いち

文字数 4,673文字

 校長が発した一言が、体育館中に大きな嵐を呼んだ。2学期の始まりを告げる式典であるのにも関わらず、生徒のほとんどが現実を受け入れがたいといった表情をしている。驚嘆、困惑、焦燥・・・何と例えるべきかは分からない感情が錯綜している。気付いた頃には、本来の厳粛な雰囲気は、微塵も存在していなかった。
「今の校長の話、マジかよ」
「一体どういうつもりなんだよ」
 隣で男子達がコソコソと話をしている。「コソコソ」がいくつも集まって、「ザワザワ」が生まれた。それくらい、突然の出来事だったのだ。私は終始口を塞いでいたが、内心は身の毛もよだつような不安に支配されている。
 -1週間に1度学級会議を開き、クラスに最も不要な生徒を投票する。そして選ばれた生徒は、学校から消されてしまう。
 こんな話を聞いて、正気でいられる人間はいるだろうか。10代そこそこの私たち中学生にとっては、受け入れがたい話だった。
「静かにしなさい」
 空気をスパッと2分割するように、校長は再び静寂を力尽くで引き戻した。壁際に並んでいる先生たちの表情は変わらずに引き締まっている。マイク台の前の教頭の額からは汗が何滴か頬を伝っており、ハンカチでそれを拭っている。そこまで驚いていないのは、恐らく校長から事前に知らされたからなのであろう。よくよく思い返せば、朝のホームルームのときから先生の様子が少しおかしかった。何処と無く落ち着かないというか、上の空というか。先生たちにも同じく、動揺の文字が垣間見えた。校長は一息ついた後、マイクの高さを微調整して話を続けた。
「もう1度言いますが、学校を良くするために、人員整理をします。みなさんは週に1度、クラスで必要の無い人を1人決めてください。先生や委員長が決めるのではなく、みんなで決めてください。クジ引きにするか、挙手制にするか、方法についてはクラスの自由です」
 また少し全体が騒ついたが、校長はさらに続けた。
「これはクラスが完全に良くなるまで続けます。つまり、期限はありません。みなさん、2学期は今まで以上に気を引き締めて学校生活を送ってください」
 教頭が、「気を付け、礼」と言った後、校長は壇上から降りた。 先生たちはなお、気が張り詰めている。
 その後、何事も無かったように校歌斉唱に移ったが、歌っている生徒はほとんどいなかった。またそれを注意する先生もおらず、ピアノの音だけが体育館に響き渡っていた。閉会の言葉が終わると、生徒たちはみんな順々に教室へと戻っていった。
 
