-remota- 第2話「銀と狐」

文字数 2,957文字

「…雨宿りかい。それは、大変だったろうねぇ。山の中で、こんな雨に降られては。…それも、君のような幼子が。」
陰陽師は、飄飄として狐を迎え入れました。しめたものだ、と狐は思っていたことでしょう。しかし、その思いは、続く陰陽師の言葉で忽ち搔き消えてしまいました。

「……なぁんて、ね。まさか、君の方から私を訪ねてくれるとは思わなかった。」
虫も殺さぬような顔をして、そのうえ笑顔さえも湛えながら、陰陽師である男は言います。

狐は心底驚き、即座に逃げ出そうとしましたが、男は既に洞穴を結界で鎖しており、逃げ出すことはかないませんでした。
甘く見ていた相手が一枚上手だったことを悟った狐は、己の死を覚悟しました。

「…飛んで火に入る夏の虫、とでも言おうか。どうやら私を陥れようとしていたようだけれど、残念だったねぇ。――ところで、君の名は何というんだい?」
「…。そんなもん、あらへん。…あったとしても、教えへんわ。」

「ふむ、そうかい。…それなら、君のその眼にちなんで、勝手に十六夜(いざや)と呼ばせてもらうよ。」
陰陽師には、狐の眼がすこし欠けた月のようにみえたのでした。

「…。………あんた、けったいな奴やな。」
物好きな奴だ、と狐は呆れます。名付けを拒まなかったのは、男の機嫌を損ねないためでしょうか。

「はははは。よく言われるよ。」
気を悪くした風もなく、男は笑うばかりでした。

「…。人の名前を勝手に決めといて、あんたは名乗らへんのかいな。」
「おっと、そうだった。これは失礼。――私は銀翅(ぎんし)、という名だ。もちろん、真名ではないけれどね。」

呆気なく名を明かしたかと思えば、ちゃっかりと偽の名を名乗る男――銀翅に、
なるほど陰陽師とはこういう抜け目のない奴がなるものなのかと、それまでの認識を改める十六夜なのでした。

「ところで君は、少々変わった話し方をするんだね。どこか余所の国からきたのかい?」
「そんな事聞いて、何になるんや。それより、さっさと此処から出さんかい。」

「言う気がないのなら、それでも構わないが。…もし君がこの山でないところから来たのなら、君を元いた場所へ帰してやれたらと思ったんだけれど。」
「…。…うちは、元々この山におった。」

「ふむ、そうなのか。だったら君は、伝承がいうところの、化け狐の末裔かい?」
「…さぁ。気づいたら、ひとりやったし。知らん」

「…。それなら、私たちは仇敵同士ということになるねぇ。…私は祖先のひとりを君の一族に奪われた。…君は、家族すべてを私の一族の者に奪われた。」
心なしか哀れむように、銀翅は言うのでした。
「やはり、人間は憎いのかい?」

物怪を哀れむなど、奇妙な人間もいたものだ、と十六夜は呆れます。――それも、物怪を封じるべき陰陽師である人間が。
「…知らん。うちはもう、関わらへんと決めたんや。御託はえぇから、はよ、ここから出せや。」

「…まぁ、そう言わずに。外はひどい雨だし、…そもそも、私の記憶が正しければ、泊めてくれるよう願い出たのは、君の方だったように思うけれどね?」
笑顔を湛えながら話すのは、この男の癖のようなものなのでしょう。十六夜にはその笑みは如何にも不気味に感じましたが、少なくとも問答無用で滅されることはないようでした。

「…そ…うやけど…。」
十六夜は、僅かに安堵していましたが、如何にも機嫌が悪そうに黙り込んでしまいました。
そんな様子を見ていた銀翅は、くす、と笑うと、改めて十六夜に向き直って、尋ねました。

「村の凶作を招いているのは、君かい?」
「知らん。うちは、なんもしてない。」

「何もしていないから、凶作になっているのではないかい?」
責めるようでもなく、ただ静かに問いかける銀翅の言葉に、驚いたのは十六夜のほうでした。
「は…?」

「では、問い方を変えよう。…村の祀事に、君が最後に参加したのはいつかな?」
「……?」
尚更意味がわからない、という顔をする十六夜でしたが、ひとまずは正直に答えるのでした。
「んー…、四年くらい前か? それが、どうした。」

「ふむ、やはりか。」
村に凶作の兆しが見え始めたのは、ちょうど、三年ほど前からなのでした。
「…では、君がここの神様なんだね?」

「…………。」
思いもよらない問いかけに、その自覚がなかった十六夜は、返す言葉をなくすのでした。

「……。その覚えがなかったのか、君は。」
銀翅は、さも珍しいものを見たかのように、静かに目を細めます。

「人間には関わりたくないから、山におっただけやのに。何でうちが神様なんかになってるんか、解らん。」
怒っているのか、驚いているのか、或いはそのどちらもなのか。奇妙な声色で、十六夜は言い放ちました。

「…山に籠っているだけで、段々と力は強くなっていくものなのさ。…私もそうだしね。」
またしても哀れむような声色で、銀翅はやさしく言うのでした。

「ふーん。」
相変わらず怒ったような声色でしたが、興味をなくしたかのように、ひとつ、溜息を零すのでした。

「………。しかし、残念だね。君が、そのような幼子ではなく女性であれば、私の嫁にでもできたのだけれど。」
「!? 待てや。何でそうなるんや」

「私の見立てだから、違っていたら済まないが。…幼子に化けるのは得意だけれど、それ以外はまだ難しいのだね? まぁ、村の女たちは子を育てるので手一杯だし、畑で見かけるのは男ばかりだしね。無理もないけれど。」
「………………。」
唐突に妙な話を始められた十六夜は、先程よりも一層奇妙なやつだ、と、呆れを通り越して感心してしまうのでした。

「反論がないということは、図星かい?」
「………呆れて、ものも言えんわ…。」

「ああ、そっちか。」
堪えきれなかったように少しふき出して、銀翅は笑うのでした。
「納得するんかい。…ほんまに、変な奴やな。」
そんな銀翅とは対照的に、十六夜の眉間の皺は、深くなっていく一方なのでした。

「…しかし、まぁ…、屍体でなら、たくさん見たはずだよ。山に捨ててあるのを。…私も見たくらいだしね。」
「……………。」
村で死んだ者達は、山に返すのが掟なのでした。村人たちにとって山は、ある意味で神聖な、若しくは穢らわしい、謂わば神域なのでした。
そのため村人たちは、よほどのことがない限り、山には立ち入らなかったのです。――陰陽師の家系を除いては。

「君が女に化けるのなら、私の嫁だと言って紹介できるよ。それなら、村に出ても誰も君を化け物扱いしないだろうし。…何たって、怪を祓う者の妻なのだからね。いつまで続くかは判らないが、村人たちが私に感謝している間くらいは…、君は敬われこそすれ、害そうとする者などおるまいよ。」
「…何やそれ。それがうちの得になると思ってんのか? あほらし。」

「…まぁ、夜は長いのだし、ゆっくり考えればいいさ。…私は一足先に休ませてもらうよ。おやすみ、十六夜。」
「……………。」

仮にも敵の前で、あっさりと眠る銀翅。
いっそ銀翅を殺して逃げてしまおうかとも考えた十六夜でしたが、なぜか、そうする気になれなかったのでした。
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登場人物紹介

十六夜

山に棲む狐。

銀翅

陰陽師の男。

銀翅に仕える少年。

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