第2話 鹿

文字数 1,008文字

 玄関のドアは閉めたが鍵はかかっていない。もう一度チャイムが鳴ったあと、外側からドアが開く。
 ふわふわの淡い茶髪をしたスレンダーな女が現れた。短いスカートから伸びた脚がすらりと長い。
「いた! もう、探したのよ」
 そういいながらつかつかと部屋に上がり込んでくると、黒髪の先客に気づいて足を止めた。
 火花が散った気がしたのは気のせいだろう。
「なによ、泥棒猫」
「うるさい、馬鹿」
 (……知り合いなのか?)
「私が先に来た」
「そんなの関係ないわよ」
「痛い」
 スレンダーな茶髪が黒髪の手を掴む。
「あっ、駄目だよ、怪我しているから」
 とっさにあいだに割って入ると、二人はあっさりとおとなしくなって互いに距離を取る。

「えーと、二人とも、どちらさま?」

 1Kの狭い部屋に三人も立っていたら圧迫感がすごい。
 (せっかくの休みなのに)
 (静かに寝たい)

「あんたに助けてもらった猫だ」
「あのとき助けてもらった鹿よ」

 女二人の声がきれいにハモる。

「…………はい?」

 猫と、鹿。そう聞こえたが。十文字はポカンとして突然の訪問者たちを交互に見遣(みや)る。
「猫と、鹿っていった?」
「いった」
「いったわ」
「……人間に見えるけど」
 素朴な疑問に、自らを鹿と名乗ったふわふわの茶髪が答える。
「人間の姿に変身できるようにしてもらったの」
 猫と名乗った黒髪がうなずく。
「なんでまた、人間に?」
「あなたに会うためよ。決まってるじゃない」
「へ?」
「命を助けてもらった恩返しに」
 茶髪はそういってちらりと黒髪を見る。
「あたしだけじゃなかったみたいだけど」

 (おれ、疲れすぎて夢でも見ているのかな)
 (最近ずっと寝不足だったからな)

「悪いけど、人違いだと思う。おれ、あんたたちを助けた覚えはないし」
「それは仕方ないわ。前世の話だもの」
「は?」
「私はその前の前前世」
 黒髪が真顔でつぶやく。
 (どこかで聞いたことある曲のタイトルみたいになってきたぞ)
「そんな昔の話で、わざわざ人間に変身して、律儀に恩返しに来たのか?」
「そうだ」
「そうよ」
 至極(しごく)当然のようにすんなりと肯定されて、十文字は絶句する。人間ですらそんなに義理堅いヤツなどいない、と思う。
「あー、とりあえず、話はわかった」
「あら、よかったわ。信じてもらえないかと思ったの」
 (普通はそうだろう)
「ほんとに恩返しに来たというなら、悪いけど、あと少し寝かせてくれ」
 (夢なら覚めてくれ)

 そのとき、三度(みたび)チャイムが鳴った。
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