監視される少女
文字数 4,156文字
日毬は頰に伝った一筋の涙をふき、決然と口にする。
ここぞとばかりに、俺は仕事の話を持ちかける。
日毬は息を吞んだ。
それから俺と由佳里が代わる代わる、どんな仕事なのかを説明した。
単純な話だ。防衛省の広報業務の一環として、今年度の防衛要領を一般向けにわかりやすく語る広報ビデオを制作するだけである。企業商品のPRではないから、最高レベルのスタジオやカメラマンを用意するほどでもない。
台本は用意されている。日毬のように真面目一徹な女の子なら、台本を覚えるのはすぐだろう。
広報ビデオは六〇分が二本。ポスター用の撮影と合わせても一日あれば足りる。だが出演する女の子は台本を頭に叩き込まなくてはならないから、そちらの方が大変だ。これらすべてで発注額五万というのは、正式にプロダクションに依頼するには安すぎる金額だった。しかし日毬が個人で受けてくれるなら、なんとか割に合うだろう。
――そんな訳で蒼通としては、この仕事を二〇〇万で受注したんだ。曲がりなりにも官庁に納品するものだから、いい加減なものは作れない。スタジオやら編集作業やらCG制作やら、すべて引っくるめれば赤字の仕事だな。だから五万しか出せない。それでも日毬がやってくれるかどうかだ。
なぜだか知らないが、日毬は感動に打ち震えているようだった。防衛省の仕事だというのが、日毬にとっては極めて重要なことらしい。
日毬は感極まったように、俺に身を乗り出してくる。
織葉颯斗……最初に防衛省前で貴公を見かけたとき、何か感じるものがあったのだ。しかも、連中に暴力を振るわれていた私を、身体を張って守ってくれた。我が党の初めての党費までもらってしまった。おまけに国防に私を携さわらせてくれるのだと言う……。どうしてこんな私に、そんなに優しくしてくれるんだ? 私はどうしたらいい? お前はきっと私のサンタクロースなんだ。もう胸がいっぱいで、どうやって今の気持ちを表現すればいいのかわからない……。
少しも優しくした覚えはないのだが、日毬は俺に尊敬の眼差しを向けていた。多分に誤解があると思う。
しかしこんな真っ正面から、しかも女の子からストレートな口説き文句のような言葉を投げかけられたことなど、未だかつてないことだ。日毬は素直な気持ちを吐露しただけで、深い意図はないのかもしれないが、言葉を受けた俺は頰が赤らむのを禁じ得なかった。俺とて女に慣れていないわけじゃない。だが、日毬のような女の子に出会ったのは、生まれて初めてのことだった。
由佳里が日毬の後ろから、そっと両肩に手を乗せる。
日毬ちゃん、なんてストレートなの。聞いてるお姉さんがちょっとキュンとしちゃったよ。いっそのこと付き合っちゃっていいと思うよ。先輩はチャラそうに見えて、意外と真面目なところもほんの少しだけ垣間見られる気がするから、ギリギリ安心してオッケーだからね……たぶん。先輩の私生活は知らないけど!
そう言いつつ、由佳里は日毬の両肩に手を添えたまま、今度は俺に視線を向ける。
由佳里に構っても仕方ないので、俺は仕事に話を戻す。
それにしても、まさかこんなに日毬が乗り気になってくれるとは思わなかったよ。こっちとしてはありがたいけどさ、ひとつ注意してほしい。仮にも広報ビデオに出演するわけだから、世間に顔が出ることになる。そういうのに抵抗感があれば無理な仕事だけど、それは大丈夫か?
日毬は大きくうなずいた。
――母上……どんな家庭なんだ……。
日毬はハッとして目を見開いた。
肩に手を添えたままの由佳里が、日毬を後ろから覗き込む。
日毬は顔を伏せ、表情を曇らせた。
真剣に落ち込んだ様子の日毬に、慌てて由佳里が口にする。
おずおずと日毬は、すがるような視線を俺に向けてきた。
俺はしっかりとうなずいてみせる。
日毬は顔を赤らめ、視線を伏せてはにかんだ。やがてコクリと、小さくうなずいたように見えた。
俺は腕時計を見やる。
俺も由佳里に同意した。
たしかに警察は、実際の被害が出るまではほとんど動いてくれないところだ。対応もおざなりなことが多い。しかし今回は、俺や由佳里が事件を目の当たりにしている。こういうときこそ、メディア業界に力を持っている蒼通の名前は、多少は役に立つだろう。警察としても、メディア関係者には特に慇懃に接してくれる。俺か由佳里が同行すれば、警察は嫌々ながらも耳を傾けてくれる可能性が大きくなるはずだ。
だが日毬は不思議そうに、俺と由佳里を見やってくる。
俺も由佳里も、目が点になっていた。意味がわからない。いや、わかりたくない。
間違いであってほしいと祈るような表情で、由佳里は俺におそるおそる視線を向けた。
だが、日毬の次の言葉で、俺たちの期待は無惨に打ち砕かれることになった。
ちょうどそのとき――。
――プルルルル……プルルルル……。
由佳里の携帯が鳴り響く。
怖じ怖じしながら、由佳里は携帯を取り上げた。
目の前で息を吞んだ由佳里に、相手が誰であるか俺にはすぐにわかった。
由佳里は涙目で携帯を耳元から離し、俺に助け船を求めてくる。
公安第三課は、公安警察のなかで、右翼を専門に扱うセクションだ。
愕然としつつも、俺は携帯を受け取ったのだった。