道化師の冥利は孤独に尽きる

文字数 1,312文字


舞台。当初は疎らであった客席は、徐々に人が増えてきた。
回を重ねる内に、笑い声を発する人、その数、割合も、また然り。
一人の道化は、拡声器も持たずに舞台に立つと、腹の底から不満を叫ぶ。
何故、俺はこんな目に遭うのか。
何故、アイツは気が利かないのか。
何故、人間は同じ過ちを繰り返すのか。
道化の叫びは、幾ばくかのユーモアに包まれながら、世の真理を巧みに突き、聴く者を大いに愉快にさせた。
わずか数分の間で、卑屈で自らを焼き、僻みで世間を撃ち、憂いで人間を堕とした。
暗転。会場が一時の闇で包まれ、そこに拍手が瞬くと、また次の道化が灯りと共に現れる事になる。

一人の道化。名を「カラメ」と言う。
辛め。辛辣な事を宣いますが、所詮は薄汚い道化の戯言で御座います。不快に感じられても、ご容赦を。
彼は、いつもそう前置きをすると、怒涛の如く毒を撒く。
彼は、普段、あまり笑わない。
生きていて、面白い事など、ない。
何が愉快なものか。自分勝手に振る舞う者が蔓延り、損得勘定ばかりが、作り笑いと、聞こえない振りばかりが上手い人間が、謳歌する現世よ。
自分は何一つ、持っていない。
大切にするような人が無く、失って困る物が無く、さして、この世に未練も無い。
それは道化としては強みである。
誰にどう思われようとも、問題ではないのだから。自分の叫びが胸中を突き、激昂した相手に後ろから刺されようが、構わないのだから。
では、人間としてはどうか。
大切にしてくれる人が無く、宝物と思える物が無く、いつ死んでも良いとさえ、考えている。
カラメ。
「辛め」を意味する、その名には、もう一つだけ願いが込められている。
「絡め」
せめて、自分の想いが届き、誰かに気力を与え、決して見えない楔を打ち込む事が出来れば。
それは自分と他人が、僅かながら絡み、そこに何かしら生きた証のような代物が生まれるかも知れない。
そんな、名に隠された、彼の願いに、気づく者などいないのだけれど。

道化は舞台に満面の笑みで上がる。
明るく戯け、元気に語る。
そうでなくてはならない。
周囲は彼という人間を見に来た訳ではない。
彼という人間に、微塵の価値もない。
道化を見に来たのだ。
愉快にさせてくれて、楽しくさせてくれて、笑わせてくれる。
道化に価値があるのだ。
仮に、彼が、舞台の裏で頭を抱えていようが、腹を空かせていようが、そんなのは知った事ではない。道で死んでも、次の道化が代わりを務めるのだ。

舞台から降りた。
彼の顔から笑みは消えた。
言葉を発さず、自室に戻る。
頭を抱えて、低く呻く。
彼は毎夜、自分という人間を殺す。
出てくるな。お前は要らない。
道化なのだ。
唯一、自分が生きていられる方法、自分が価値のある存在でいられる道程。
愉快でなければ、自分は道化としても死ぬのだ。

彼の叫びの一説に、こんな文言がある。
「生まれてきてすいません。でも、産んでくれてありがとう」
文豪の名作から抜粋した一文に、母への感謝を加えた叫びは、前半と後半、どちらも人への気遣いが現れている。
彼自身は、いつ、誰に、気遣って貰えるのか。

道化になる前、彼は泣いた。
道化になって、彼は笑った。
道化を続けて、彼はまた泣いた。

致し方あるまい。道化師の冥利は孤独に尽きる。
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