祖父と祖母と

文字数 8,406文字

 逸る気持ちを抑えて終業を待ち、自転車置き場へ向かう途中、校門の方が騒がしいのに気がついた。
 なんだろう。
 野次馬っ気を催して向かってみると、
「一遥っ」
 解錠されて開放された門の隙間から、彰人くんが手を振っているのが見えた。
 それで下校中の生徒たちの視線が一遥に集まる。
「ど、どうしたの。ていうか、来てたんだ」
 一遥は恥ずかしくなって、小走りに歩道に出た。
 彰人くんはフィアットの500Xクロスプラスを正門前に駐車して、一遥を待っていたらしい。
「すごい車。かわいい赤だね」
 京都の洗練された大学生、ガタイはいいし、容姿は爽やか。
 こんな田舎の高校の景色には、それはそれは溶け込んでいないこと甚だしい。
「春休みにドライブがてら来たんだけど、今日は本家に世話になるつもりだから、送っていくよ」
「そうなんだ。でもいいよ、スクーターがあるから」
「いや、月曜の朝も送ってやるからさ」
 なぜか強く勧められて、一遥は根負けした。
 パタンと助手席に乗り込むのを、周りの生徒たち(モブ)が冷やかしながら見つめている。
「もう、期末試験か。高校生は」
 車が動くと、おもむろに彰人くんが切り出す。
「そうだけど。なんだか強引だね。どうしたの」
「いや、話したいことがあったんだよ。本王寺では、災難だったな」
「うん」 
 ありがとう、と一遥は改めてあの日の礼を言った。
「でも、なんで分かったんだっけ。一〇一号室がやばい状態だって」
「その話だよ」
 彰人くんがラグビー部の後輩たちや対戦相手たちを動員して、剣呑の場から一遥たちを救出してくれたときの流れには、よくよく考え直してみると違和感があった。
「俺は、廊下で高校生くらいの男子に会ったんだよ。うろうろと焦った様子でいたから、帰る部屋が分からなくなったのかと思って、声をかけたんだ。そしたらそいつ、驚いたような顔をして」
「もしかして、その人・・・」
 それは、十和だったのではないだろうか。
「一緒に来てたのか? どんなヤツだよ、見た目は?」
「一緒だったわけじゃないけど、もしかしたらと思って。短髪の男の子だよ。黒いコートを着てることが多いかな。そのときどうだったかは知らないけど」
「じゃあ多分、そいつで合ってるよ」
 そうだったのか。では、十和が助けを呼んでくれたということだったのか。
 でもそれでは、どうしてあの時、一遥たちの前に姿を見せなかったのだろうか。
「彼は、どこに行ったの?」
「分からないんだよ。というか、俺はいきなりそいつに助けてくれって言われて、半信半疑になるじゃないか。でもちょっとクラッとしたと思ったら次の瞬間、目の前に仲間たちがいっぱいいて、一〇一号室に突入した方が良いみたいな流れになっててさ」
「酔っ払ってたんだっけ?」
「いや、多少は呑んでたけど、正体をなくすほどじゃないよ」
 彰人くんは口を尖らせた。
「後輩たちにも聞いてみたけど、その男子が俺たちの部屋に入って来て、俺が聞いたのと同じような話をしたらしいんだ。でも、いつの間にかどこかに行ってしまっていたんだってさ」
「ということは、彰人くんの記憶が飛んだ一瞬の間に、彼が仲間たちにも事情を伝えて、その後でいなくなっちゃった、ってことか」
「流れとしてはそういうことだな」
 500Xは上り勾配へと突入し、その抜群の駆動力を発揮し始める。
「一遥がもしそいつと知り合いなら、この土日で会えないかな」
「それは、無理だよ」
 一遥は窓の外を見つめた。
