第71話 気が付けば、そろそろ1年が経とうとしていた……。

文字数 5,240文字

6月6日 0900時 【惑星オオヤシマ/地上宇宙港】

 ──何なんだよ、いったい……。
 惑星〈オオヤシマ〉。休日の地上港ロビー。待ち合わせた時刻よりもだいぶ余裕をもって到着していた王立航宙軍勅任艦長宙佐ツナミ・タカユキは、手にした個人情報端末(パーコム)に送られてきたショートメッセージの文面に、そう心中で呟いていた。

『一足先に着きました。航宙長と一つ前の便で先に行きます。遅れないでください』
 この場所での〝待ち合わせ〟を指示しておきながら、そのショートメッセージ1本を残して先に行ってしまった二人──クリハラ・トウコとハヤミ・イツキ──の〝らしくない〟振舞いに、そのときはただ怪訝な思いを抱きはしたものの、結局ツナミは、小さく肩を竦めただけで、大陸間を結ぶ真空輸送システム(チューブ)の発着場へと足を向けた。


 * * *

 私服姿──これはクリハラからの指示だった──のツナミは、士官学校時代の帰省の際と同様、グリーン車は使わずに普通車を利用した。
 勅任艦長宙佐という身分になっても〝身の丈〟に合っていない贅沢への出費は躊躇われた。休暇を取得しての私用だったし…──というより、ただ単にこちらの方がしっくりくる、と思っているからだが……。

 窓のない真空輸送システム(チューブ)の客車の左三列シートの通路側が指定された座席だった。
 座席のリクライニングの角度を調節していると、視界の端に人の姿が入り込んできた。
 顔を上げると、母と息子の二人連れが立っていて、視線が合うと小さく会釈された。どうやら同じ列の壁際の席が指定されているらしい。
 ツナミはいったん席を立って前を空けて言った。
「どうぞ……」
 親子連れは笑顔になってもう一度軽く会釈すると、奥の席へと前を横切ってそれぞれの座席に着いた。
 再び席に座りしなツナミは、ふと隣の席の少年を見遣る。少年は前の座席の背に備え付けられたディスプレイにたまたま映っていたニュースコンテンツの映像に心を奪われていた。
 その映像は、艤装のため高高度衛星軌道上のミシマ重工の航宙艦ドックに繋がれた〈カシハラⅡ〉のものだった。
 少年は言葉もなく、ただ目を一心に輝かせ、その姿に魅入っている。
 ツナミは少しばかり〝こそばゆく〟なって、正面に向き直ると目を瞑り両腕を組んでシートに深く座り直した。


 〈カシハラⅡ〉は、元はトリスタ級3番艦としてミシマ重工が受注し起工した帝国宇宙軍航宙艦〈アグロヴァ〉で、あのときの『ヴィスビュー星系辺縁の戦い』で失われた〈カシハラ〉の艦名を『エリン2世』陛下たっての希望で〝受け継ぐ〟という形で改名し、このほど進宙した新造艦なのだった。
 基本設計はキールストラ宙佐の指揮艦〈トリスタ〉と同じものなのだが、細部の艤装仕様が航宙軍艦艇様式に改められる予定で、その印象は大きく違ってくるはずだ。

 その艤装を控えた〈カシハラⅡ〉に、ツナミと3人──イツキ、クリハラ、マシバ──が艤装員の第1陣として赴任したのが、つい3ヶ月ほど前である。
 ちなみに主要な幹部乗組員(クルー)はかつての〈カシハラ〉の乗組員(クルー)が〝横滑り〟する形で集められており、〝艤装員長〟──つまり艤装を終え受領した後の初代艦長──は、陛下(エリン2世)の勅任艦長であるツナミなのだった……。


 * * *

 あの〈カシハラ〉の航宙(たび)の後、ベイアトリスで戴冠したエリン皇女は、帝政ミュローン皇帝『エリン2世』となった──。新皇帝の下〝王党派〟は地歩を固め、『アデイン連邦』『星系同盟』と結んで星域(エデル=アデン)の勢力図を一変させる。
 一方で〝反ベイアトリス派〟の門閥はスルプスカに参集し、帝都を脱出した『第一人者』フォルカー卿の下に『ミュローン連盟』の成立を宣言した。

 どうもこの辺りの話の難しさは、ミシマには予て判っていたことらしい。
 三か月に及ぶ軍事的な〝睨み合い〟を経て、この政治的混迷を回避すべく設けられた調整の場──『ミュローン会議』──は、帝政への帰順を求める王党派の強硬な姿勢に対し、これまでとは一転して各軍閥による半独立の地方王国化が本音の〝反ベイアトリス派〟の主張が平行線を辿った末、フォルカー卿の暗殺という最悪の結果をもって幕引きという、何とも後味の悪い〝茶番劇〟となって終わった。

