第16話 正しいジェノワーズの作り方

文字数 2,680文字

 俺は部室に諸々を届け、そのままヘルプを続ける。
 堅実に一台ずつ仕込みたかったが、ある者は失敗を恐れ、ある者は反省と後悔でトラブル防止班は人手不足。

纏めて作るしかないですね

 そう言って俺は部長――涼子先輩に頼んだ。

秋葉君がやったほうが……?

俺はヘルプですから。部外者がやるわけにはいきません。

もちろん、手伝いはします

 大きなボウルに卵が三十個。

 そこに一キロの砂糖を加え、湯煎にかけながらホイッパーで混ぜ合わせる。

 卵液が六十度になると湯煎から外し、ブランシールーー高速のハンドミキサーで泡立てていく。


 ――二人で。


 ボウルを挟んで対面。

 ホイッパーがぶつからないよう気を付けながら、リボン状に垂れるまで空気を含ませる。

 

 その後は低速に切り替え。

 ゆっくりと混ぜることで気泡が細かく一定になり、続く粉がダマになりにくくなる。


底とふちに気をつけて――

 この量になると、小さなゴムベラでは間に合わない。

 なので、表面積の広いカードを使う。

 俺は粉を少しずつ入れ、涼子先輩が混ぜ合わせていく。

カードにこびりついた生地をバターの中に。ここで軽く混ぜてから、ボウルに入れます。

熱いんで気を付けてください

 限りなく、百℃に近い油脂。

 そして、これを入れたら手間取ってはいられない。

バターは底にたまりますから、下からすくい上げるように――

はい


 涼子先輩は真剣な表情。

 中学の時と違って、俺を信頼してくれていた。

ここからはスピード勝負です。型に流し入れて――

 生地は触れば触るだけ固くなっていく。とはいえ、空気をたっぷりと含んだ生地の目算は非常に難しいので、軽量をしないわけにもいかない。
 俺たちは慎重かつ、大胆に作業をこなしていた。

 それを他の部員がオーブンに投入していき――

大丈夫かな?
大丈夫です!

 彼女の心配を打ち消すよう俺は断言する。
 生地の状態からして失敗はありえない。心配なのはオーブンの不備だが、そう何台もおかしくなってたまるか。


秋葉君……大人になったね
 とりあえずの山場が終わり、気が緩んだのか涼子先輩はそんなことを言い出した。

昔はすごく偉そうで、一年生で部員でもないのに皆をアゴで使ってたのに。

今じゃ周りを気遣うこともできている

あの時は間に合いはしましたけど、雰囲気は悪かったですから。

出しゃばり過ぎた俺の所為で

 けど、ガキだった俺はそれを認められなかった。

 むしろ、感謝しろと尊大な態度を取っていたんだ。 

 そんな俺を、涼子先輩はしっかりと叱った上で感謝してくれた。

はは、あったねそんなこと。

あの時は皆、子供だったから

涼子先輩は充分、大人でしたよ
そんなことないよぉ。だって、吊り橋効果であっさりと……
『全校朝礼を始めます。生徒の皆さんは……』

 無慈悲にも、放送が鳴り響く。

 まだ、作業的には余裕がない。

 それでも涼子先輩は真面目だから、どうしようかと悩んでいる。

俺、説得に行ってきます
えっ?
大丈夫、こういうのは慣れているんで

 逆にいえば、慣れていない涼子先輩には酷であろう。

 先生にもよるが、大抵融通が利かないものだ。

 俺はダッシュで渡り廊下まで走る。

(どうか担任か保険医が来てくれますように)
 そう期待しながら待っていると、
秋葉か。相変わらずおまえは。さっさと体育館に行け!

 来たのは互いに嫌いな増田先生だった。

ちょっと待って下さい
なんだ? こっちは忙しくて、おまえなんかに構っている時間はないんだ
いや、ちょっとお願いがありまして……料理部に行かれるんですよね?
あぁ、そうだ

ちょっとトラブルがあって、作業に遅れが出ていまして。

できれば、このまま作業を続けたいのですが駄目でしょうか?

 俺は初めてこの先生に敬語を使う。

 不審に思ってか、先生は品定めするようにジロジロと見てきた。

なんでおまえが料理部の心配をしているんだ? 部員じゃないはずだろ?
ちょっとヘルプを頼まれまして
おまえに? 料理部の部長は誰だ? ろくでもない

 その言葉で熱くなるのがわかった。

(あ、やばい……)

 必死に心を落ち着かせようとするも、これは無理そうだ。

お願いします!

 だから、俺は頭を下げた。

 会話を交すとキレてしまいそうだったので、単純な言葉で勝負せざるを得なかった。

駄目だ。皆に示しがつかんだろう
 らしくないとわかっていても、躊躇ってはいられない。
そこをなんとか! お願いします
 先生の言い分も理解できなくはない。
 けど、俺は受け入れられなかった。
(いつも、皆の中に俺は含まれていないのだから――)
 

 そんな皆の為に――邪魔されるのは受け入れられない。

お願いします!