 彼は、どこかに行ってしまったのだから。
 同じ学校の先輩だというのは、嘘だったのだから。
「どうして。知り合いじゃなかったのか」
「・・・」
「事情があるのか」
「最近ちょっと、連絡が取れなくて」
「ケンカでもしたの」
「そうじゃないんだけど」
「なら、直接会いに行けば良いじゃないか。俺が車を出すよ」
 前のめりな彰人くんの姿勢に驚いて、運転席の横顔を見た。
 彼はくしゃくしゃと後ろ髪を掻くと、
「さっきの話だけどさ、その男子と目が合ったときの、驚いた目が忘れられなくてさ。上手く説明できないんだけど、初めて会った気がしないというか、とにかく、方法があるなら会ってみたいと思ったんだよ」
「驚いた目・・・」
 あの日の本紀快速の中で十和を瞥見した気がした。その十和も、同じような目をしていなかったか。
「だからさ、ホントは、そのために来たんだよ。一遥」
 彰人くんがそこまでの関心を持つ理由をすぐに納得したわけではなかったが、一遥は彰人くんに今の状況を相談してみる気になった。
「彼と、トゥルヒスでマッチングしたんだよ」
 赤信号に引っかかって減速するタイミングで、英単語を読み上げるように言った。
 え、と彰人くんはブレーキを踏み込みながら口を半開きにする。
「98%だった。ファミレスで初めて会って、それから海でデートして」
「そうか、プレヒスじゃなくて、トゥルヒスに。一遥も結局、始めたのか」
 十二神社で一遥にトゥルヒスのことを教えてくれた彰人くんは、お父さんのように頭ごなしなことは言わずに話に応じてくれる。
 あの時はまだ、プレヒスを選ぶかも、なんて呟いていたけど。
「あー、それで、付き合ったってこと? 98%って、すごいな」
「付き合ってた、のかな」
 分からない。あの関係をどのような名前で呼ぶべきなのか。
 でも・・・
 少なくともわたしは、好きだったのだと思う。彼のことを。
 それは、嘘をつかれていたと知った今でも変わらない。
 むしろ、彼がどうして嘘をついたのか、そのことを知りたいと思っている。
「彰人くんが彼に会いたいなら、それじゃ、わたしと一緒に探してくれる?」
「ああ。もちろん望むところだよ。でも、もう少し詳しく教えてくれないか」
 信号が青に変わる。
 500Xは滑るように再び動き出し、シュルシュルとハンドルを回しながら左折する。
「桃園まで、それじゃ、明日行ってみる?」
 十和が桃園村から通っているという話をすると、彰人くんはそう言ってくれた。
 それも、良いかもしれない。
 だが、それとて、どこまで本当か分からないではないか。
 一遥は十和が学校の先輩では無かったこと、そしてバレンタインの日のログの話までを伝えた。
「なんでそこで俊之おじいちゃんが出てくるんだ」
 彰人くんも面喰らったようだった。
「ウチの学校、最近校門のセキュリティを強化しててさ、教師と生徒と、あと二親等以内の親族じゃないと入れないようになってるんだよ」
「へえ。ウチの大学よりよっぽど進んでるんだな」
「だから、ウチのおじいちゃんのマイナンバーキーなら、校門のロックを解除できるってことなんだけど」
「なら、その十和ってやつは、俊之おじいちゃんのマイナンバーキーを借りて来たってことか」
「そうなのかな。だとしたら何で十和は、ウチのおじいちゃんのことを知ってるんだろう。とにかく、おじいちゃんに話を聞きたいと思って」
「そういうことか。渡りに船じゃないか。俺も一緒に聞くよ」
 アクセルを踏み込んだ彰人くんの気が乗っていることを、一遥は頼もしく思った。

