どうか帰ってきてください後生です
文字数 2,254文字
朝起きたら、妻がいなくなっていた。クローゼットの中にある幾つもの洋服を残して、あとは全部すっからかんだ。
なんて事だ。私は悲しみに沈んだ。確かに最近はあまりうまくいっていなかったが、それでもこんな形で終わってしまうなんて思いもしなかった。
そういえば、ここ何年か彼女の手料理を食べていない。外で食事を済ませるのは彼女への気遣いのつもりだったというのに、彼女には終ぞ伝わらなかったらしい。夜遅くに料理を作って待っているのは大変だろうと思っての行動だったのだが、言葉にしなければ伝わるはずもない。
仕事が忙しくなった事を理由に、彼女の事がおざなりになっていたのかもしれない。最後に抱いたのは一年以上も前だし、一緒に食事をとる事も珍しくなってしまった。
ここ何年かは、会話もろくにない日すら存在した。私たちは、およそ夫婦と呼べる最低限の状態を保つ事ができなかったのだ。結果がこの通り空中分解。私の後には、何も残らない。
かつては、結婚を申し込んだかつてはこんな事になるなんて夢にも思わなかった。どんな悪夢だったとしても、こんな事が起こるなんて示唆してはくれなかった。ハネムーンはお金がないので国内で済ませたが、初めての結婚記念日にハワイへは行った。そのどちらもかけがえのない思い出であり、部屋の中にはその時の写真が目立つところに飾られている。
ただ、今見ると写真立てが、ちょっと埃をかぶっているようだ。私はそんな事にも気がつかなかった。
深いため息をついて、私はようやく部屋から出る事ができた。本当ならば一ミリだって動きたくないくらいに消沈しているものの、彼女がいないのなら朝食を用意するのは私の役目だ。なに、別に落ち込むような事じゃない。結婚前に戻った程度の事でしかないのだから。
そして、リビングに出ると、私の目はある一点に釘付けになる。つい先ほどまでもう二度と自分の心は動きてしまわないのではないかというほど沈み込んでいたというのに、“それ”を見つけるや否や思わず駆け寄ってしまった。
置き手紙。今時アナログな方法を使うのだなと思うと同時に、そんな方法をとってくれた事に感謝したい気分になった。この手紙を繰り返し読み返し、そのたびに涙を流す自分の姿が容易に想像できる。
『どうも愛しかった貴方
これを読んでいる時には、もう私は貴方の前にいないでしょう。こんな事をした後では信じてもらえないかもしれないけれど、かつては貴方の事を本当に愛していました。
今でも嫌いなどという事はありません。ただ、一緒に生きるには相性が悪かったのでしょう。それはどちらが悪いわけでなく、ひとえに運命じゃなかったというだけです。
どうか私の事など忘れて、どこかにいるだろういい人と幸せな生活を送ってください』
手紙の途中で、私はどうしても目を逸らさなくてはならなくなった。涙が溢れたのだ。どうしようもなく止まらなくなって、涙でインクが滲んでしまってはいけないからと顔から手紙を離した。
妻は、私の事をまだ想ってくれている。当然そこに恋愛感情などないと分かってはいるものの、こんな私をまだ見捨てていないのだという事があまりにも嬉しくて仕方がなかった。
ひとしきり涙を流した後に、私はようやく続きを読む。今度はちゃんと最後まで読まなくては。
『ところで、私は貯蓄が全くありません』
ん? なんで手紙にこんな事書く必要があるんだろう。
『このままでは出て行こうにもその先の生活がままならないので、少しお金を借りていきます』
あのアマ何やってんの? 泥棒じゃん。
『別に盗むというわけではありません』
盗んでるよ。
『お金ができたら必ず返します』
今返せよ。
ただまぁ、実際に生活できなかったら困るわけだし、多少ならくれてやるつもりで貸してもいいかもしれない。これでも8年にもなる付き合いだ。
私はそこら辺でのたれ死ねばいいなんていうような冷血漢ではないので、それくらいなら我慢しようというものだ。
『通帳は持っていきます』
のたれ死ね!!
あのアマ何やってんだよ!
『私が持っているので安心してください。失くしたわけではありません』
支離滅裂って言葉知らないのかな。
全然少しじゃあなかった。少し借りると言いはしているものの、ほぼ完全に根こそぎ持っていかれた。
ただ、私たち夫婦はお金の管理を各々でやっていたので、完全に空っ欠というわけでもない。夫婦の通帳と妻の通帳と私の通帳があり、言ってしまえば公認のヘソクリが存在していたような形だ。
あまり多くはないものの、少しばかりの蓄えならある。次の給料日まではなんとか凌げるだろう。
『貴方の通帳が何処か分からなかったからバッグごと持っていきます』
ああああああああ!!!!!
なんて事だよ! あのアマ本当ふざけんなよ!
つまり私の懐は完全に空になったというわけだ。なんなら貴重品まで入ったバッグも失われて、もはや万事休す。私は一ヶ月後の今日、朝を迎えられないかもしれない。
『重ね重ね、どうか貴方が幸せになる事を祈っています』
このアマ頭おかしいんじゃねぇの!?
