文字数 2,481文字


 新幹線のホームに降り立った里中は、八条口に向かった。
 ここへ向かうほうが、歩く時間が短く、体力も少なくて済むのを知っていたからである。彼は順番待ちをしていたタクシーにチップを弾み、友人の待つ料亭へ急がせた。
「お久しぶりー」
 京都独特の語尾を延ばすやり方で、エッセイストの谷口が里中の顔を見るなり言った。料理はすでに並べられていて、彼はその前にどっかと腰を下ろし、猪口に口をつけていた。
「悪い思たけど、先にやらしてもろてまっせ」
「いいよ。どうせきみってひとはそういうひとなんだから……」
 コートを脱ぎ、座布団に腰を下ろしながら。「それにしても、今日は冷えるねー」
「なんや、きた早々駄じゃれかいな。京は冷えて当たり前。底冷えは京都の専売特許や」
 谷口は徳利の首をつまんで言った。「ま、一杯やり。寒いときはこいつが一番や。つまらん駄じゃれ飛ばしたところで、寒ぶうはなっても温とうはならんで」
「なんだよ。駄じゃれ尽くしはきみじゃないか――」
『そやさ会』という奇妙な会名の会長を名乗るだけに、この手のことばに敏感に反応するところが、この男っぽくていい。里中は思った。ときとして鼻につくベタさは否めないけれど、概して彼のことばにはひとの気持ちを和ませる膂力があった。
「ところで、今日はまたどうしたんや。急に電話かけてきて……」
「いや、実は、とあるひとから預かった原稿があってね」
「ほう。原稿ねぇ」
 谷口は首をひねるようにして続けた。「原稿いうても、そんなんしょっちゅう受け取ってんのんちゃうの」
「それはそうなんだけど……。今回の場合は、ちょっと特別なんだ」
「特別いうと……」
「それが、ホームレスが書いた遺書ともいうべき原稿でね。いま読んでるんだけど、舞台設定が京都になってる。それで、あながち作り物とも思えないし、取材をかねてきてみたんだよ」
「相変わらずやな。昔取った杵柄が忘れられん」
「いや。そういうわけじゃないけど、できれば出版してあげたいと思ってさ。だけど、うちが出すからには、ちゃんとしたものになってないとね」
「世間さまに申しわけが立たんいうわけや」
「そういうこと」
「いうことは、その原稿が御大のお気に召したいうわけやな」
「お気に召したというか、その原稿をもってきた土肥という人物が気になってね。詳しくは聞いていないんだが、どうやらそのホームレスと友達だったらしいんだ」
「ほう」
「なんでも、死んだホームレスがもっていた原稿の一番上に彼の名前や住所電話番号が書いてあったらしい。それを読破した彼が、そのあまりに不運な生きざまに涙し、なんとかできないものかとわたしのところに持ち込んだというわけさ」
「なるほど――。そういうことかいな」
 里中は谷口に例の新聞記事を見せ、ことの一部始終を語って聞かせた。同じ京都の住民、京には詳しい谷口には、なにか思い当たることがあるかも知れないと思ったのだった。
「うーん。これだけではようわからんなぁー」
 谷口は新聞の切抜きを里中に返しながら、首をひねった。「京は京でも、伏見のことはあんまり詳しないんや。まことにお恥ずかしいかぎりやけど、知識はあっても行ったことないんでな」
「そうか……」
「けど、この際や。一緒に行ったってもええで」
「お、行ってくれるの、ぐっさん」
「なかちゃんには、いっつも世話になってるし、たまに手伝いの真似事くらいはさしてもらわんとな、バランスとれん」
「ありがとう。こっち方面はよくわからないんだ。京都人に明るいきみにきてもらえるとはありがたい。恩に着らせてもらうよ」
「その『着らせてもらう』いう言い方が気に食わんな」
「またまた、そう絡みなさんな。久しぶりに会ったんだ。今夜は大いに呑もう」
「ああ」
 翌朝、里中と谷口はタクシーで伏見に向かった。
 谷口が主張するところでは、伏見は交通の便が悪く、交通機関を使うと却って不便というのだった。確かに地図で見ると、最寄の駅から現地に行くには、最短でも二十分は要しそうだった。
 里中は了承した。
「お客さん。これが新大手橋ですわ」
 タクシーの運転手が、見晴らしのよい土手の事前に車を停め、左手前方の橋に顎をしゃくって言った。「おそらくあっちゃにある、小さい橋が、言うたはる大信寺橋ですやろ。どないしはります。あっちゃまで行かはりますか」
「あ、そやな」
 奥に座っていた谷口が、降りようとしていた里中の腰を小突いて言った。「悪いけど、そうしてもらおか」
 土手の上の一本道を走り去っていくタクシーを見ながら、大信寺橋の小さな橋の上に立つと、吹き付ける風が二人の身体を押し退けるようにして過ぎた。身体を百八十度回転させて下流を見ると、左手前方に、いかにも酒どころ伏見にふさわしい歴史のありそうな酒蔵が建つ以外、付近に視界を遮るものはなにもなかった。
 里中が、ぶるっと身震いして眼下に目をやった。
 その先には、丈の高い枯れ草で覆われた土手の法面が下流に向かって続いていた。さらにその前方には、さきほどタクシーの運転手が教えてくれた新大手橋があった。遠目だが、そこにはホームレスの住居らしき構造物が見えた。
「ははあ、あれが新聞にいう、新大手橋下の宿泊施設やな」
 谷口が茶化すようにして言った。「そして、この下の河川敷を歩いてあそこに行こうとしてるときになんかが起こった。けど、その逆の場合もありうる。もっと上流を求めて、こっちに向こうてたんかも知れん。この橋から上は水量が多いけど、下流はそやない」
「確かに。この橋から下流の河川敷は、草ぼうぼうで歩きにくそうだ。当時は、寒波で凍てついていたらしいから、足を滑らせたのかもしれない。川の流れも、それから先は極端に浅くなっているし、入水自殺を試みたにしても溺死するほどの探さはないよな。あったとしても、せいぜい二十センチほどだったろう……」
 里中は、川幅と水の量が予想していたほどではなかったことに落胆し、新聞記事とは別の可能性を考えた。
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