筆持て立て。剣を取る者は皆、剣で滅ぶ【第二話】

文字数 1,530文字





 続いて僕らはラム酒をたっぷり入れた珈琲を飲む。
 珈琲はペーパードリップで淹れた。
「ギロチンか。物騒な話をしてるね、僕たちは、今。だけど、僕らの仕事だっていつも命がけだ。それこそ、ミッションをクリア出来なければ死ぬ危険性のある現場が多い」
「怖いか、山茶花」
「怖いよ、そりゃ。いつだって僕はおびえているさ。そう言う猫魔はどうなんだ」
「おれだって……怖いさ」
「意外だな。あっさり白状するなんて」
「死の不安のうちに生きる……それは〈本来的〉な生の在り方だ。ハイデガーは主著『存在と時間』の中ではっきりとそう書いている」
「不安? ……不安、か」
「そう。〈不安には対象がない〉んだ。不安の原因は〈ひとは必ず死ぬ〉ことで、だから〈自分にも必ず死が訪れる〉し、〈ひとはいつ死ぬかわからない〉。それは恐怖する対象がないことでもあるだろ。それは後述するとして、その、対象がない死というものが〈不安〉の原因だって、ハイデガーは言うんだな。でも、その不安の中を生きるのが本来的な生の在り方であり、恥ずかしいことではない。むしろ、死の不安を忘れているのが平均的日常性と呼ばれていて、人間の日常は死の不安を忘れているんだが、それは〈非本来的〉な生き方だ、って言うのさ」
「死は、いつ訪れるかわからない。そうだね、数秒後、自分では理由が不明に僕が死んでも、それはあり得ることで、それほどいつ来るかわからないのが死、か。そりゃ、不安だ。自分の死は避けられない。ひとは必ず死ぬ」
「そういうことさ。そんな人間の運命って奴を正当に非難出来る奴なんていないさ。死ぬときは死ぬし、生きるときは生きる。あるのはそれだけだ」
「あはは。その口ぶりじゃ、猫魔はあまり不安に陥る生き方はしてないように見えるよ」
「いや。不安で、怖いさ。死が。おれは誰よりも臆病だ。だから、せめて探偵中に死なないように、仕事を完遂させることをいつも考える。それでも、失敗の連続だが、な」
「破魔矢式猫魔が失敗の連続だって言うなら、僕はどうするのさ。失敗しかしないよ」
「お前らしい意見だな、山茶花。面白いよ。人間として失格してるんじゃないか?」
「生まれてすみません、ってな。確かに僕の生き方なんて、ヒューマン・ロストって言葉が合うね、きっと」
「まさに二十世紀旗手ならぬ、二十一世紀旗手、だな」
「違いないよ。太宰治に敬礼、だよ」
「ハイデガーに戻ると、不安というのは対象がない。なぜなら〈不安のもとは自分〉であり、〈自分が死ぬということ〉だからだ。そして、それを意識しているときに初めて、ひとは本来的な自分に直面している。これはつまり、自分は一人だ、ということだ。これをハイデガーは『単独性』と呼んだ。単独性は別に、物理的に一人である必要はない。大勢の人間に囲まれていたとしても、死の不安に襲われることもある」
「太宰というより、芥川龍之介みたいだな、〈ぼんやりとした不安〉で死んだ、あの異常なほどの秀才の最後のようだよ」
「『或る旧友に送る手記』に、ぼんやりとした不安が自死の原因だ、と書き残したんだったな、芥川龍之介は」
 話をしていたら眠くなってきた。
 目の前にいる猫魔も、頭をくらくらさせている。
 めずらしいこともあるものだ。
 でも、それもそのはず。
 今日も怪盗・野中もやいからお宝を守って帰宅してきたのだ。
 伊福部岳の雷神から手解きを受けた法術使いの怪盗・野中もやいは、未だに捕まえることが出来ない。
 破魔矢式猫魔の手を以てしても。
 ライバルと一戦交えて、疲れているのだろう。
 僕はソファに横になって、目を閉じる。
 猫魔も、勝手に部屋に戻るだろう。
 疲れた……。
 そして、泥酔した僕に眠りが訪れた。
 いや、死ぬって意味じゃないからね!



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登場人物紹介

破魔矢式猫魔(はまやしきびょうま):探偵

小鳥遊ふぐり(たかなしふぐり):探偵見習い

萩月山茶花(はぎつきさざんか):語り手

百瀬珠(ももせたま):百瀬探偵結社の総長

枢木くるる(くるるぎくるる):百瀬探偵結社の事務員

舞鶴めると(まいつるめると):天狗少女。法術使い。

更科美弥子(さらしなみやこ):萩月山茶花の隣人。不良なお姉さん。

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