散り菊

文字数 691文字

じゃあ、またね
長い沈黙の後、彼女はそれだけ言って僕に背を向けた。

白いスカートがふわりと翻る。


ああ、と声にならない吐息がもれた。


彼女は振り返らない。

二人で一緒に登った石畳の階段を、とつとつ、とつとつと彼女は降りていく。

それすらもやがて見えなくなって、ああ、と今度は確かに声がもれていた。

情けないくらいに震えたその声に、僕はまた、ああと絞り出すように喉を震わせる。


彼女がいないとだめなのは、本当は僕の方だったのに。


それは痛いほどに分かっていて、けれどもそれはもう、どうしようもないことだったから。

彼女はそれに気づいていただろうか。

気づいて、いただろうな。


それでも僕は、前に進まなければならないと、そう思ったから。

死んだ人間が前に進むってどういうことだよって、自分につっこみをいれたくなりながら。


だからこそ僕は、彼女の幸せを祈ることにした。

それが一番なのだと、何度も何度も、自分に言い聞かせて。



まぶたを下ろす。

彼女と過ごした温かい日々が、まぶたの裏いっぱいに広がって、鼻がつーんと痛くなった。

それでも僕は、記憶の中の彼女の笑顔を思い出すたびに、これからも彼女が笑顔でいられる未来を想像して、胸にじんわりと広がる温もりを感じていた。


僕は今まで、彼女の笑顔に救われてきた。

たくさんの笑顔をもらってきた。


だからこそ、これからは。



どうか彼女が、彼女に笑顔を与えてくれる人と出逢えますように……。




――その祈りをさいごに。


僕の意識はゆらゆらと、心許なくて、だけれどもどこか懐かしくて温かいところへ、ゆっくりと溶けだしていった――



――さよならも言えない僕のかわりに、
またね、と言って君は僕に背を向けた。
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登場人物紹介

「じゃあ、またね」

「――」

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