Chap.4

文字数 3,166文字

千川からの「指示」を目黒は実行した。警視庁勤務の立場を生かし、麻宮殺しの捜査情報を掴めということだった。難しい作業ではなかった。
 意外かつ有力な情報は喫煙所で得られた。
休憩時間に喫煙所に入ると、男女の刑事が顔を突き合わせていた。目黒と入れ違いに男性の方が出て行く。捜査一課の刑事だ。残った女性刑事が話しかけてきた。
「お疲れ様」
「鴻上さんもお疲れ様です」
 鴻上優紀はマルボロを吸っていた。横に並び、目黒もアメリカンスピリットを咥える。
「鴻上さん、禁煙始めていたのでは?」
 鴻上は痛いところを突かれた、という笑みを浮かべた。「簡単には味を忘れられないのよ」と、艶消しネイビーのジッポを見つめていう。
「今話していたのは捜一の主任ですね」
 世間話の調子で話を振る。
「情報交換よ。おととい会社員が路上で殴り殺された事件、知ってる?」
 麻宮の事件だ。
「ええ」
「うちで追ってる組と、被害者が関係してるとかしてないとか。確かに麻宮はとある組と付き合いがあった」
 鴻上の所属する部署は組織犯罪対策部。暴力団を相手にする鴻上は、柔和で華奢な印象に反し、優秀な刑事である。
「鴻上さんが追っているというと、名取会?」
「よく覚えてるわね」
 苦笑され、苦笑で返す。
「覚えてますよ。闇カジノの運営者を鴻上さんたちが逮捕したんじゃないですか」
「あの幹部は今公判中ね。まぁ、今回の殺人事件に組が関与してるのかは不明だけれど」
 そういって鴻上は煙を吐いた。果たして麻宮はやくざ間のトラブルで殺されたのだろうか。
「麻宮という男、妙に金回りがよかったらしいけれど」
「金回りが、ですか?」
 確かにスマホをスッた際に触れたスーツは上物だったなと目黒は思い出す。
「表向きは堅気でも何か、やっていたのかもね」
「なるほど」
「事件のことが気になるの?」
 鴻上が探る目を向けてくる。勘繰られては危険な相手だ。「いえ、自分なんかがとんでもない」と四角四面の口調で目黒は応じた。鴻上は微かに笑った。
「正しさを求める権利はだれにでもあるわよ」
 そういって、握っていたジッポを胸ポケットにしまった。なぜか目黒の目にはお守りを扱うようなしぐさに映った。

 夜になって待ち合わせ場所に向かう途中、「場所を変更」という連絡が千川から来た。
 変更場所はぴーちぽっぷの入った雑居ビルで、変更理由は磯辺が何者かに襲われたからだった。
 到着した時、荒らされた事務所で、千川が磯辺の頭に包帯を巻いていた。磯辺は鼻がひどく腫れ、口元にも痣ができている。
「……ああ、目黒さん」
 気丈に笑おうとしていたが、声が弱弱しい。横たわっているソファに近づく。床には折れた歯が落ちていた。
「何があった?」
「知らない男が乗り込んできてユヅキはどこだと暴れたらしい」
 磯辺の代わりに千川が悔しそうに答えた。
「俺があと十分早く来てればこんなボコられずに済んだんだけど」
「男に心当たりは?」
「ねぇっすよ」
 磯辺は声を絞り出した。笑おうとするほど頬が変に引きつっている。
「ユヅキちゃんがどこにいるのかも知らないし。俺はなんも、知らねぇし……知らないんだよ」
 かなりショックを受けている様子だ。若干、千川は心を痛めるような顔をしたが、
「男の特徴は? どんなんだった?」と訊ねた。
「二十代ぐらい。背は高くて、目黒さんぐらいかな。マスクしてて顔はよく見えなかったけど……あいつ、ユヅキちゃんをどうする気だろう」
 焦点の合わない目で天井を見上げ、磯辺がいった。
「ったく、なんでこうなるんだよ」
「気にするな。俺らでその男のことも調べるから。とにかく病院行きな」
 労わるようにいって、千川が磯辺の背を叩く。

