Dr.ニコルの検死FILE

エピソードの総文字数=1,083文字

 それからというもの、ニコルはデイヴィッド警部に付き添われ、毎日のように聖ニコラオス孤児院に通う羽目となった。
 おかげで日々ヘトヘト。だからこうして狭い研究室で好きなダージリンを飲んでいる時が、唯一の心安らぐ時間となっていた。
 だが、キャッスルトン茶園の極上の香りを楽しんでいるそんな至福の時に、その凶報は舞い込んできた。
「四件目の事件が起きやがったぞ!」
 その顔に怒りの色をにじませながらデイヴィッド警部が飛び込んできたのは、三件目の事件から五日後の、十二月四日の朝だった。
「今度はどこなんですか?」
 凶報に顔を曇らせつつも、ニコルは訊ねた。
 むろんだいたいの察しはついている。要はイースト・エンドのどこであるか、ということである。
 しかし、デイヴィッド警部の口からは、とんでもない情報が飛び出した。
「テムズのほとりだよ」
「テムズ川ぁ?」
 この答えには、さすがのニコルも驚かずにいられなかった。手にしていた紅茶も、机の上で思わずカチャンと鳴った。
 テムズ川はロンドンと海とを繋ぐ水運のメッカ。当然イースト・エンドにもテムズ川は流れている。
 だが、それほどまでに水運が盛んなテムズ川のほとりともなれば、人の往来も多く、当たり前のように目撃の可能性も増える。それがたとえ日常的に治安の悪いイースト・エンドでも、である。
 誰もそんなところで犯罪を起こそうなんて、ふつう思いもしないだろう。
 それゆえスコットランドヤードの警戒網も、テムズ川周辺は若干手薄にしていた。つまりはまんまと警戒網の裏をかかれた訳である。
 この事件に直接当たっている警官たちの苛立ちは、如何ばかりのものだろうか。
 それは目の前にあるデイヴィッド警部の形相を見れば、火を見るより明らかだった。
 だからこそ、もはや苛立ちを隠せないほど焦れていたデイヴィッド警部は、
「そら、行くぞっ!」
 言うやいなや、ニコルの研究室を一目散に飛び出しもしたのだ。
「ど、どこへですか?」
 ニコルは慌ててその後を追う他はなかった。
「決まってるだろ。現場だよ、現場!」
「現場って言ったって、たしか警部はスティーヴ警視に邪魔をするなって釘を刺されてたんじゃあ……」
「んなこと、知ったことかぁ!」
 言って、および腰のニコルの襟首をむんずとつかんだデイヴィッド警部。そのまま嫌がるニコルをズルズルと引きずって、スコットランドヤードを後にした。
「ちょっ、ちょっと、そんなところ引っ張らないでぇぇぇ……」
 そんなニコルの困惑した叫び声は、無情にも遠くかき消えていくだけだった。

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