 果物かごの中に盛られたみかんは、おしなべて小ぶりになっていた。
 水仕事を一段落させたスミレおばあちゃんは手を拭いて、テレビを消すと一遥たちの対面に腰を下ろした。
「すみません、お世話になります」
 彰人くんは逗留の挨拶として、京都のお土産の包みを手渡す。
「気ぃつかわんでええのにな。生菓子かいな」
 おばあちゃんはありがとよと言いながら包みを剥がす。パック入りの豆餅が姿を現した。
「おじいちゃんは、なんか寝込んでいたって聞きましたけど」
 病み上がりだと思うのだが、俊之おじいちゃんの姿は家の中になかった。
「あのおじいさんは日がなじっと寝とるより山入らはったほうが却って元気になるわな。基行ちゃんもそない気ぃ付かはったんと違うか」
 おばあちゃんは自分の息子のことをちゃん付けで呼んだ。
「アクティブレストってやつだね。スポーツの世界でもよくあるよ」
「それ、合ってるのかな」
 一遥は首をかしげる。まあいいか。
「ほんで、明日はどっか出かけるんかいな?」
「あー、近くの恋し高原にでも行こうと思ってたんですが、一遥が桃園に連れて行って欲しいって」
「ほう、そらまた渋い」
「高校の課題で、紀浦大水害のことを調べてるんだよ。桃園で昔、大きな土砂崩れがあったんでしょ?」
 それは後付けの理由だったが、十和に会いに行く目的が無駄足になったとしても、何か別の理由があった方が言い訳が立つと思ったのだ。
 誰に対する言い訳か、よく分からないけれど。
「えらい昔んこと調べてはるな。おばあさんはあの頃はまだ小娘も小娘で、もっと下手(しもて)に住んでたからようは知らんけどな、おじいさんはもう小学校出るかそのくらいの歳やったからよう覚えてはるかもな」
「そうなんだ」
 そういえば被災者へのインタビュー、自分の祖父母に聴いてみるというのは思いつかなかったな。
「そないゆうたらあのおじいさんも、大()えの日桃園の方に登ってたて聴いたことあるかもしらん」
「え、そうなの」
 意外な話が出てきた。
「桃園にも、縁者がいるってことですか?」
 彰人くんが訊いた。
「いんや、あのおじいさんはここらの山全体、庭みたいに駈け回ってはるからな、その年頃からもう桃園あたりまで足伸ばしてはったんと違うかな。知りたかったら直接聴いてみ」
「もしかして、なんだけど」
 一遥はひらめくものがあった。
「二月十四日のお昼、おじいちゃんは家に居た?」
「さあ、どやったかいな。あの時分はちょうど伏せってはって、基行ちゃんがようきとったな。すぐ布団抜け出すんやいうて、えらい怒ってはったわな」
 その話は、一遥もお母さんから聞いた気がする。
「学校に、桃園村出身の人がいて、その人がバレンタインの日におじいちゃんに会ったって言ってたんだよ」
 隣で彰人くんが、なにを言い出すんだという目でこちらを見ている。
「なんでその人とおじいちゃんのことを知ってるのかなと思ったけど、おじいちゃんが桃園あたりによく行ってたんなら、そこで知り合ったのかな」
 鎌をかけるような言い方になったが、それなら一応のつじつまは合うのではないだろうか。
 おばあちゃんは押し黙って、指のささくれを剥いている。
「おばあちゃん」
「聞こえてるで。一遥。ばあちゃんの大好きな火曜サスペンスでいうたらな、今の一遥は犯人ではないけど、犯人を庇うために嘘ついてるヒロインの女の子やな」
 名探偵スミレさん。いつも火曜サスペンスの犯人を一時間少々で当てる能力を持っている。
「あんたその桃園の子って男の子やろ。そしたら明日、その子に会いに行くんかいな」
「なんで分かるんですか」
 彰人くんが先走って答えてしまう。
「バレンタインの日に話したことを覚えてるゆうことは、普段はあんまり喋らんけどそういう特別な日に話したことが印象に残ってるゆうことやろ。そら好いた男の子と話したということやないか」
「ふわあ」
「せやけど彰人くんと一緒に行くゆうのが分からんな。それに、なんであのおじいさんが関わるんかいな」
 一遥は観念して、本当のことを話した。
「あらーあんたマイナンバーがどうやらいうの、結局始めてしまわはったんか。やめとき言うたのに」
 おばあちゃんは苦笑いしつつも、一遥が自分の意見を容れなかったことを怒っているわけではなさそうだった。むしろ、楽しんでいる風さえあった。
「ほんで運命の人たらいうんに会えたんかいな」
「その人が、運命の人なのかと思った。でも、そうじゃないのかも。分からない」
「そら、いなくならはったんやったら運命の人ではなかったんやろ」
 おばあちゃんはにべもない。
