一話完結

文字数 1,889文字

「ねぇ、野球しない?」

 美香の口から放たれた突拍子のない言葉に、わたしは口を開けて驚いたが、ミッチーも同じリアクションだった。

「えー突然どうしたの」
「いや、なんか、グラウンドを見たら、昔を思い出しちゃって」
「なにそれー、あたしたち、いま夏祭りに来てるんだよ?いまだって、ほら、みんな浴衣じゃん。昔なじみで久しぶりに会って花火みよーって言ったのは美香だよね」

 歩道には屋台が並び、提灯が夜を照らしていた。河川敷にはすでにレジャーシートが埋め尽くされている。誰しもが星空に映る七色の花火を待ちわびていた。わたし達も例にもれず、草花の上に体育座りをしている。

「・・・いいかも」

 草の上を跳びはねるバッタを見ながら呟いたわたしの言葉に反応したのは美香だった。

「ね、いいよね、いいよね」
「え、ちょっと待ってよ。本当にするの?そもそもボールは?」

 実はねー。ワクワクを抑え込んでいる声を出しながら、美香はバッグをあさり、中から純白のボールを取り出した。

「じゃじゃーん」
「まじか、こいつ」
「ね、いいでしょ、いいでしょ。ここに来る前にさ、あったじゃん。真っ暗なグラウンド。誰が使うんだっていう、雑草もぼうぼうの」
「えー、本当にやるのー?本当の、本当に?」
「そんなにミッチーやなの?」

 足の爪をいじりながら不平を言うミッチーは、だってーと口にするがそれ以上は言葉に出さなかった。

「よっしゃ、じゃあグラウンドまで競争ね、いちばん遅い人がジュースおごりー」

 美香は颯爽と立ち上がり、そのままポニーテールを揺らしながら駆けだした。それにつられてわたしも走りはじめた。
「ちょ、ちょっと、せっかく有名な花火大会だからってここまできたのに。なんでなのよー」
 ミッチーは不満を叫び、それからわたし達の背中を目指して駆けだした。
 人の流れに逆行しているわたし達を、みんなが不思議そうに見つめていたが、恥ずかしさはなかった。口角を上げ、ワクワクを噛みしめた。

 いっちばーんと美香がピースをしたが、わたしは呼吸を整えるのに必死だった。美香は息が上がっておらず、ボールを手に持って、何度も投げる練習をしている。
 最後に来たのはミッチーだった。ぜぇぜぇと息を吐きながら、到着してすぐにわたし達を睨みつけた。

「ほんと、ありえない、はぁ、めっちゃ、疲れた」
「ミッチー、痩せたら?」
「うる、さい」

 グラウンドというよりは、空き地であった。細かい砂が辺りに散らばっており、奥は森のように深く木々が生えている。周りは柵で覆われていて、街灯の光が淡く照らしているが、それでも暗くてシルエットしか見えなかった。
 美香はサンダルを引きずらせながら、地面にひし形を作った。

「それじゃ、これがベースね」
「そんな本格的に?わたし、下駄なんだけど」
「そんなの、脱げばいいじゃん」
「えー、足が汚れちゃうじゃん」
「昔は逆に裸足がいいって靴を脱ぎ始めてたくせに?」
「ちがっ、ちょっと、昔のことだから」

 暗闇で、誰がどんな表情をしているか、何も見えない。動作だけ。それすらおぼつかない。ミッチーがぶつぶつと独り言のように恨みを述べていた。すると、ヒューッと風を切る音の後に、鈍い音がミッチーから鳴った。コロコロ。わたしの足にボールが当たった。わたしの前にいたミッチーの姿が消え、下を見ると、頭を押さえながら、うーッと声をこぼした。
 
 やるぞー!
 待って、待って
 ほら、早く、外野がいないから、打たれたら終わりだよ
 そもそもバットは?
 そこらへんの折れた木を拾ってきなさい
 ちょっと、持ってないのかよ
 いーから、いくよ、一球目
 え、ちょっと、まって、まだ立ってない、転んだままだから、バットも持ってない
 知らない!いくぞー!

 その時、花火の音は遠くから聞こえた。その後に人々の歓声が町に響いた。
 花火の光はグラウンドを照らして、わたし達を明らかにした。
 美香の浴衣は砂にまみれており、ミッチーの下駄の鼻緒は切れて地面に投げ捨てられていた。足元を見ると、地面に無数の足跡がついていた。記憶にある、わたし達がむじゃきに走り回った、あの幼い足跡から程遠い、大人の足跡だった。

「はい、もう一球!」
 そう言って、美香は片足を上げた。球を打つはずのミッチーは転んだまま立ち上がろうとしない。まだ頭をおさえている。わたしは心配になり、彼女の顔に近づくと、クククっと抑えきれていない笑い声がもれていた。
「いくぞー!」
 まだ花火は止まない。赤に、緑、オレンジ。何度も色を変えてわたし達を照らし続ける。
 美香から投げられた白い球も、何度も色を変え、やがてわたしの元に届いた。
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