第一章  憎しみこそ我が人生なれど。

文字数 5,721文字

 思想洗浄と言うものがある。意志の優生学に係わるもので淘汰、先鋭化された意志こそ優生に繋がるものだ。端的に言えばイデアをより洗練させていけば意志はより明確に研ぎ澄まされ、周囲に感化させていく。意志の優生学には幾種類か存在すると推定される。より明らかのは教会だ。イスラム教程厳格ではないが、意志の洗練が視られる。そもそも古代教会がどの様な方法でローマ帝国を教会で埋め尽くしたか? その仔細は今日では謎に包まれている。福祉が発達したから、新しい教えだったから、聖霊の働きがそうさせたのだ、それ以外にも幾つものの説明がされている。記録が残っていない故に仔細が判明しない。 だが、その時代に多様な思想が存在し、帝国の旧い宗教を塗り潰していったのが覗える。数は力なり。コンスタンティヌス帝の時代、教会の勢力は最早帝国にとって無視出来るものではなく、迫害しようにも信徒の数が膨大だった故に国教として認めざる得ない状況を造り出した。その背後には無数の意志の強靭な信徒達が居た。始まりの救い主の継承者達の築いた巨大な歴史の流れ。
 だが、自分はその流れに逆らう様に不条理に対する憎悪を燃やしている。それと同時に虚無感に服している。心を病みながらも嘆きが止まらない。
 自分が不条理に気付いたのは何時だったか。それは定かではない。時代が暗い。そのことは良く憶えている。就職氷河期と呼ばれる時代だったか。この国には確かに深い深い闇が充満していた。多くの者が職に炙れ、働いても報いがない時代とも言えた。今では珍しくもない格差社会が到来したのは何時だろう? 確か、二千年代の初め辺りからだったか、それよりも前か。ソ連の崩壊と同時代にこの国の絶頂期は嘘の様に終わった。不良債権が残り、絶対に潰れないと謳われた銀行、生命保険が易々と倒産していくのを憶えている。そんな闇の時代の産物が消費者金融と呼ばれる代物だった。多くの家族が食い物にされた時代だった。当時は金利を法で定めていなかった為に一度借金を背負えば最期、持ち家まで盗られる時代だった。盗られる。正しくその通りだった。彼らは善良な市民を装い、優しい言葉で狡猾に催促の電話をしてくるのだ。この時代に電話に掛かってくる呼び鈴が悪夢だと感じる程に彼らはしつこく問いかけてきたものだった。
「お父さんはどこかな?」
 幼い子供の前では決して暴力的に対応せず、親を呼び出すと言う悪質さ。
 幼心に父に叱り付けられた記憶が朧げにある。同時代、国は何の対処もしていなかった。それどころか役場は税金が滞納していると電話口に子供の自分を恐喝してきたものだ。
 家の中での自分は惨めなものだった。父は借金故に母に頭も上がらず、時には逆に暴力を以って母を制する男だった。
 惨めだった。
 家族の事情は友にも話せなかった。自分は孤独だった。母は厳しく、頭痛持ちの為かいつも苛立っていた。その矛先が向かうのはいつも自分だった。ある日、何の切っ掛けか憶えていないが、畳に叩き付けられたのは良く憶えていた。成績が平々凡々ならば外の吹雪の中に放り出されたこともあった。親は自分に対する評価なんて大したものではないのだろう。愚図で鈍間程度にしか思っていない。そういった親子関係だからこそ内心では愛情など冷め切っていた。金と親、どちらかを選べと言われたら自分は迷った振りをして遠慮なく金を取るだろう。親は奴隷か何かにして他国に売り払えば良いだけの話だ。至極、当然の話だ。子を子と扱わなかった親だ。それに相応しい最期を用意してやるのが、子なりの役目だろう。いっそのこと、生きた儘親の体をばらして臓器を売り払うのも良い手かも知れない。そんな憎しみを抱く程に両親に辟易していた。
 学校では苛めに遭い、家に帰れば両親がいつも喧嘩ばかりしている。自分を虐待する母親を観て止める力もない父親を観て育った。
 惨めだった。ただ兎に角惨めだった。ひたすら惨めで救いなどなかった。幼いながらにして当時の自分は何に服従していたのか考える。
 虚無、或いは悪魔と呼ばれる存在に自分は服従していたのだ。世界を憎み、ひたすら災いを望む者へと自分は変貌していた。
 当時の自分はいつもこう問い掛けていた。
「神が居られるなら何故私達の不条理に黙されるのか?」
 聖典と呼ばれる書物が世界にあり、その書物によって今日の世界が成り立っていることを知ると憎悪の対象に神も加わった。
 何もしない神など救い主に非ず。不思議なことに憎しみの力が増し、神の存在を否定しにかかった。神は愛である。全き愛なら全てを救おうとするだろう。そこから賭けが始まった。神と自分の賭けである。神が自分に完全に神の存在を立証出来たら、いや、もっと言えば神が自分に完全に信じさせることが出来たら神の勝ちである。その時は自分が神に従順になろう。だが、神が自分達を救わず、無力で無能を呈したら自分はこう宣言するのだ。