 ──陛下の落胆は大きかったという……。

 会議が終わった後の星域(エデル=アデン)は、ベイアトリス主導の『帝政ミュローン』と、反ベイアトリスによる『ミュローン連盟』との〝全面対決〟の場となることが決まった……。
 これに先立ち、帝政ミュローンは巨大軍閥化した『国軍』を解体した。その上で、個々の諸邦・自治領が供出する戦力が、アデイン連邦宇宙軍、星系同盟航宙軍と共に新たな国家体制の下で統合運用されることになったのだが、戦禍を望まぬ新皇帝の想いとは裏腹に、星域(エデル=アデン)の混迷は深まるばかりだ。

 そして先の航宙(たび)で〝新生ベイアトリス王立宇宙軍〟を名乗ったツナミたちは、ベイアトリスの国籍を得て、『国軍』より改組された『ベイアトリス王立航宙軍』の軍人になっていた。

 ミュローン連盟との内戦が避けられぬ情勢下、王立航宙軍もまた戦力の拡充を余儀なくされ、一方、オオヤシマを始めとする星系同盟の帝政内部における発言力も大きくなっていく。
 同盟航宙軍の内部に王立航宙軍との一体化を推し進める動きが起こり、〝事変〟の前よりオオヤシマの民間ドックで建造中であった〈アグロヴァ〉の建造費を星系同盟が肩代わりすることで王立航宙軍に提供する、という形で、その軍備強化に一役買い、同時に恩を着せることにしたわけである。
 見返りに〈アグロヴァ〉は〈カシハラⅡ〉となって、その幹部乗組員(クルー)にはツナミたち元〈カシハラ〉の乗組員(クルー)が指名されることになった…──つまりツナミたちは〝政治的な手札(カード)〟であり〝道化(ピエロ)〟だ……。


6月6日 1100時 【イザナミ道都ツクシ/中央操車場】

 ──何だ……またか?

 クリハラとイツキとの次の〝待ち合わせ〟場所は、〝南大陸(イザナミ)〟最大の都市ツクシのはずだった──。
 懐かしいツクシの中央操車場で真空輸送システム(チューブ)を降りたツナミが、在来線に乗り換えるためコンコースを歩き始めた矢先、個人情報端末(パーコム)の着信を知らせる電子音(チャイム)が鳴った。
 今度はイツキからのショートメッセージだった。

『──〝氷姫(クリハラ)〟がちょっと寄り道したいんだそうだ
 悪いが先に行っててくれ
 追い付いたら、その時また連絡する』

 ──コレはさすがに……怒っていいんじゃないのか?
 ツナミは憮然と個人情報端末(パーコム)を懐に仕舞った。

 だいたい〈カシハラⅡ〉の艤装という大仕事で忙しくなろうという矢先に、〝コトミの育った場所を見てみたい〟と言い出して、休日ながら強引に俺を引っ張り出したのはクリハラなのだし、それに面白がって着いて来たのはイツキなのだったんだがな……。

 そんなふうな思いに苦笑が浮かぶ。
 もっとも、彼女(クリハラ)がこうして〝誘い水〟を向けてくれなかったらココまで足を伸ばすこともなかったのは事実で、久しぶりに故郷の街並みを見て懐かしい思いに浸っているのも確かだ。

 仕方なしにコンコースを進んで行くと、視界の中でローティーンのカップルがお互いの立ち位置を意識し過ぎてぎこちなく歩いていて、そんな様子に幾らかの既視感(デジャヴ)を覚えた。

 ──そうだ……。
 初めてコトミに誘われて〝デートらしきこと〟をして歩いたのは、この(ツクシ)だったっけ。確か小学六年生の冬休みの前だった……。
 ただツクシに新しく開館し(でき)た水族館を観に行っただけだったけど、コトミのヤツにせがまれて──…あれはあれで、ちょっと大人に近付いた気分だった……。
 あの水族館は、まだあるのだろうか……。

 そんなツクシの中央操車場の中を、実家の最寄り駅へと伸びる在来線の改札へと向かう。
 ──いま実家と言ったが、それはちょっと違う。正確にはツナミの家は彼が士官学校を卒業する前に母親が家を引き払っていたので、もうその町にはコトミの母親が、コトミの飼っていたコマリといるだけだ。

 いつもより歩調が遅くなっているのがわかるが、それは懐かしさからばかりではない……。
 あの時──ヴィスビューへの跳躍前のイェルタ星系で──ミュローンの少女ベッテ・ウルリーカにああ言ったものの、ツナミ自身、コトミの母親にまだ会っていなかった。

