再びのさようなら
文字数 1,314文字
ある時、私は風邪で高熱を出して、なかなか熱が引かずに、ひとりでぐったりと寝込んでいた。寝たり起きたりを繰り返して、訳のわからない妙な夢と現実の間を何度も行ったり来たりしていたが、その中でひとつ、とても印象深く、懐かしい夢を見た。
なんだ、夢の話か、つまらない。などと思うかもしれないが、どうかそこをちょっとばかり辛抱して、少し読んでもらいたい。
私の実家は庭の付いた一戸建てで、大きくもなく、かといって小さすぎることもなく、極々一般的に建てられた家であった。
その実家の、一階の角の和室に私は立っていた。生まれてから家を出るまでの間、私が日々の大半を過ごしていた部屋である。
庭を見ようとして、庭に面したガラス戸に近寄り外を見ると、もう十年以上も前に亡くなったはずの飼い犬が、庭先にポツンと座って、こちらを見ていた。
雌の柴犬で、名前は茶々という。茶色いから茶々。当時四、五歳だった私がつけた、単純明快な名前だ。
その茶々が、昔のように庭にいる。夢の中の私は、しばし頭が混乱した。
──あれ、茶々は生きていたのだっけ? 死んだのではなかったかしら? やっぱり生きていたのだっけ……? いや、いや。茶々は、死んだ。そうだ、もう大分前に、死んでしまったのだった……。
段々と思い出した私は、そうっとガラス戸を開け、
「茶々! 何でいるの。何でいるの」
と話しかけた。
「おいで。おいで」
と呼んでみても、何故か茶々は、怒られた時のような、哀しそうな三角の目をして、その目をキョロキョロと泳がせたまま、私のいるガラス戸から二メートル程離れたその場所から、近づいて来なかった。
茶々が一向に動こうとしないので、私は思い切ってこちらから近づいてみることにした。
どういう訳で突然庭に現れたのか分からない茶々が、ふとした弾みで逃げてしまわないように、私は、おいで、と声を掛けながら慎重に手を差し出し、ゆっくりと近づいていった。
幸い、茶々は逃げることも、または消えてしまうこともなかった。私は伸ばした手で、とうとうその頭を撫でることが出来た。再び愛犬に触れることが出来たのが、私は嬉しくて、嬉しくて、「ちゃァちゃ、ちゃァちゃ」と、子供に呼びかけるように、あるいは自分自身が子供に還ったように呼びかけながら、幾度も撫でた。
そして、撫でているうちに、いつの間にかくるりと丸く体を横たえていた茶々を、腕で包むようにして、私も一緒に横になった。地面が肩に冷たかったが、構わなかった。
私は茶々の、少し硬い毛並の感触を手の平や腕で噛みしめ、ひたすらに話しかけながら撫で続け、いつまでもずっと、こうしていたいと願った。
最後の方では、もうこれは夢だとうっすら気がついていたのだ。いずれこの夢は終わる。嫌だと思った。
ああ、何故夢を夢だと気づいてしまったのか。気づいてしまったばかりに、この再会が幻だということ、再び「お別れ」をしなければならないことを解ってしまった。
無情にも、意識は少しずつ覚醒していき、反対に、夢の景色は視界の端から曖昧になっていく。その狭間で私は、あと少し、あと少しと、亡き愛犬の幻を、手の平に刻み続けていたのだった。
〈了〉
なんだ、夢の話か、つまらない。などと思うかもしれないが、どうかそこをちょっとばかり辛抱して、少し読んでもらいたい。
私の実家は庭の付いた一戸建てで、大きくもなく、かといって小さすぎることもなく、極々一般的に建てられた家であった。
その実家の、一階の角の和室に私は立っていた。生まれてから家を出るまでの間、私が日々の大半を過ごしていた部屋である。
庭を見ようとして、庭に面したガラス戸に近寄り外を見ると、もう十年以上も前に亡くなったはずの飼い犬が、庭先にポツンと座って、こちらを見ていた。
雌の柴犬で、名前は茶々という。茶色いから茶々。当時四、五歳だった私がつけた、単純明快な名前だ。
その茶々が、昔のように庭にいる。夢の中の私は、しばし頭が混乱した。
──あれ、茶々は生きていたのだっけ? 死んだのではなかったかしら? やっぱり生きていたのだっけ……? いや、いや。茶々は、死んだ。そうだ、もう大分前に、死んでしまったのだった……。
段々と思い出した私は、そうっとガラス戸を開け、
「茶々! 何でいるの。何でいるの」
と話しかけた。
「おいで。おいで」
と呼んでみても、何故か茶々は、怒られた時のような、哀しそうな三角の目をして、その目をキョロキョロと泳がせたまま、私のいるガラス戸から二メートル程離れたその場所から、近づいて来なかった。
茶々が一向に動こうとしないので、私は思い切ってこちらから近づいてみることにした。
どういう訳で突然庭に現れたのか分からない茶々が、ふとした弾みで逃げてしまわないように、私は、おいで、と声を掛けながら慎重に手を差し出し、ゆっくりと近づいていった。
幸い、茶々は逃げることも、または消えてしまうこともなかった。私は伸ばした手で、とうとうその頭を撫でることが出来た。再び愛犬に触れることが出来たのが、私は嬉しくて、嬉しくて、「ちゃァちゃ、ちゃァちゃ」と、子供に呼びかけるように、あるいは自分自身が子供に還ったように呼びかけながら、幾度も撫でた。
そして、撫でているうちに、いつの間にかくるりと丸く体を横たえていた茶々を、腕で包むようにして、私も一緒に横になった。地面が肩に冷たかったが、構わなかった。
私は茶々の、少し硬い毛並の感触を手の平や腕で噛みしめ、ひたすらに話しかけながら撫で続け、いつまでもずっと、こうしていたいと願った。
最後の方では、もうこれは夢だとうっすら気がついていたのだ。いずれこの夢は終わる。嫌だと思った。
ああ、何故夢を夢だと気づいてしまったのか。気づいてしまったばかりに、この再会が幻だということ、再び「お別れ」をしなければならないことを解ってしまった。
無情にも、意識は少しずつ覚醒していき、反対に、夢の景色は視界の端から曖昧になっていく。その狭間で私は、あと少し、あと少しと、亡き愛犬の幻を、手の平に刻み続けていたのだった。
〈了〉