「神など居られない。世界に救いなど存在しない。私が救われなかったのだ。だから、私自身が証人だ。神を信じようとした私が救われなかったことこそ神の非在の何よりの証明になるのだ。故に神は居られない」
 現に神は何もなされない。世界は不平等が蔓延し、一部の特権階級者のみが良い生活を送っている。冨に与れない人々はより弱い者達を揖斐って人としての醜さを露呈している。弱者が弱者を責め立てるのだ。
 こんな世界に救いなどあるだろうか?
 父母が子を平然と利用する。障がいを持つ者が健常者達に揖斐られる。友が友を平然と見下す。人が人を貶す。
 こんな世界の何処に救いは存在するのか? 
 その永遠の問い掛けに答える様に創造主なる者は自分に夢を通して言葉を語る時もあった。
「奇跡を見ても信じない者よ、赦される」
 この意味深な啓示を聴いても我々には理解し難い。特に自分の様な憎しみに満ちて生きている存在には。
 そう、憎しみなのだ。今日の世界は憎しみの連鎖に依って成り立ってもいる。
 教会が中東の宗教を赦せない様に。教会が異端を赦せない様に。東西教会が分かれた様に。新教と旧教が殺しあっている様に。
 近代で言えば、ナチスが神の民を憎んでいる様に。神の民がナチスを憎んでいる様に。中東の宗教が神の民を憎む様に。中東の宗教が教会に恐怖を植え付ける様に。教会が憎悪に呑まれ中東の過激派を憎む様に。
 そして人が人を憎む様に。
 こうして偽善の薄皮に覆われ、世界は成り立っている。
 世界の繁栄に犠牲に付き物だ。為政者は必ず言う。大義を果たす為に犠牲は付き物だと。そして、為政者は知っている。その犠牲の中に彼ら自身が含まれない事実を。
 大義を果たす為に正義を黙殺する。これは歴史の中延々と繰り返されてきたことだ。
 その事実を薄々感づいていても自分に出来ることは何もなかった。ただ怠惰で無力な希死念慮を浮かべる時間を無為に過ごしていた。十代の終わりに少々の無茶と人間関係の失敗から精神疾患を発症した。療養を兼ねて家族と過ごす。
 その際、自分は一人の人生を奪ってしまったことを告白しなければならない。その人は自分の弟だった。当時、弟は英語を学んでおり、それなりに上達していた。それを自分の進学の為に諦めさせてしまったこと。弟に何の返しすらも出来なかったこと。最も近き隣人を犠牲にして自分が生きていることは罪として数え上げられなければならない。
 唯、救いはあった。家族は自分の発病と共に自宅療養を選んてくれたこと。そこに愛情の欠片はあったかも知れない。当時は精神医学会に変化が見られた時代でもあった。優生法は廃され、精神疾患者が社会に出ることを少しずつ認められ始めた時代でもあった。経済的には不安定ではあったが、生活は出来る。そこに父の借金があっても、将来に対する不安があっても。
 そして、犬がいた。この子との散歩がささやかな自分の楽しみだった。事実上家庭など存在しないも同然も自分にとって安らぎでもあり、救いでもあった。
 このささやかな幸せが後に自分にある信条を持たせることなど予想していていなかった。
「神は『全てに救い』をお与えになる」
 世界を憎む自分がたった一つの存在を愛することを知ることで世界に神の救いが訪れると言う荒唐無稽な信条に至ったのだ。いや、精確ではない。至っていない。ただ、その入り口に立っただけだ。しかも微かに信じているだけに過ぎない。
 年月が経ち、衰えが目立ち始めた自分がこの信仰に行き着くなどとは皮肉だった。近頃は閃きすらない。知識は衰えていくばかりだ。罪故に骨は脆い、肉体も元々病弱だったものが更に病弱になった。
そして、何時しか自分の死を希う様になった。自分の職は介護関係に就いているが、そこは不条理に満ちていた。
 何故年配の方々が自宅で最期を過ごせないのか。その理由も判る。御家族だって介護に追われて生活に余裕がないのだ。何故障がい者の方々に居場所がないのか。その理由の一つも何となく判る。社会が彼らを受け容れる余力がないのだ。何故我々は居場所がないのか。これら三つの問題点にはある共通点が幾つか視られる。自由主義の時代の終焉から新自由主義への移行。旧冷戦終結に伴った社会保障システムの衰退。より端的に言えば。自由な時代で権力を手に入れた者達が冨を独占し、自分達の都合で社会を動かし始めたのだ。それはソ連の崩壊と共に顕著に現れ始めた。今日に至る格差社会の始まりである。いや、その言い方は正確ではない。格差は昔からあった。唯、この国には夢があった。高度な経済成長に伴う未来への明るい道筋を多くの者が描き出していたのだ。大国と肩を並べてこの国が歩む姿は誇り高かったのだろう。それが泡の様に弾け、暗黒の時代がやってきた。経済的に賃金が総合的に後退する、格差が拡大する、これらがこれまで経済的に恵まれなかった人々に侵蝕し始めて幾十年も経ち、今日に至った。