 俺は深く頭を下げる。

 涼子先輩の為、必死に頼み込む。
 高校最後の文化祭を、彼女には笑顔で終わらせてやりたかった。


駄目だ、駄目だ。おまえじゃ話にならん

 先生は頭を下げている俺すら、素通りしようとする。

 駄目だと思うも、言葉は出なかった。


お願いします!
 これだけしか出なかった。
あん?

 先生の足音が止まる。

 俺は期待を胸に顔を上げると、そこには芳野とジジがいた。

なんだ? おまえたちも早く体育館に行け!
んな、かたいこと言うなって
そうですよ、先生。いい物がありますから

 二人は先生の前に立ち塞がっていた。

 話声は聞こえてこないけど、どう見てもいい雰囲気ではない。

おまっ! これ……

 大きい呻き声。

 なにを見せられたのか、先生は部室から遠ざかって行った。

なに、らしくないことしてんだよ勇者
まさか、勇者が頭を下げるなんてね
おまえら……なんで?
言ったろ? 勇者のピンチには必ず駆けつけるってよ

(確かに言ってたけど……まさか、本当に来るなんて)

……なにをしたんだよ?

 軽口を叩くも、嬉しくて頬がにやけてしまう。
あのセンセがペドだっていう証拠写真を付き付けただけだよ

ロリとペドは似て非なるものだけど、行動範囲は近いものがあるからね。

そこで偶然撮った写真をちょっと

……は? ペド?

(そう言えば、以前保険医と喋ってたな……)

具体的に言うと、女児向けアニメのイベントに参加している写真だ
しかも、超ノリノリ!
そら、きつい絵面だな

 脅迫になるかはギリギリといったところ。

 ただ、料理部に危害が及ぶことはないだろう。


 先生のヘイトは二人に向かったはず。

 そしてこいつらなら、そのくらいなんとでもできる。

 

……さんきゅな

 素直に、俺は感謝の言葉を吐き出した。

この借りは必ず返すよ
 そう言い残して、俺は調理室に戻る。
で、おまえはどうすんだ? アキト

やるよ。やっぱり、この手はピアノを弾く為にあるみたいだ。

たとえ僕が、天才じゃなかったとしてもね

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登場人物紹介

主人公、秋葉(あきば)

諸事情により名前は黙秘。作中でさえ語られないものの推理は可能。

ちなみに母親などから「しーくん」と呼ばれている。

両親がパティシエなこともあり、お菓子作りが得意。

高校1年生だが友達はおらず、クラスで孤立している。


芳野アキト。友人たちからは何故だか「閣下」と呼ばれている。

人を食ったような性格で、何を考えているのかわからない。

ピアノの腕前は天才と称されるほどだが、とある事情から距離を置いている。

秋葉と同じ高校1年生で、彼とは別の意味で浮いた存在。

十文字マキナ。友人たちからは「ジジ」の愛称で親しまれている。

見た目はチャラいものの、発言の多くが著作権に触れかねないほどのオタク。

元天才子役だが、とある事情から舞台を去っている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは幼馴染の関係。

猫田。下の名前は誰も知らない。友人たちからは「ねここ」と呼ばれている。

アキトやマキナと共にいるのが不思議なほど、特徴のない少年。それを自覚してか、語尾で頑張ってキャラ付けをしている。

秋葉と同じ高校1年生で、アキトとは同じクラス。

四宮初菜(しのみやはつな)、小学1年生。

秋葉の母親の後輩である、和佳子の娘。

年齢に見合わない仕草や影があり、見る人が見れば歪な少女。

江本祥子、小学6年生。初菜にとって、おねーさん的存在。

アキトたちと面識がある様子だが、その関係性は不明。

年齢の割に大人びていて、手が大きい。

四宮和佳子。初菜の母親で年齢は内緒。

秋葉父の教え子であり、秋葉母の後輩。現在は秋葉両親が営むカフェの従業員。

曰く、元キャリアウーマンらしい。旦那とは離婚している。

秋葉の母。女性の菓子職人パティシエール。

夫とは年が離れているからか、年齢の割に少女の面影を強く残している。

秋葉の父。元教師、元彫刻家。現在はパティシエ。

妻との出会いは学校の教師と生徒だが、関係を持ったのは卒業後。

涼子先輩。料理部の部長で高校3年生。

中高一貫なので、中学時代から秋葉のことを知っている。

だが、高校生になってからは一度も会っていない。


 秋葉のクラスの委員長。

 孤立している秋葉を気にかけている。

保険医。サボり癖のある秋葉とアキトが一番お世話になっている先生。

なのに、2人からは名前すら憶えて貰っていない


増田先生。

数学を教えている高校教師で、生徒からは嫌われている。

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