第1話

文字数 2,891文字

それは6月の月曜日の朝、5年3組の教室で起こった。
先週、山梨から転校して来たばかりの裕一郎の席の周りには、何人ものクラスメイトが集まっている。
そんな中で、哲也だけがひとりその様子には無関心を装っている。僕はひとり離れた哲也の席に行き話しかけてみた。「何があったの」
「裏山でオオクワガタを捕まえたらしい・・・・」
「オオクワガタ!?ヒラタクワガタのオスじゃないの?」
「嘘だと思うなら、浩二も見せてもらってこいよ!
あいつ、話題作りしたくて駅前のクワガタセンターで買ってきたんじゃねえの」
クワガタセンターとは、駅前にある、昆虫を売っている店のことだ・・・
ここのところ、哲也は転校生の裕一郎の事が気にいらない様子だ。
僕は恐る恐る人垣に近寄ってみた。輪の中心に居る裕一郎と目が合う・・・「あ、浩二君、見せてあげるよ。ちょっとそこ空けてくれる!」
上から目線の言い方だ!こういう所が、哲也の気に障るんだろうとつくずく思う・・・「あ」一瞬、言葉が出なかった。見ると裕一郎の机の上には、黒光りする体長が6センチはあるかと思われるオオクワガタがハサミを持ち上げている。「どこで捕まえたの」・・・・・「学校に来る前にそこの裏山で・・・。浩二君はクワガタ捕る名人なんだって?」
「僕より、哲也の方だよ・・それより、裏山のどのあたりで捕ったの」
「神社があるだろう・・」「ああ、天祖神社だ」「その神社の後ろに大きなクヌギがあって、そこのウロ(穴)のところだよ」確かにあそこにはいいクヌギ
がある。何度か哲也と行って、ヒラタクワガタを捕まえた事がある。
「地面から1~2m位のところにウロがあって、樹液が溢れているんだ、
多分あの様子だと、明日の朝に行ってもいるんじゃないかな~」
いままで何度か哲也と捜しに行った場所だ、あそこでオオクワガタを見かけた事など一度もない。哲也の言う通り、昆虫センターで手に入れたのかもしれない。裕一郎は筆箱からピンセットを出すと、オオクワガタをつまみ、みんなの目線の高さまで持ち上げて見せる。「おお、スゲー」歓声が起こる。
哲也の事が気になり後ろを振り返りかえって見ると、一瞬目線が合うが、すぐに視線を外す哲也がそこにいた。

その日の帰り道、僕は裕一郎から聞いた話の一部終始を哲也に話しながら、石ころだらけのでこぼこ道を一緒に帰った。哲也は興味なさそうに、僕の話にはまったく食いついてこない。この話はこれ以上はやめた方がよさそうだなと思っていると、哲也が何処か遠くを見る目で「あの大きさのオオクワガタは、やっぱセンターのやつだな」「でも、本当に裏山に行ったみたいだよ」
「おいコージ、そんなに気になるなら、明日の朝、裏山に行ってみりゃいいだ
ろう!」哲也は熱くなると、僕の名前の呼び方がカタカナになる。
「それで、もっとデカいの捕まえてこいよ!そうしたら裕一郎の話も信じてやるよ!」そう言うと哲也は僕を残して走り去った。
そんな事を哲也に言われなくても、明日の朝、天祖神社のクヌギの前に自分が立っている姿を、僕は十分に想像できた。
その夜は、布団に入ってもなかなか寝つかれない、昼間見た裕一郎のオオクワガタが瞼の裏に浮かんでくる。確か兄ちゃんも哲也と同じ事を言っていた・・「もう裏山にはオオクワガタはいない、もしお前が見つけて捕まえてきたら、おれは逆立ちして歩いてみせるよ・・・」
もし裕一郎が本当に見つけて来たのなら凄い事だ・・・
これまで虫取り名人としてクラスの仲間から一目置かれてきた僕たちが、転校生ごときになんとしても負ける訳にはいかない!

翌朝、まだ陽も昇る前に家を出た僕は、天祖神社へ続く裏山の坂道をランドセルを背負いながら登っていた。
道脇の雑木林は、まだ十分に陽の光が届かない闇が続いている。あの暗闇の中には、息をひそめて何かが潜んでいそうな気がして怖くなる。後ろを振り返る勇気もなくなる、こんな時間に来たことを少し後悔し始めていた。「裕一郎は一人でこんな暗い山道を歩いてきたのだろうか?」
自分の足音だけを聞きながら歩くこと10分、やっとのことで神社の前に到着した。少し白みかけた空に向かってクヌギの木がそびえ立っているのが見える。立ち止まって見上げていると、自分のではない足音が後ろから迫ってくる・・・振り返ると「浩二、手伝いに来たぜ」哲也だ!「だったら最初から来て欲しいよ」文句のひとつも言いたくなる。「でも安心したよ、これで心配ない」
「あのクヌギだな!よし、行こう」クヌギの下まで二人揃って進んでみる・・
するとクヌギの木の中に、それも上の方に誰かがいる気配がする。
見上げた哲也が「おい、誰かいるのか!」
「僕だよ、裕一郎だよ、助けて!降りれなくなったんだよ」半泣きの声で助けを求める裕一郎がいた。哲也は呆れて「なんでそんなところに上がってんだよ」「降りてから話すから、助けてよ~」
哲也はとことん呆れた顔を僕に見せると「よし、わかった。いま助けてやるから待ってろ」そう言うと、裕一郎の足元まで登り幹に抱きついた。
「俺の肩を足場にして降りてこい。浩二!裕一郎が俺の肩に足を掛けた時に
重さで落ちないように、その下から支えてくれ」僕は言われた通り、哲也の足元まで登り、哲也を支えた。それからゆうに15分を掛けて、裕一郎は地上に降りて来た。「ありがとう。死ぬかと思った」
「いったい、どうしてあんなところにいた訳」裕一郎に聞きくと・・・・
「オオクワガタを捜しに・・・・」
「だって昨日つかまえたんでしょ」
「ここで捕まえたんじゃないんだよ」
裕一郎の前で腕を組んでいた哲也が「やっぱ買って来たのか」
「違うよ、あれは本当に僕が捕まえて来たんだ。前の山梨の学校で、ここに来る前に見つけたんだ。哲也君がクワガタが好きと聞いたから、あげようと思って・・・」
「え・・・」息をのむ哲也・・
「そうしたら、皆なが、裏山で捕まえたんだろって言うし、前日に弟と一緒にここの神社にも捜しに来てたもんで、言いそびれて、そんな風になっちゃって・・・本当にごめんなさい」
三人が腰をおろした境内にはすっかり朝の陽が射し込み、クヌギの木々の間から初夏の朝の風が吹き込んできていた。
哲也が立ち上がり、先程まで3人が登っていたクヌギを眺めながら、「クワガタ名人としては、この勝負は引き分け、かな?」
僕と裕一郎は顔を見合わせて微笑んでいると・・・
突然、哲也の顔色が変わり。「おい、あれ見ろよ!」例のクヌギのウロを指している。そこには朝の光を浴びて黒光りしている何かが動いている。慌てて駆け寄る3人の視線の先には優に7センチは超えていると思われるオオクワガタが・・・「マジかよ~」3人の声が揃う。哲也の目が血走る。「ぜってえ、捕まえる!ウロに逃げ込む前に捕獲だ。みんな慌てんなよ!!コージ!、虫篭用意」
「了解」
「ユーイチロー、お前ピンセット持ってたよな!」
「え!」
「早く出せ!」
「了解」
3人とオオクワガタの戦いが今始まろうとしている・・・・・
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