日本に住んでいると、死を直視する機会は少ない。ガンジス川は明白(あからさま)な死を感じさせる。日常でゴネゴネと悩み、腹を立てたり笑ったりと忙しい私だが、あっという間に死は訪れるだろう。自分の死を想像すると、怖い。死後の処遇が未知だからだ。

 ときどき腹が立つ。人間は宇宙の果てまでロケットを飛ばせるようになったが、死んだらどうなるかは未知である。死後の身の振り方について、インド人も含めた世界中の宗教家・思想家・哲学者たちが、あれやこれやと説明する。説明を受けた私たちは、自己責任で信じることはできても、確証は得られない。

 死んだら何もないのか、死後の世界が存在するのか。
 わからないと、人生の目標が立てられないから困る。

 サッカーで考えよう。ゴールの場所が不明なら、どこへ向かってボールを蹴れば良いのか? 死の意味がわからなければ、生きる意味もわからない。なんという不親切。

 オカルト(occult)の語源は、ラテン語のオクルタ(occulta/隠されている)だ。隠れている、つまり、実体が不明だから怖いのだ。死の正体も理解できれば、きっと怖くないはずである。

 とはいえ、ゴネたところで状況は変わらない。死の意味について誰の説を信じるか、あるいは誰の説も信じない態度でいるか――決め兼ねている。

 死が〈オカルト〉の範疇(はんちゅう)と捉える私でも、皆が死ぬ事実は認める。川の中には死の先輩たちの残骸が、累々と蓄積している。取り敢えず、死は皆が通る道だとの連帯感が得られる。

 ヴァラナシの外れに、お気に入りの書店がある。高い天井まで届く本棚が並んでいる。インド思想・哲学、神話、サンスクリット関連の書籍がズラリ。インド内の有名どころの出版社の書籍を網羅しているばかりか、首都デリーの本部で独自に出版した刊行物も揃っている。

 本はインターネットでも取り寄せられるが、できれば現物を見ながら選びたい。郵送だと、傷んだ本を送り付けられるかもしれない。加えて郵便事情の問題もある。無事に届くかはギャンブルだ。

 レジの前には、老人が座っている。レジを打ってはくれるが、計算を必ず間違える。隣に孫らしき中年の男性が付き添っていて、「お爺ちゃん、違うだろ。お釣りは22ルピー」と正す。レジ係は孫の1人で足りる訳で、老人は何の役にも立たない。それでも仕事を任されていて、誇らし気な顔をしている。

 あの老人は、今も出鱈目にレジを打っているだろうか。既に灰になってガンジス川に流れたかもしれない。人間の尊厳を教えてくれる点も含めて、私にとってベストなインド思想専門書店だ。

 その書店の界隈は、本屋街である。日本のようなお洒落な書店は皆無(かいむ)だ。とあるヒンドゥ教思想関連の書店では、眼光の鋭い四人の老人が胡坐(あぐら)を掻いて待ち構える。上半身は裸、下半身は腰巻、肩にはヒンドゥ教徒の証である聖なる紐を()げている。敷居が高過ぎて、足を踏み入れられない。いつの日か、気負いせずに入店して、店員たちとチャイでも飲みたいものだ。生きているうちに、その域に達せられるだろうか? 私も、まだまだである。

「篠田さんは、ご存じですか? ガンジス川には『ガンジスカワイルカ』が生息しているんですよ」

 ガンジスカワイルカ。「イルカ」の名から、クリスチャン・ラッセンの絵画に登場するような、愛らしい姿を想像するだろうか? 実際は、とことん可愛くない。目は退化して、ほとんど見えない。歯はギザギザ。初めてガンジスカワイルカの画像を見たときの身震いを忘れない。あんなギザギザの歯をしたイルカのいる川に、何も知らずに浸かったとは。



「イルカで驚くのは早計。本当に怖いのは、ワニだ」
「ええっ? ワニもいるんですか?」知らなかった。「()みつかれたら終わりですね」
「たぶん、ワニで死んだ人は山ほどいる。ガンジス川には大量の死体が流れてるから、誰も気付かない。葬儀をしないで済むから楽だ」