「せやから、一遥のええとこを見つけて、好きになってくれる人を待ったらよろし」
「前もそう言ってくれたよね」
 自分には選ばれるような何の魅力もない、と思っていた一遥に、おばあちゃんは言ってくれた。
 誰でも何かひとつは良いところを持っているし、それを見つけてくれる人と出会えるはずだと。
 十和は、一遥の良いところを見つけてくれる人だと思っていた。
 たとえ遺伝子レベルで一致したパートナーでなかったとしても。
 あの人は、そういう人だ。
 一遥の気持ちが、そのように感じ取っている。
「っと、大将はんのお帰りやで。あんたら、話きくんやろ」
 ガタッと軒先で音がして、おじいちゃんが山から帰ってきたようだった。
「一遥か。それに彰人も」
 居間に入って、おじいちゃんは予期していたかのように言った。
 お世話になります、と立ち上がりかけて挨拶する彰人くんをチラリと見る。
「そうか」
 とだけ言ってそれを制すと、顎を向けて、書斎のように使っている部屋へと二人を招いた。
 その部屋には、一遥にはなにに使うか分からない道具や、古文書のような古い綴じ紙がぎっしりと詰め込まれていた。
「葵お母さんに連絡入れといたるで、ゆっくりしゃべり」
 おばあちゃんはお茶を置いて、台所へと戻っていった。
「おじいちゃん、もう身体は良いの」
 一遥と彰人くんは並んで畳に腰を下ろした。
「大袈裟にしよってな」
 首をコキコキと鳴らす。お父さんに布団に押し込められていたのが不満だったようだ。
「最近学校で、紀浦大水害のことを調べていて。さっきおばあちゃんに聞いたけど、おじいちゃんも水害に遭ったんだってね。どうだったの」
「そうか。あんときは山におったな」
「小学生で、もう山にいたの」
「昔の山っちゅうのは、ハゲ山やったんじゃ」
「林業が盛んだったということですよね」
 彰人くんが相槌を打つ。
「遊び場なぞ、山しかなかったわ。防空壕の跡があってな」
「このあたりも空襲があったの?」
 一遥の問いに、おじいちゃんは首を振る。
「狙うんは飛行場やら工場のある町で、こんな山奥まで空襲は来ん。けど飛行機は見える。ほとんど覚えとらんかったが、怖くてな。それで水害の日も、わしは防空壕に逃げ込んだ」
「一人だったの?」
 おじいちゃんはしばし静止し、ややあって首を横に振った。
「いや、にいちゃんがいっしょじゃった」
 にいちゃん。それが桃園の、知り合いだったのだろうか。
「あんひとは、よそに働きにでとったが、そんときはたまたま戻ってきとった。けど・・・いつも連れて歩いとった、相棒の犬の声が外に聞こえたもんで、様子を見てくると言って出てしもた」
「それで、どうなったの」
「どうもこうもない。それっきり帰ってこんかった」
「それは、土砂崩れ?」
 おじいちゃんは黙って頷いた。
「わしが山に入るんは、にいちゃんの供養のためやったんかもしれん。そんで近頃、やっとこさ供養できた」
 しばし、無言になった。
 彰人くんも隣で、話を噛みしめているようだ。
「そんな話のためにきたんか、一遥」
 おじいちゃんは切り上げるように言った。もとより自分を語ることを好む人物ではない。
「ううん。聞きたかったのは、バレンタインの日のこと」
 一遥は促されるように本題に入った。
 このおじいちゃんは、たとえ授業参観日であっても孫の様子を見に来るような人物ではない。
 学校に来てたでしょ?
 校門にログが残っていたよ?
 そのことを、いかなる順序でこの人に尋ねれば良いのか、一遥は考えあぐねた。
 一つ間違えれば、ウナギのようににゅるりと逃げられてしまう気がしたのだ。
「バレンタインいうのは、いつの日のことじゃ、彰人」
「二月十四日です。確か、月曜日でしたね」
 話が核心に迫る予感に震える一遥の代わりに、彰人くんが注釈を加えてくれる。
「何曜日でも構わんが、わしゃたぶん、山じゃろ」
「じゃあなんで、ログがあったの?」
 そっぽを向くおじいちゃんが憎たらしくなって、一遥は思わず大きい声を出した。
 嘘をつかないでよ。おじいちゃんまで。
 みんながみんな、わたしに嘘をつく。涙が浮かんだ。
「一遥の学校の門の、その日のログに、おじいちゃんの名前があったらしいんですよ。それで、どうしてなのかって」
 彰人くんが取りなすように翻訳してくれるが、おじいちゃんは動じた様子も見せず、
「ありゃちゃう」と端的に答える。
「でも、ログはマイナンバーキーと連動しているから」
 誤魔化しようがないですよ、と彰人くんが追及を続ける。
「ありゃ貸したもんよ。錠前なんぞな、いらんもんを」
 机の上の文箱をがさがさと捜す。
