はじめての男
文字数 2,961文字
続々と由佳里や事業部のメンバーらに仕事を引き継いでいくなかで、神楽日毬に手伝ってもらう予定の防衛省案件の打ち合わせをすることになった。
会議に参加してもらうため、俺は日毬を蒼通に呼んでいた。会議には日毬と、俺と由佳里、それからチームリーダーの部長と、制作を担当するディレクターの五名が参加している。
なぜか日毬は拡声器を持ってきていた。隣の椅子に、ちょこんと使い古しの拡声器が置いてあるのは場違いな感じだ。
日毬から渡された政治団体の名刺をしげしげと眺めていた部長が、狐につままれたような表情で視線を上げる。
業界人風のヒゲをはやしたディレクターが、興奮したように日毬の方に身を乗り出す。
「ユカッチ」とは、ディレクターが由佳里のことを呼ぶときの渾名だ。由佳里も特に抗議しなかったので、それで通っている。このディレクターは女の子に勝手に渾名をつけまくることで社内で知られていた。
ディレクターは両腕を伸ばし、両手の人差し指と親指で四角を作って、日毬のバストやウェストの辺りを覗き込んだ。普通の人がやれば痴漢行為としか思われないが、試写体をチェックするディレクターのいつものクセだ。
由佳里はテーブルにドンと拳骨をつき、ディレクターを睨みつけて息巻いた。
するとディレクターは、両手の指で作った四角を由佳里のバストあたりに移動させ、まじまじと眺めやる。
ディレクターはいい加減なようでいて、タレントをチェックする目だけは肥えている。日毬がディレクターに認められたということは、俺の選定眼が評価されたということでもあった。素直に嬉しいことだ。
俺は日毬に問いかける。
何気ない日毬の『お前は私の初めてだ』というセリフに、出席者一同は凝固した。かく言う俺も、そのセリフの意味を反芻し、半ば呆然としてしまう。
たくさんしてくれたろう? お前は私が警察に襲われているところを助けてくれた。政治議論もたくさん交わしたし、日本大志会を結成してから初めて党費を寄付もしてくれた。おまけにお前は、私に国防任務を与えてくれるのだという。たった一日で、私なんかのためにこんなにしてくれたのは、何もかもお前が初めてなんだ……。
日毬の言葉に、俺はホッと胸をなで下ろした。だが、「警察に襲われる」という表現はどうかと思う。
日毬は封筒を取り出し、書類を広げた。
しっかりと親のサインが記入してある。毛筆の太々としたサインで、サイン欄から大きくはみ出しており、しかもやたらと達筆だ。書道の達人レベルが書いたとしか思えない記名だった。
日毬のことを信じないわけではないが、親権者が本当にサインをしたのかどうか、直接確認を入れることは必須だ。未成年のタレント志望者には、親権者のサインを自分で書いて、いかにも親が同意しているように見せかけるケースがたまにある。日毬に限ってそれはなさそうだが、お役所案件である以上、そこは押さえておかなくてはならなかった。
それから当面の間、防衛省の広報担当は健城くんに取り組んでもらうことになる。事業部のなかから誰か割り当てることも考えたが、みな忙しい。それに今回は小さな案件だ。だからひとまず健城くんが、この仕事の引き継ぎをしてもらってほしい。
それから会議の間も、終始、日毬は堂々たる態度を貫き通したのだった。