蹂躙

文字数 2,826文字

◇◇

 全身を真っ赤に染めて、怒りをあらわにしているリーパー・リントヴルム。
 以前の漆黒だった時と比べると、伝わってくる威圧感がまったく違っていた。
 
「おいおい……。化け物がさらに進化してどうするんだよ」

 ひたいから鼻筋にかけて、一筋の汗が伝う感覚もないほどに、すさまじい恐怖を感じていた。
 クリスティナ、フレイ、そして他のエルフたち……。
 彼女らを守るなら死んでも惜しくない、という気持ちはなんら変わっていない。
 しかし、いざこうして目の前に『死を確実にもたらす龍』が立ちはだかると、恐怖のあまりに叫び出したくなる衝動にかられるのは、動物としての本能としか言いようがない。
 
「もう卵に近寄らねえからよぉ。ここから逃がしてはくれんかね?」

 と、ぶざまな命乞いが、無駄だと知りつつも口をついて出てしまう。
 しかしそもそも人の言葉など通じているはずもなく、奴はじりじりと俺との間合いをつめはじめていた。
 
 あと一歩近づいてくれば、奴の長い尻尾の餌食だ。
 だからと言って後退はできない。なぜならここより少し行った先には、一人のエルフがぐったりと倒れているのだから。
 
「万事休す……か。ならば、覚悟決めるしかねえな」

 もちろん諦めるという訳ではない。
 むしろ逆だ。たった一つのわずかな希望にかけるしかねえってことだ。
 同時に、自分の体が自分が思っている以上に頑丈でありますように、と祈るしかねえってことだ。
 
「一発だけくらってやるよ。ただし、俺の命まで奪ってくれるなよ」

 そうつぶやいた瞬間だった。
 奴が一歩踏み出そうとし始めたのである。
 
「さあ、きやがれっ!!」

 俺は思いっきり地面を蹴って、奴の太い足の方へと飛び込んでいった。
 前と同じように足元にはりついてしまえば、奴の攻撃は届かなくなる。
 しかし、奴の尻尾をぶん回す攻撃を食うことなく、そこへ到達するのは不可能だ。
 
 つまり俺は、奴の尻尾による一撃を受ける覚悟を決めたのだった。
 
 腰から短剣を抜きだしながら、一直線に突き進んでいく。
 奴は予想通りに尻尾を振り回してきた。
 漆黒だった時よりもそのスピードは遥かに増している。
 もちろん威力も比例して強まっているに違いない。
 
 ただ、岩石を粉砕するまでではないはずだ。
 岩石と人間の体を比べるってのも変だが、俺の体は岩石よりもタフであってくれよ!
 
――ブンッ!

 空気を切り裂く音が鼓膜を震わせた。
 
「がああああああっ!!」

 俺は腹にありったけの力をこめると、尻尾が迫ってくるのとは逆の方向、つまり尻尾の振り抜き先へと蹴り出した。
 それは少しでも衝撃をやわらげるための、涙ぐましい努力だ。
 さらに短剣を盾にしようと構えた。
 
 次の瞬間だった……。
 
――ドォォォォォン!!

 という爆発したような音が自分の体から聞こえてきたかと思うと、まるで風になったかのように吹き飛ばされていった。
 俺がもといた位置には、短剣が粉々になって宙を舞っているのが目に入る。
 痛みを感じる前に猛烈な勢いで奴の左方向へと飛んでいくと、背中に強烈な衝撃を覚えた。
 
――ビッタァァァン!!

 それは岩石に叩きつけられた音……。
 まるで果実が高層階から落下してつぶれた時のような、気持ち悪い音だ。
 その音が耳に入った瞬間に、口の中が苦い液体でいっぱいになった。
 
「ぐはぁっ!!」

 息苦しくなって吐きだすと、真っ赤な血が地面を染める。
 だがそんなことをかまけている暇はない。
 もっと言えば、痛みを覚える前が勝負だと、俺は最初から覚悟を決めていたのだ。
 
――ダッ!!

 素早く態勢を整えると、一気に奴から離れるように駆け出した。
 もちろん俺をみすみす見逃すほどに奴は甘くない。
 
――ブウウン!!

 と、凶悪な鉤爪が俺の頭上から襲ってきた。
 
「させるかぁぁぁぁ!!」

 これを食らうわけにはいかねえんだ。
 必死に言うことが聞かなくなった全身に鞭をうつ。
 
――グルンッ!!

 前進を止めないまま、上体をひねって一撃をかわそうと試みた。
 しかし完全に俺の思い通りに体は動いてはくれなかった……。
 
――ザンッ!!

 という鈍い音が腹の柔らかな部分から聞こえてくると、焼けるような痛みが走った。
 
「ぐぬっ……!」

 わき腹をわずかにかすめたか……。
 尻尾の直撃、岩石に叩きつけられた衝撃、わき腹の外傷、さらに少し前に痛めたあばら骨の痛み……。
 それら全てが一気に襲いかかってくると、眩暈を覚えるような激しい痛みに襲われた。
 
「負けるかぁぁぁぁ!!」

 この場合、声はエネルギー源だ。
 多くの血液とともに流れ落ちていった前へ進むパワーがかすかに注入されると、奴からわずかに離れることに成功した。
 
「よしっ!!」

 口には相変わらず血がたまってくるが、それでも意識を失うほどに内臓にダメージは受けていないようだ。そして足もまだ動く。
 今さらながら、頑丈な体に産んでくれた天国の両親に感謝していた。
 
 一方のドラゴンは、尻尾と爪の連続攻撃によって、わずかな硬直時間に襲われているようで、目だけが俺を執拗に追いかけている。
 
「へへっ……。眼光だけで殺されたらゲームオーバーだったんだがな」

 そんな皮肉をもらせるまでに余裕が出はじめると、俺は尻尾の間合いから外れた。
 あとはひたすら前に進むだけだ。
 
 だが……。
 奴の攻撃は止まらなかった。
 
「キャオオオオ!!」

 という聞き覚えのある甲高い声が辺りに響き始めたのだ。
 
「ここでブレスか!! だが、そうはさせねえ!!」

 とっさに振り返り、腰から短弓を取り出そうと右手を動かそうとした。
 ……が、その右手がまったく動かなかったのだ……。
 
「肩が外れてやがる……」

 死の影が突如として心の中を覆い尽くしたが、まだ諦めるわけにはいかなかった。
 
「くっそぉぉ!!」

 必死に残された左手で右の肩をぐいっと押し込むが、なかなかうまくいかない。
 そしてようやく肩がはまった時だった。
 
――カァァァッ!!

 と、まばゆい光が眼前をおおったのだ。
 
「うがあああああ!!」

 とっさに背を向けて身を伏せる。
 しかし到底直撃をまぬがれるには至らなかった――
 
「がああああああっ!!」

 激痛とともに、文字通りに道を転がっていく。
 わずかに距離があったのが幸いしたのか、ひどい火傷を負うまでには至らなかったが、それでも急激に上昇した体温は、ダメージを負った体に容赦ない追い討ちをかけていった。
 
 そして……。
 ついに俺の唯一の自慢だった足は……。
 動かなくなってしまったのだった――
 
 

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