 自分も同じだ。障害を抱えたまま生きて社会の不条理に気付かなかった。いや。心の何処かでは気付いていたかも知れない。しかし、ことなかれ主義である自分は社会に声を挙げなかった。介護のおかしさに気付いていながら声を挙げなかった。今日では介護従事者ですら疾患を抱え、思う様に働けない人々が増え始めた。これは根本的由々しき事態であるのに業界では焼け石に水程度の措置しか採られていない。
 ことは単純なのだ。自分は無能力者だ。よって仕事で成果を出せず、本来解雇されてもおかしくない。それが起きないと言うことは業界そのものが人材と資金が枯渇しているのだ。確かに留保金が多いと指摘があるが、これは現場の事情を知らないデータのみ見た場合に判断されることなのである。改定加算は老朽化した設備投資に使う必要もある上に施設の維持に必要なものなのだ。資金の歪みがあるから人間関係も悪化する一因もあるが。これを解決するのも又資金なのだ。
 では、その資金は国から下りてくる予算で遣り繰り出来るものなのか? そうではない。医療・薬剤・福祉の中で福祉が最も予算が少ない。一見する巨大な業界に見えるかも知れないが、個々で判別すると予算の割り当ては少ない。
 これは私見だが、嘗ては福祉業界の為に尽力した信徒達がいた。彼らは政治の世界に入った。それは自らの意志と言うより神の思し召しだったのだろう。困窮した結核病の人々を助ける為のみならず、戦後間もない頃に数百万以上の人々が餓死する恐れがあると言う情報を聞いて立ち上がったのだ。そして、法案を寝食忘れて創り上げ、国会に通して戦ったのだ。
 しかし、今日にその姿を取ろう者は少ない。
 これは自分の責任であり、我々の責任である。今日に至るまで不条理に目に向けてこなかった。それが子々孫々にも荷物を背負わせてしまう結果になってしまった。
 もし、我々がこの社会がおかしいと感じても無関心でいるのなら我々はおかしい社会を黙認している。最も罪深いことは悪を行うことだけではない、悪が行われているのに係わらず、善人が悪を黙認することにある。古き人々はそう指し示した。
 だが、我々は黙する。
 しかし、真に信仰ある者らはこの世界に対して不服従を選ぶだろう。教会は殉教者の血種よりなるとは正にこのことに他ならない。
 それでも逃げたいと思う気持ちは罪なのだろうか。神は暗に示す。人生の受難こそ神がその人を愛した証明なのだと。
 それでも自分は苦難を厭う。世界を動かすのは同盟国の軍産学複合体、共産国の軍産複合体、中華の産軍複合体なのであれば、そちら側に加わりたくなると言うのが罪人の本性と言うものだ。無能力者である程、劣等感に駆られ、優生学に傾く。これも又罪人の本性ではないか。
 聖典には義に関して興味深い考察がある。ある者が神の律法を守り税金もしっかり納め、感謝を捧げる祈りがある。一方で律法の何も守れなく何も持たない愚かな罪人が神の前に憐れみを乞う姿がある。どちらが神は義としたかと言う譬え話だ。
 この答えは実際に聖典を読み開いた方が早い。
 それでも前者に憧れを抱くことはいけないことなのだろうか? 人であれば金持ちで在りたい、地位も欲しい、名誉も欲しい。これでもかと言う程力が欲しい。これは即ち現代の競争社会の礎を築いた純粋な欲求である。この原理に従うからこそ同盟国、共産国、中華国の大儀が成り立つのだ。世界とはそう言うものなのだ。劣等を弾き出し、優生に世界の行く末を阿る。
 だが、それにも係わらず、創造主は明白に語る。
『私の目には、あなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛し』
 この一言で世界中の人間全てを肯定するのだ。神と人間、どちらが正しいか? 子供に問い掛ける様な馬鹿げた問いだが、我々人間と言うものはその問いの本質と言うのが中々判断出来ないらしい。自分の人生を顧みても神の御心とやら優先させたことはないだろう。心の何処かで打算を着け、人生に諦観を見出す。敗北者とはそういう存在なのだ。
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登場人物紹介

ジ・オーダー……『秩序』にして『命令者』、『注文』の『騎士団』とも揶揄される存在。

子冬……少年と共に『全てに救い』を探求する者。気弱で病弱、心の病んだ者。 

少年……子冬に『全てに救い』を指し示し、共に道を歩む者。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

ウォリアー……同盟国の重要人物にして『使徒』でもある。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

毛……中華帝国の建国時のメンバーの一人。穏やかな性格で理想主義者でもある。(アイコンはあくまで参考用イメージ像です。読者様のお好みの姿で物語をお楽しみ下さいませ)

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