 この世代の人たちはマイナンバーキーに抵抗がある人が多いが、健康診断の機会も若い人よりは多い。公務員であるお父さんやお母さんの手前もあって、何かの拍子に作ったのだろう。
「貸したのは、十和って男の子だったの?」
「十和な・・・」
 おじいちゃんは不機嫌そうに言った。
 だが、だからといって今度の話は、切り上げようとしているわけではない。
 涙に絆されたという訳ではないだろうけれど。
 一遥に対して、きちんと伝えるべきことがある、そんな姿勢が伝わってきた。
「一遥がアプリでマッチングした男の子だそうですよ。マイナンバーキーを貸すということは、知り合いだったんですか?」
 彰人くんが話を整理してくれる。
「桃園のな。凜々しい人じゃろ」
「やっぱり。どういう人なんですか」
「・・・お孫さんじゃ。その、にいちゃんのな」
 そういうことか。一遥は鰹波の海で十和と話したことを思い出した。
 十和は、紀浦大水害のときの桃園の土砂崩れの話をしたとき、涙を浮かべていた。
 きっと先祖が亡くなったのだと想像していたけれど、その通りだったのだ。
 そして、知り合いの孫ということなら、一遥と近い世代の子がいてもおかしくはない。
「その人と連絡、とれるかな。メッセージが返ってこなくなって。何かあったわけじゃないんだよね」
 一遥は心配な気持ちと、やっと手がかりを見つけた気持ちが混ざった声で尋ねた。
「もう連絡はやめぇ」
 どうして。一遥は眉をひそめて訴えた。
「ぼくたち、明日にでも桃園に行ってみようと思っているんです。もし十和さんの家をご存じなら、教えて欲しいんです」
 おじいちゃんは黙り込んだ。
 そうして、しばらく考え込むように顎を掻くと、仕方なさそうに、
「わしも悪かった。一遥。アプリたらを使ったんは、わしじゃ」
「え、アプリ。おじいちゃんが?」
「おばあちゃんに聞いてな。心配になったもんじゃ」
 一遥には祖父がスマホを操る姿が想像できず、混乱した。
「トゥルヒスに、遺伝子を登録したってこと?」
「せや」
「それで、一遥とマッチングしたってことですか? それって、全然話が変わるじゃないか」
 彰人くんも驚いたように応じる。
「全然違うよ、一遥。その十和くんは、確かに運命の人じゃない。一遥はおじいちゃんとマッチングしていたってことだろ。おじいちゃんの、肉親の遺伝子に反応して、高いマッチング率が示されたってだけのことじゃないのか」
「えっ・・・」
「そんな、ひどいですよ。そんなの。心配なんて言ってるけど、騙しているってことじゃないですか。ちゃんと説明してあげてください」
「じゃあ、わたしはおじいちゃんとマッチングしてたの。でも、写真は、十和の写真だった」
 解像度は粗かったけれど、登録された写真と、実際に会った本人の容貌は確かに一致していた。
 ただ登録されていた遺伝子だけが、別人のものだったのだ。
「それじゃあ、その十和くんは、何者なんですか」
「言うた通り、お孫さんじゃ。写真は、これじゃろ」
 おじいちゃんは懐から古い写真を取り出した。
 白黒のボンネットバスの前に立って微笑んでいるのは、確かにトゥルヒスに登録されていた十和の写真だった。
「この人が、十和にいちゃんじゃ。使わせてもろた。わしの若い頃の写真を使っても、一遥にはすぐ分かるやろからな」
「それで、わたしは何も知らずに、じゃあ、メッセージはおじいちゃんとしていたってこと」
 一遥は驚きが薄れてくると、情けなさと、そして哀しさがあふれ出してきた。
「いや、途中からは、そのお孫さんに任せたわな」
「そうか、それじゃ、そのお孫さんは桃園にいまもいる訳ですよね」
 彰人くんがたぐり寄せるように尋ねた。
「いや、おらん。もうよしてくれ。そん子はわしが巻き込んだだけやからな」
「そんな勝手な」
 彰人くんは批難する。
「困ったんじゃ。一遥から連絡がきてしもうて、なにせにいちゃんはもう、とうに亡くなっとる。それで桃園を訪ねてな。たまたま彼がおった」
「わたしは会いたいよ。その人に。名前は、十和じゃないとしても、遺伝子がマッチングしていなかったとしても」
「もう、両親に連れられて、外国へ行った頃じゃろ。もともと桃園には、家の整理に何ヶ月か滞在するだけやったみたいやで。わしも連絡はとれん」
「そんな・・・そんな話・・・」
「すまんかった、一遥。じゃが、もう諦めぇ」
 ついに溢れた涙が零れだしたが、おじいちゃんは口を固く結んで、それ以上慰めの言葉をかけてくれることもなかった。
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登場人物紹介

