母が、儚くなったとき

文字数 1,084文字

 母は死んだ。十四歳、中学二年の秋のことである。
 六限目の授業も終わり、放課後の、掃除の時間でのこと。私が、班の皆と一緒に、担当区画である体育館の掃除をしているところへ、担任の女教師が深刻な顔をしてわざわざやってきて、
「お母さんが、危篤だって。お父さんが迎えに来てるから」
 と小声で言った。母は、癌の転移で近頃入退院を繰り返しており、その時も入院していたのである。
 その頃の私は、人に感情を見られるのが変に照れくさく、恥ずかしく、そのときも、何事もない風を装いながら返事をし、何事もない風を装いながらわざと常のように歩いて教室へ戻った。そして、掃除の途中で戻って来て、こそこそと帰り支度をしている私を不思議がって、話しかけてきた教室掃除の友人にも、
「お母さんが危篤みたいだから、帰るね」
 と、これもまた何事もない風にヘラヘラしながら答え、友人の反応も見たくなく、逃げるように教室を出た。
 昇降口の前に、父のワゴンが停まっていた。普段、家族と口をきいてくれない父の車に乗るのは久しぶりで、気まずかった。


 病院では、すでに祖母が付き添っていた。入院中の母や私の面倒を見るために、一、二週間ほど前から、遠い田舎から出てきてくれていたのだ。
 他の患者の誰も居ない病室のベッドで、母は寝ていた。口は薄く開き、唇は極限まで乾いていた。
 私はすることも無いので、病室の長椅子に座っていたり、入院病棟のラウンジへ行って、窓から夕暮れの街並を眺めたりして時間を過ごした。そうしてあちらこちらとウロウロしているうちに、私は母のベッドの上の、足下のほうで、セーラー服のまま猫のように丸くなって、いつの間にかうたた寝をしてしまっていた。


 病院に着いてからどれだけ時間が経ったかわからない。四、五時間だろうか。その間に、近所に住む母の友人も二人、駆けつけていた。母のカラカラに乾いてしまった唇を、濡らしたハンカチでそっと湿らせてくれていたのを覚えている。
 私はラウンジで、その母の友人らと話をしていた。幼い頃から家族のように何かと良くしてくれていて、普段からある程度打ち解けて話すことの出来る人たちだ。すると、病室で付き添っていた祖母が青い顔で小走りに現れ、掠れた声で、
「息しとらん」
 とだけ告げた。私たちは急いで病室へ戻った。薄暗いままの病室で、医者が母の身体を調べ、〇時〇分、とだけ言った。父と医者とでそういう話になっていたのだろう、特に延命措置も何もせず、それだけで医者は出ていった。あっけないものだった。
 病室では、母の二人の友人だけが泣いていた。私には、何の感情も浮かんでこなかった。
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