私は手紙を細切れにした後、部屋に残っていたやたら豪華な妻の服を持って近くの質屋に走った。車の鍵まで持っていかれたので信じられるのは自分の脚だけだ。
あのアマ次会ったらぶっ殺してやる。
なんて事だ。私は悲しみに沈んだ。確かに最近はあまりうまくいっていなかったが、それでもこんな形で終わってしまうなんて思いもしなかった。
そういえば、ここ何年か彼女の手料理を食べていない。外で食事を済ませるのは彼女への気遣いのつもりだったというのに、彼女には終ぞ伝わらなかったらしい。夜遅くに料理を作って待っているのは大変だろうと思っての行動だったのだが、言葉にしなければ伝わるはずもない。
仕事が忙しくなった事を理由に、彼女の事がおざなりになっていたのかもしれない。最後に抱いたのは一年以上も前だし、一緒に食事をとる事も珍しくなってしまった。
ここ何年かは、会話もろくにない日すら存在した。私たちは、およそ夫婦と呼べる最低限の状態を保つ事ができなかったのだ。結果がこの通り空中分解。私の後には、何も残らない。
かつては、結婚を申し込んだかつてはこんな事になるなんて夢にも思わなかった。どんな悪夢だったとしても、こんな事が起こるなんて示唆してはくれなかった。ハネムーンはお金がないので国内で済ませたが、初めての結婚記念日にハワイへは行った。そのどちらもかけがえのない思い出であり、部屋の中にはその時の写真が目立つところに飾られている。
ただ、今見ると写真立てが、ちょっと埃をかぶっているようだ。私はそんな事にも気がつかなかった。
深いため息をついて、私はようやく部屋から出る事ができた。本当ならば一ミリだって動きたくないくらいに消沈しているものの、彼女がいないのなら朝食を用意するのは私の役目だ。なに、別に落ち込むような事じゃない。結婚前に戻った程度の事でしかないのだから。
そして、リビングに出ると、私の目はある一点に釘付けになる。つい先ほどまでもう二度と自分の心は動きてしまわないのではないかというほど沈み込んでいたというのに、“それ”を見つけるや否や思わず駆け寄ってしまった。
彼女からの手紙
である。置き手紙。今時アナログな方法を使うのだなと思うと同時に、そんな方法をとってくれた事に感謝したい気分になった。この手紙を繰り返し読み返し、そのたびに涙を流す自分の姿が容易に想像できる。
『どうも愛しかった貴方
これを読んでいる時には、もう私は貴方の前にいないでしょう。こんな事をした後では信じてもらえないかもしれないけれど、かつては貴方の事を本当に愛していました。
今でも嫌いなどという事はありません。ただ、一緒に生きるには相性が悪かったのでしょう。それはどちらが悪いわけでなく、ひとえに運命じゃなかったというだけです。
どうか私の事など忘れて、どこかにいるだろういい人と幸せな生活を送ってください』
手紙の途中で、私はどうしても目を逸らさなくてはならなくなった。涙が溢れたのだ。どうしようもなく止まらなくなって、涙でインクが滲んでしまってはいけないからと顔から手紙を離した。
妻は、私の事をまだ想ってくれている。当然そこに恋愛感情などないと分かってはいるものの、こんな私をまだ見捨てていないのだという事があまりにも嬉しくて仕方がなかった。
ひとしきり涙を流した後に、私はようやく続きを読む。今度はちゃんと最後まで読まなくては。
『ところで、私は貯蓄が全くありません』
ん? なんで手紙にこんな事書く必要があるんだろう。
『このままでは出て行こうにもその先の生活がままならないので、少しお金を借りていきます』
あのアマ何やってんの? 泥棒じゃん。
『別に盗むというわけではありません』
盗んでるよ。
『お金ができたら必ず返します』
今返せよ。
ただまぁ、実際に生活できなかったら困るわけだし、多少ならくれてやるつもりで貸してもいいかもしれない。これでも8年にもなる付き合いだ。
私はそこら辺でのたれ死ねばいいなんていうような冷血漢ではないので、それくらいなら我慢しようというものだ。
『通帳は持っていきます』
のたれ死ね!!
あのアマ何やってんだよ!
『私が持っているので安心してください。失くしたわけではありません』
支離滅裂って言葉知らないのかな。
全然少しじゃあなかった。少し借りると言いはしているものの、ほぼ完全に根こそぎ持っていかれた。
ただ、私たち夫婦はお金の管理を各々でやっていたので、完全に空っ欠というわけでもない。夫婦の通帳と妻の通帳と私の通帳があり、言ってしまえば公認のヘソクリが存在していたような形だ。
あまり多くはないものの、少しばかりの蓄えならある。次の給料日まではなんとか凌げるだろう。
『貴方の通帳が何処か分からなかったからバッグごと持っていきます』
ああああああああ!!!!!
なんて事だよ! あのアマ本当ふざけんなよ!
つまり私の懐は完全に空になったというわけだ。なんなら貴重品まで入ったバッグも失われて、もはや万事休す。私は一ヶ月後の今日、朝を迎えられないかもしれない。
『重ね重ね、どうか貴方が幸せになる事を祈っています』
このアマ頭おかしいんじゃねぇの!?
私は手紙を細切れにした後、部屋に残っていたやたら豪華な妻の服を持って近くの質屋に走った。車の鍵まで持っていかれたので信じられるのは自分の脚だけだ。
あのアマ次会ったらぶっ殺してやる。