堀内(ほりうち)(いち)()   引っ込み思案で優柔不断。読者の共感ともどかしさを煽る主人公。

十和(とわ)    十七歳。一遥とマッチングした不思議な青年。時代がかった話し方をする。

(ふじ)(こと)百伊(ゆい)   モンキーを乗り回すヤンキー。若いママになりたい。

(はやし)()(さき)   理知的な少女。テニス部所属。イケメン大好き。

佐波(さわ)(のり)(みち)  一遥と百伊と同じ集落から通学する男子。千咲とはテニス部で一緒なので、三人の話題によくのぼる。

<先生たち>

小寺先生  愛梨ちゃん。美術部顧問。FM好きのアラサー。

松浦先生  まっちゃん。生活指導の肥ったおっさん。お菓子大好き、バイクも好き。

今村先生  ラーメン。一遥たちの担任。そういえばこいつも二十代男子。

<一遥の親族>

堀内(とし)(ゆき)

おじいちゃん(父の父)無口で無愛想。じっとできない人。すぐに山仕事に行ってしまう。



堀内スミレ

おばあちゃん(父の母)おしゃべりで、おじいちゃんとはバランスがとれている。



堀内(もと)(ゆき)

お父さん 小学校の先生 理屈っぽく厳しいが、暖かい。



堀内(あおい)

お母さん 小学校の先生 マイペース。よくペットの譲渡会に行く。



アンスリウム

アンちゃん。堀内家の賢くて元気な愛犬。

小倉彰人(あきと)  はとこ(祖父の妹の孫)京都にある巧緻舎大学の三回生。ラグビー部のスタンドオフ。

久間英治

二十三歳。百伊とマッチングした海北市の地主の息子。商科大学卒。


常井健太郎

十八歳。千咲とマッチングした大阪の大学生。俳優の坂道健太郎と仁藤健太郎を足して二で割ったイケメン。

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