 腹の底から笑いが込み上げる。何だろう、この感じ。自己分析が完結していないが、死体に(まつ)わる不謹慎(ふきんしん)なジョークがツボである。

 ヴァラナシの話に付き合ってくれる貴重な存在。篠田さんがもう少し歩み寄ってくれたら、私たちは友達になれるのに。60代の篠田さんとは、年がずいぶん離れている。が、インド思想の探求者同士なら、年齢差は簡単に越えられる。
 もっと仲良くなりたいと思う反面、「この人は私を『(けが)れた存在』だと思ってるんだ」と我に返ると、途端に()える。

 篠田さんだって、きっと寂しいはずだ。

 たまに帰る日本では、群馬県に古い民家を5000円で借りているそうだ。捨てられない荷物だけを置いて、1年のほとんどは海外を1人で放浪して過ごす。寂しいから「自分は特別だ」と信じたくて、超能力を求めるのだろう。認められたいのだ。私にも同じ傾向があるので、理解できる。

 カトマンドゥの郊外に、ある仏教僧の(いおり)がある。夜な夜な、人々が僧の話を聞きに集まる。講話のあとには質疑応答もあり、人々が悩みを相談する。大変な人気のある僧で、何冊かの本も出していた。

 年齢は、なんと、17歳。

 輪廻転生を信じるならば、肉体の年齢は関係ない。全ての人間が生まれては死に、また生まれてはまた死にを繰り返す。現世で何歳かなんて、気にする必要があるだろうか?

 ヒンドゥ教の考えでは、人間はこの世でカルマの回収を求められる。

〈カルマ〉とは、〈行い〉全般を指す。善い行いをすれば、巡り巡って報いが返ってくる。悪い行いをすれば、同等の厄災が振って掛かる。向日葵(ひまわり)の種を()いても、薔薇(ばら)は咲かない。遅かれ早かれ、自分の行いどおりの成果を受け取る結果になる。悪いカルマを回収し終わるまで、生と死のループが続く。ただし――

 稀に特別な人間が生まれてくる。(はな)から〈カルマ回収ゲーム〉の免除を受けた特待生だ。人類を守り、意識の底上げを図る使命がある。

 ヒンドゥの神々の一柱に、ヴィシュヌがいる。ヴィシュヌの役割は、この世界の維持とメンテナンスだ。使命を(まっと)うするため、時代に合った姿形(すがたかたち)で地上に繰り返し生まれ落ちる。なんと、10回も。

 ヴィシュヌの「दशावतार(ダシャアヴァターラ)」は有名だ。〈ダシャ〉は〈10〉、〈アヴァターラ〉は〈化身〉である。インターネット上で自分の分身として表示するキャラクターを〈アバター〉と呼ぶが、語源は〈アヴァターラ〉だ。

 ヴィシュヌの10のアヴァターラは、次のとおりである。

① マツヤ 魚の姿
② クールマ 亀の姿
③ ヴァラーハ 猪の姿
④ ナラシンハ 半分がライオン、半分が人間の姿
⑤ ヴァーマナ 矮人(わいじん)(小人とかドゥワーフみたいな。人間より小柄)
⑥ パラシュラーマ 斧を持つラーマ。戦士
⑦ ラーマ ラーマ王子。英雄
⑧ クリシュナ ヒンドゥ教の神の一柱
⑨ ブッダ 仏教の開祖。智慧者(ちえしゃ)
⑩ カルキ 救世主。最後のアヴァターラ

 この並びを見て、何かに気付くだろうか? 特に、前半部分に注目だ。

 魚類、両生類、哺乳類。そう、進化の過程を追っている。ダーウィンの進化論など全く知られない古代において、インド人はこの順番を直観で把握していた。



 ①から⑨までは、既に現世に現れ済みだという。残りである⑩のカルキは、カリ・ユガの末期に現れる救世主だ。白馬に乗っている姿、あるいは馬の顔をしているとされる。

 ぜひとも、白馬に乗っているほうでお願いしたい! 最後の救世主が馬面(うまづら)(いや)

 思うに、篠田さんは自分をカルキだとでも勘違いしている節がある。そんな訳はないが。リカルドを傷つける分、現世でもカルマを作りまくりだ。馬面でもないし。

 試しに、訊いてみた。「ねえねえ、篠田さんって、乗馬はなさいます?」
「まさか。馬に乗って遊んでいる時間はない」

 ――ですよね。

 乗馬の趣味でもあったら、どうしようかと思った。馬との縁に気付けば、「自分=救世主」説を助長させそうだ。危ないところやで。

 あっ、でも、待って。篠田さんの日本の住所は、群

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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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