 教室に入ると、もちろんのことこの話題でもちきりだった。
 私はひとまず、自分の席についた。椅子を手前に引いたその瞬間、藍美が肩に手を添えて言った。
「ねえ柚季、大変なことになってきたね。クラスから必要のない人を選ぶとかさ」
 藍美はとても話好きで、誰とでも仲良くなるタイプだ。物腰が柔らかくふんわりとした雰囲気で、男女分け隔てなく接することから、男女関係なく人気がある。校長の話の内容から慌てている反面、少し面白がっているようにも見えた。
「もし万が一、選ばれちゃったらどうなるんだろう」
 私が不安を口にした途端、藍美は表情を変えて不安な表情を見せている。誰かを選ばなければならないという後ろめたさと、何よりも自分が選ばれてしまうかもしれないという不安感に煽られながら、これからの学校生活を送らなければならないのだ。
「私のことは選ばないでね?ゆず」
 藍美はすがるような目で私を見つめてきた。
 少しおせっかいで、近所のおばちゃんのような性格を持つ藍美を嫌う人はいないであろう。 私からすれば不要な心配とも思えるが、ここはひとつ彼女を安心させることにした。
「もちろんだよ。藍美」
 私は心から藍美を選ぶつもりはない。クラスの多くと仲が良いことは言うまでもない彼女だが、私たちは特別に仲が良いからだ。正直、藍美以外の人とは、仲が悪いわけでもないが、良い訳でもない。正直どうでも良くクラスにそもそも興味がない。今回のことでクラスの誰かが居なくなってしまっても、私にとっては重要ではなく、むしろ嫌な人間が居なくなってしまうのは都合が良いように思えてさえもいる。
 私は仲良くない人に対しても上辺だけの反応を見せるのには少々自信がある。特別に好かれるようなタイプではないが、誰かに嫌われるようなことや自分の意見をぶつけるようなしない。そんな私は、このゲームを何となく乗り切れるような気がしている。
「よかった」
 藍美はすぐに胸を撫で下ろした。「約束ね」と指切りをして落ち着いたが、束の間もなく教室の前の扉がガラッと勢いよく開いた。クラス中の視線が向けられたが、先生はそれに見向きもせずに勢い良く教壇に登った。
「はい、じゃあ委員長号令」
 この大澤先生は、今年で27歳だが教師歴は2年目の新米だ。元々保険会社のセールスマンだったらしいが、学園ドラマに影響を受けて教師になったと自分で言っていた。このクラスに着任したての頃は一生懸命に、そして熱く生徒と向き合っていたが、今では卒なく授業をこなすだけになっている。聞いた話だが、民間企業出身ということが理由なのか周りの教師との折り合いがあまり良くないらしい。元セールスマンだけあって口が達者だが、当時の熱血教師感はすでに消え去っている。
「起立、礼、着席」
 淡々と号令を掛けた委員長の善行は、その名の通り真面目で正義感が強い人だ。クラスの意見を取り入れながら、真正面からクラスメートに向き合う正真正銘の委員長という感じである。委員長決めのときは選挙では真っ先に立候補したが、異論を唱える者は誰もいなかった。
「せんせーい。さっきの話、ホントなんですか?」
「ホントなんですかぁ?」
 着席するや否や真っ先に口を開いたのは夏実で、それに乗っかったのは春海だ。この2人はクラスの中でもヤンチャな女子で、一際目立っている。夏実は髪を茶色に染めている。オレンジブラウンという色らしく、学校では地毛ということで通している。みんな気を遣って髪色のことを話題にすることはないが、クラスのみんなには染めていることがバレている。
 一方春海は、サラサラの黒髪で、グレーのカーディガンをいつも腰に巻いている。この2人は常に行動を共にしており、発言するときも2人で1つの意見という感じだ。その風貌があってか、2人はクラス中から一目置かれている。
「ああ、本当だ。校長先生が言っていた通り、週に1回投票を行う。今から投票の機械を配るからみんな後ろに回してくれ」
 先生は銀色で無機質な機械をスーパーのカゴから取り出し、端から順番に配り始めた。手のひらに収まるくらいの長方形の装置で、小さい画面に1から9までの番号のボタンがある。受話器がない公衆電話のようだ。全員に配り終えた頃に、大澤先生がスッと息を吸い込み口を開いた。
「よし、みんな受け取ったか?これから毎週金曜日の帰りのホームルームのときに投票をする。そのときに、おまえらがこのクラスに必要のないと思う人の出席番号を入力してくれ。まずは電源ボタンを」
 先生がボタンの説明をしようとしたとき、教室の後ろのドアがバーンッと勢いよく開いた。
「グッドモーニング!」
 この声はムードメーカーの隆志だ。彼が遅刻をするときは、クラス中の目を引くために派手に登場することが多い。2学期初の登校日だけあって張り切っているのか、今日は馬の頭の被り物をしている。何千円したのか分からないが、そこまでしても笑いを取りたいのだろう。夏休みが終わる何日も前からこの登場を考えていたかと想像すると、自然と笑いが込み上げてくる。
「タカシ遅えよ!しかもなんだよそのお面は」
 先生が顔をしかめている横で臆せずに茶化しているのは佑太郎だ。ケラケラと笑いながら机をバンバンと叩いている。彼は一言でいうとやんちゃ坊主で、クラスの権力者だ。私たちだけでなく学校の先生たちも、彼に対してはなかなか強く出ることはできずにいるため、好き放題振舞っている。
「タカシー!ウケる」
「おもしろすぎる!」
 クラス中からドッと笑いが起き、注目は隆志に集まった。和やかな雰囲気になりつつあった教室に、「バーーン!!」と大きな音が響いた。無音になった教室内の視線を取り返したのは、大澤先生だった。
「おまえら静かにしろ!」
 賑わった雰囲気を押さえつけるように、先生の怒声が響き渡った。クラス内の視線の取り合いを制したのは大澤先生だった。その表情は、いつも間にか厳しくなっていた。そして小さな子どもに語りかけるように続けた。
「おまえら、危機感がないのか?1人ずつどこかへ連れて行かれるんだぞ」
「じゃあ聞くが、なんでこんなことするんだよ」
 声の主は、つい先程まで隆志を笑っていた佑太郎だ。彼は椅子の背もたれに最大限に寄りかかり、両手をポケットに突っ込んだまま言葉を吐き捨てた。
「そもそも、おまえらが勝手に決めたことだろう。やってられるかよ」
「え、どういう状況?」
 クラスのただならぬ雰囲気を察してか、隆志は被っていた馬のお面を脱いで自分の席についた。汗だくの顔を両腕で拭っている。佑太郎は、疑問を抱く隆志に簡潔に説明した。
「なんかよ、クラスで要らねえ奴を投票するんだとよ。それで、選ばれた奴はどこかに、」
「左遷される」
 委員長の善行が無表情で言った。
「あ?サセン?」
 佑太郎が不機嫌そうに聞き返した。
「左遷される。つまりどこかに連れて行かれるんだよ」
 善行は少し俯きながらではあるが、覚悟を決めたように言った。クラス中のみんなは、2人の会話を聞き入っていた。善行の様子を見ながら、佑太郎は口調を少し弱めて続けた。
「いちいち難しい言葉に変換すんなよ。大体、なんで俺らがサセンなんかされなくちゃいけないんだよ」
 佑太郎は左肘を背もたれに置き、足を組んでいた。
「そ、それは」
 困り果てた善行を見て、大澤先生がこのやりとりに割って入った。
「これは教育の一環なんだ。君たちはいつまでも学生じゃない。つまり社会でうまくやっていくための訓練なんだ。今のおまえたちには、『協調性』が必要だ。どこかのグループに属する限り、『和を乱してはいけない』っていう暗黙のルールみたいなもんがあるんだよ。少しでも和を乱す者がいれば淘汰されてしまう。そうならないようにするための試練だと、先生はそう思うな」
 いつも聞かされているが、大人が言う「社会に出たら」とかなんだとかいう説教にはウンザリだ。きっとそれは私だけではない。黙って聞いてはいるが、他の生徒も同じことを感じているに違いない。
「どうした柚季。何が言いたいことでもあるのか」
 自分の名前を呼ばれて咄嗟に「何もないです」と答えた。先生の話に不快感を持って聴いていたのが伝わってしまったようだ。
「とにかく、今言ったようなことを念頭に置いて生活してもらう。これは決定事項だ。仕方ないんだ」
 佑太郎の舌打ちとともに静まる教室。隆志は馬のお面をどこにしまおうか迷っているようで、隣の席の女子に「これ、いる?」と言っている。「いらないよ」と返され、お面を机の上に置いた。
 私は教室の窓から外の景色を眺めていた。この不穏な状況を表すかのように、空一面がグレーに覆われた秋曇が広がっている。そんな気落ちするような景色にでさえ、私は吸い込まれそうになるほど見入ってしまっていた。
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