 磯辺を残し移動した場所は、池袋の片隅でかくれんぼをするように建つ居酒屋だった。カウンターの奥にテレビがついていて、報道ともバラエティともとれない番組が四角い光と音を発している。目黒は焼酎のロックを、千川はノンアルコールのビールを頼む。千川は、今日はライオンではなく、チンパンジーが描かれたシャツを着ていた。
目黒はまず警視庁で掴んだ情報を淡々と報告する。
「麻宮殺しの犯人の目星はまだついていない。が、ユヅキは捜査線上に全く浮かんでいない。麻宮のパソコンは調べられたが、動画のコピーはなかったようだ」
「そっか。容疑者は?」
「犯行時刻、現場付近から走り去る男が目撃されているそうだ」
「男、か。……たこわさと枝豆」
 店主に注文して千川は目黒に向き直った。
「他には?」
 目黒は灰皿を引き寄せ、煙草に火をつけた。鴻上から提供された情報を話す。
「名取会と絡みがあったのか、麻宮」
「これで俺のスリ動画は消してもらえるか?」
「まさか」
「だろうな」
「依頼人とは会ったか? あんたに盗みを依頼した人間はユヅキの母親だろ」
 何気ない口調の千川を、目黒は睨む。
「調査済みというわけだな」
「だね。あんたとユヅキの母親の出身地が同じってことはすぐわかった。俺は優秀なんで」
「認めよう」
 目黒は煙を吐いた。今回の経緯を千川に打ち明ける。
「最初は、娘がどんなバイトをしているのか、探ってほしいという頼みだった。だからユヅキ……満美を見張っていた。すると麻宮が彼女に近づき、『動画をネットに流されたくなければもう一度付き合え』と脅す場面を目撃した」
 状況を伝えると、日那子は追加の依頼をした。
――満美の秘密が入ったスマートフォンを盗んでくれませんか。
 目黒は決行し、直後に麻宮が何者かに殺された。
沈黙が落ちた。千川の注文したつまみが運ばれる。目黒の視線はぼんやりと物静かなテレビに向けられる。野党の人気者となっている政治家――確か新戸部といった――が出演し、現職の大臣を批判していた。音量が小さく、よく聞こえないが、「だれも本気で変えようとしないんですよ」という言葉は聞こえた。
「だれかが本気で変えようとしなければ、ユヅキのような子はどこまでも落ちていく」
 ほぼ無意識につぶやいていた。千川が応じる。
「本気で根絶しようとする奴がどれだけいると思う? 商品化される未成年を『自己責任だ』と叩く奴の方が遥かに多いだろうよ」
「利用している側の責任だ」
「でもユヅキたちは磯辺のような男たちを信頼する。居場所がないからだよ。だから仕事を与えられ、価値をもらっていると感じてしまう」
 身勝手な大人の「搾取」が加害であると教えられない少女たちは、自分たちが被害者だと自覚できない。
「けど、俺は依頼人が地獄に落ちていくのは見過ごしたくない」
 千川の口調に徐々にこもっていた熱に、目黒は手を止めていた。この男はやはり、冷めていながら、奥底に純粋な火種を隠しているのだ。アンバランスだ、と感じる。
「はてさて。麻宮が撮ったユヅキちゃんの動画、麻宮が殺されたこと、磯辺が襲われたこと。この三つに関連があるのか、ないのか」
 目黒にもわからなかった。二本目の煙草に火をつける。千川が思いついたようにいう。
「日那子の夫ってのは?」
「福住正明。東京地裁の判事だ」
 千川は考え込む表情で枝豆を摘まむ。
「判事。じゃ、娘のバイトは頭痛のタネだろ」
「娘が毎晩出歩いていることにも無関心だ」
 千川はため息をつき、枝豆を口に入れる。
「ろくな父親じゃなさそうだな。そりゃ、奥さんも泥棒に頼りたくもなるね」
嫌味の混じったセリフだった。目黒は焼酎グラスを混ぜながらいった。
「おまえの方は何か掴んでいないのか?」
「お手上げだね。今のところ」
「そうか」
 焼酎代だけ置き、目黒は席を立った。帰るのかよ、という千川の声に答えず店を出る。
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