6 インマヌエル
文字数 1,415文字
自分でなんとかするしかない。
そう悟りはしたものの、現実的な話、一人じゃもう無理だとも思っていた。
助けて、蛇!
助けて、だれか……。
心の中で祈ったけれど、応えてくれるものはない。
すでにあれが目の前にいる。昨日に引き戻されてしまう。ひとりで絶望の湖の底に沈んでいく。深く沈んでいきながら、あたしの頭の中には骨盤に監視されたあの部屋の光景がありありと浮かんできた。ひとりはさみしい、ひとりはつらい、ひとりは寒くて苦しいのだ。
戻りたくない。負けてはいけない。ここで諦 めてはいけない。
「運転手さん、助けて!」
気がつくと、あたしは全身の力をふり絞って叫んでいた。ほとんど祈りだったと思う。
運転手は、バックミラーでちらりとこちらを見たようだった。
驚いたのは、あれの反応の速さだ。すかさず運転席へ向き直し、平べったい骨盤を、下敷きを二つ折りにしたみたいにぺこりと曲げておじぎをする。いつもそうだ、ソトヅラはいいのだ、あれは腹立たしいことに。
一方あたしは、透明な鎖にすっかり縛り上げられてしまった。動けないし、仮に動けたとしても、逃げ場なんてもはや、ない。
再び、骨盤の呪いの言葉があたしに襲いかかってきた。
あたしは醜 い、あたしは汚い、きれいな明日に行く権利なんてない、呪いがあたしの意志を浸食してくる。子どもは親の言うとおりに生きるしかないんだと、おそらく認めてしまえば楽になるのだ。それが世界の真理だと――いやでもほんとうに?
骨盤の左右でうごめく何十本ものか細い腕の下から一本、逞 しい腕が現れた。ずる賢くあれが隠し持っていた、筋肉の盛り上がった太い腕だ。
その腕が伸びてきて、あたしの左腕をつかむ。ものすごい力で握りしめてくる。
おしまいだ。あたしの思考は完全に停止。ジ・エンド。
〝ウ、ゴ、ケ〟
けれどもそのとき、耳の側で声がした。
湖の底深く沈んでいたあたしが遠く見上げる水面の、ちらちらと踊る光の上から降ってくるように、あるいは天から響いてくるように、その声はあたしの心に沁みてきて、抱きしめ、あたためてくれた。
あたしは陽だまりを飲みこんだ(正確には、そんな気分になったということ)。そして、その陽だまりが、細胞のすみずみにまで行き渡っていくのを感じた。
心臓は、確かに熱く打っていて、肺は、規則正しく空気を吸ったり吐いたり繰り返している。あたしがそうと知らない間にも、休みなくそれは続いている。続いているのだ。
あたしの細胞は、あたしを生かし続けている。
〝助かりたければ、ウ、ゴ、ケ〟
耳の側、というよりも、あたしの内側でささやいているようなそれは、まぎれもなく蛇の声だった。
〝助けてほしければ、ウ、ゴ、ケ〟
そのとおりだと思った。
勝手に湖に沈んでいてはいけない。実際のあたしは湖の底ではなく、ここバスの中にいて、生きていて、そして自分が助かりたければ、自分から動くという方法が、まだあたしには残されている。
どんな結果になろうとも、どうせ負けるのだとしても、動かないで負けるより、最後まで動き続けていようとたったいま自分に誓った(それに、まだ動いている限り、それは負けではないんじゃないか)。
でも、最後って? 答えはすぐに出た。
きっと、あたしが死ぬまでだ。だってこれは、あたし自身との闘いでもあるのだから。
そう悟りはしたものの、現実的な話、一人じゃもう無理だとも思っていた。
助けて、蛇!
助けて、だれか……。
心の中で祈ったけれど、応えてくれるものはない。
すでにあれが目の前にいる。昨日に引き戻されてしまう。ひとりで絶望の湖の底に沈んでいく。深く沈んでいきながら、あたしの頭の中には骨盤に監視されたあの部屋の光景がありありと浮かんできた。ひとりはさみしい、ひとりはつらい、ひとりは寒くて苦しいのだ。
戻りたくない。負けてはいけない。ここで
「運転手さん、助けて!」
気がつくと、あたしは全身の力をふり絞って叫んでいた。ほとんど祈りだったと思う。
運転手は、バックミラーでちらりとこちらを見たようだった。
驚いたのは、あれの反応の速さだ。すかさず運転席へ向き直し、平べったい骨盤を、下敷きを二つ折りにしたみたいにぺこりと曲げておじぎをする。いつもそうだ、ソトヅラはいいのだ、あれは腹立たしいことに。
一方あたしは、透明な鎖にすっかり縛り上げられてしまった。動けないし、仮に動けたとしても、逃げ場なんてもはや、ない。
再び、骨盤の呪いの言葉があたしに襲いかかってきた。
あたしは
骨盤の左右でうごめく何十本ものか細い腕の下から一本、
その腕が伸びてきて、あたしの左腕をつかむ。ものすごい力で握りしめてくる。
おしまいだ。あたしの思考は完全に停止。ジ・エンド。
〝ウ、ゴ、ケ〟
けれどもそのとき、耳の側で声がした。
湖の底深く沈んでいたあたしが遠く見上げる水面の、ちらちらと踊る光の上から降ってくるように、あるいは天から響いてくるように、その声はあたしの心に沁みてきて、抱きしめ、あたためてくれた。
あたしは陽だまりを飲みこんだ(正確には、そんな気分になったということ)。そして、その陽だまりが、細胞のすみずみにまで行き渡っていくのを感じた。
心臓は、確かに熱く打っていて、肺は、規則正しく空気を吸ったり吐いたり繰り返している。あたしがそうと知らない間にも、休みなくそれは続いている。続いているのだ。
あたしの細胞は、あたしを生かし続けている。
〝助かりたければ、ウ、ゴ、ケ〟
耳の側、というよりも、あたしの内側でささやいているようなそれは、まぎれもなく蛇の声だった。
〝助けてほしければ、ウ、ゴ、ケ〟
そのとおりだと思った。
勝手に湖に沈んでいてはいけない。実際のあたしは湖の底ではなく、ここバスの中にいて、生きていて、そして自分が助かりたければ、自分から動くという方法が、まだあたしには残されている。
どんな結果になろうとも、どうせ負けるのだとしても、動かないで負けるより、最後まで動き続けていようとたったいま自分に誓った(それに、まだ動いている限り、それは負けではないんじゃないか)。
でも、最後って? 答えはすぐに出た。
きっと、あたしが死ぬまでだ。だってこれは、あたし自身との闘いでもあるのだから。