 気が付けば、そろそろ1年が経とうとしていた……。
 いい加減に覚悟を決めて、けじめを付けなければ──。

 そうツナミは思った……。


 * * *

 改札を抜けて在来線の車両のボックスシートに着く。ほどなく発車のベルが鳴り、ツナミの記憶の中の子供時代の頃と変わっていない内装の車両が動き出した。
 古ぼけてはいるものの清潔さを保っている車内は、相変わらず空いていた。
 ふと車中の家族連れに目が留まった。

 母親と──姉と弟だろうか…──、まだ幼い二人の子供……。
 開け放った窓から吹き込む風圧に女の子の長い髪が舞い、男の子の顔を叩いていた。男の子は、ただ黙ってされるに任せている。
 女の子の視線は、窓外の……地上港から打ち上がった往還機の引く雲を、しっかりと追っていた。

 ──たぶん航宙軍の関係者だ……。
 何となくツナミにはわかった。
 コトミのお父さんが任務で宇宙に上がる度に、ツナミもコトミと一緒に、こんな感じに見送ったから。

 窓外の景色に緑が多くなってきた頃、ツナミは席を立った。
 次の駅が、元のツナミの家とコトミの実家の最寄りの駅だった。


6月6日 1130時 【イザナミ道コロモ市/ギョウケイジ駅】

 最寄りの駅に着いてしまったものの、さてどうしたものか、ということになってしまう。
 コトミのお母さんに会うのであれば、クリハラとイツキを案内した後にしたいとツナミは思った。
 たぶん平静では居られないだろうと、そう思うから……。

 そうしていると、個人情報端末(パーコム)に着信があった。
 今度もイツキからで、あと40分くらいしたら最寄り駅西口のバスロータリーで落ち合おうと言ってきた。
 何だか〝土地勘〟を持ってそうな感じに少し引っ掛かるものはあったが、まあ待つより他に手があるわけでなし──…しかしショートメッセージを〝送りっ放し〟ってのはアリなのだろうか…──。

 とりあえずツナミは、駅前の自動販売機で薄く柑橘類で味付けられたミネラルウォータを買い求め、よく知った道を川辺に向かって歩き始めた。


 初夏の気持ちの良い風が、川沿いの堤防の上を渡っていた。
 どこからかトランペットの音が聞こえてきた。
 地元の中高生のランニングの列を自転車が追い越していく風景は、自分の世界がここで完結していた頃とあまり変わらない。

 そんな景色の中、ツナミはふと足を止めた。
 そう言えばここは、どちらかと言えば思い出したくないことのあった〝現場〟だった……。

 ──中学三年の春……、この町でのコトミが、一度だけひどく荒んだことがあった。
 理由はよくわからないが、顔を逢わせても無視されるようになり、しばらく口を利かないでいると、いきなりアイツは地元の高校生と付き合い始めたりして──ツナミには訳が分からなかった。

 その頃のことはあまり記憶にないが、ともかく面白くなかったことは覚えている。
 コトミのことも、その高校生のことも……、それから、あの頃の自分のことも──。

 そんな時……、部活帰りの薄暗くなった時間帯のこの場所で、二人を見た……。
 重なり合うように夕闇にとけ込んでいた人影(シルエット)を見たと思ったとき、ツナミはなぜだか視線を逸らせていた。
 半瞬の後、戻した視線の先の夕闇から、いまにも泣きそうな表情(かお)したアイツがとび出してきて、目が逢ってしまった。
 アイツの見開かれた瞳が何だかとても哀しくて、それが胸をざわつかせたんだ……。

 それで、アイツが何も言わずにその場から立ち去ると、後に残った高校生に、ツナミは何も考えず殴り掛かっていた。

 結果は…──〝ぼっこぼっこ〟で……、中三のツナミは敗北感で一杯になり、それ以上コトミのことを気遣ってやる余裕のないまま夏休みに入り……。

 ──…その夏のうちに、コトミのお父さんの遭難(こと)があった。


 * * *

 きれいな思い出というわけじゃないけれどそれは、この町でコトミとツナミが生きていた、という確かな記憶である…──。

 このことはクリハラとイツキ(あいつら)には言う必要(こと)はないな、と頭を振ったツナミは、駅に向かって戻ることにする。
 そろそろ再設定された待ち合わせの時刻だった。

 ──しかしあいつら、今度こそ時間通りに来るんだろうな。
 つぎ〝空振り〟させられたら、さすがにもう付き合いきれん──。

 ……と、そんな思いを新たにいま来た道をゆっくりと戻る。


 駅前に着いたツナミは、駅舎の外に見たことのあったような茶色の中型犬種の姿を見止めた。

 ああ……コマリじゃないか…──。

 そう思って(かたわら)に立つ飼い主へと視線を向けると、そこにいたのはコトミの母親じゃなく……、いまはここに居るはずのない人物──シンジョウ・コトミだった……。
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