第七章(一)怪盗はやっぱり死ぬかもしれない

文字数 2,235文字

 午後十一時、左近の事務所に、左近、等々力、アントニー、柴田が顔を揃えた。四人とも、宅配便会社の制服を着ていた。
 アントニーが纏っている空気は、金持ちの息子から怪盗に変質していた。気分が変わると、空気も変わる。空気の変質はアントニーが怪盗時と平常時と気分を切り替えているためだ。

 アントニーが応接のテーブルの上にダンボールの箱を置いた。アントニーが待ち待ったゲームを前にした子供のような顔で、普段と変わらぬ口調で説明を始めた。
「ターゲットは紀元前五世紀に作られた銀製の枕。大きさは、縦二十㎝、横四十五㎝、高さが五㎝。枕といっても、中は空洞の枠状で、重さは三㎏」

 説明を簡単にすると、アントニーがダンボールの箱を開けた。
 中には緩衝材に包まった、前面と上面だけが金属の網に覆われた金属の枠の物体がある。本物とすりかえるための偽の枕だ。

 等々力は手袋をつけて偽物の枕を手に持った。
 本当に、これそっくりの物体が富豪のお宝なのだろうか。
 等々力は素直に疑問を口に出した。
「ちょっと、いいか。単純に銀の価格で計算すると、家庭用の据置型ゲーム機のほうが高いだろう。そんな安物が、本当にインドの富豪のお宝なのか」
 
 等々力の言葉に、すぐに左近が反応した。
「紀元前五世紀前後のインドといえば、ちょうどお釈迦様がいた時代よね。ひょっとして、なにか関係があるのかしら」

 アントニーが頷いた。アントニーは幾分か芝居がかった口調で説明し出した。
「若き頃のファルマ氏は古美術商から「お釈迦様が子供時代に使った枕です」と売り込まれ、購入した。それで、実際に使ってみたところ、夢枕にお釈迦様が現れた。お釈迦様が未来を教えてくれたおかげで、ファルマ氏は富豪になれたそうだよ」

 枕の作成された時期が紀元前五世紀頃なのは、確かだろう。だが、お釈迦様が本当に使ったかどうかなんて、確かめようがない。
「なんだか、怪しい品だな。作り話だろう。古い品だけど、本来の用途もきっと枕じゃない気がする。まあ、枕としても使えない用途もないだろうけど」

 アントニーもすぐに同意した。
「ただ、所持しているファルマ氏は、本物と信じている。実物はファルマ氏が『釈迦の枕』と呼んでインドから一歩も外に出さなかった。だけど、今回は特別に日本で開催される『釈迦の世界展』に他の美術品ともに貸し出される。展示品中、最も注目されず、価値が最も低い品だろう。だが、一番警備が厳重な品なんだ」

 怪盗グローリーがどんな怪盗かは知らないが、価値よりも厳重な警備が敷かれている事実が重要なのだろう。
 所有する富豪も狙う怪盗、どちらも本気だ。でも、警備や二人の周りの人にとっては、いい迷惑な話でしかない。展覧会主催者も、きっと『釈迦の枕』はいらないと思ったに違いない。
 とはいえ、他の貴重な美術品を貸してもらう手前、「大事な秘蔵品を貸しましょう」と申し出られたら、「いいえ、そのわけのわからない品は、要りませんよ」とは断れなかったのだろう。

 等々力は十人中九人までも思うであろう疑問を口にした。
「そんな大事な枕なら、日本に持ってこなければいいだろう」
 アントニーが悪戯っ子のように顔を輝かせて説明した。
「ファルマ氏の枕にお釈迦様が久々に現れて、日本に枕を持っていくように指示したそうだよ。ファルマ氏はお釈迦様の言葉なら仕方ないと、迷った末に決断した。だから、他の億を超える美術品より警備は厳重なんだ」

 お釈迦様も余計な口出しをしてくれたものだ。
 もっとも、お釈迦様のおかげで結果として、ガニーの命が救われたのは事実。だが、救われたガニーは、お釈迦様に感謝していないだろう。
「話を聞けば一見、筋が通っていそうだけど。腑に落ちないな。人の信仰に口出しする気はないよ。けど、海外マフィアに盗みにくる人物を殺してくれと頼む人物が、お釈迦様を信仰しているとは、本気で思えないな」

 左近が自然に口出しした。
「それは、どうかしら。日本のヤクザにも信心深い人は多いわよ。例えば――」
 等々力は即座に左近の言葉を遮った。
「名前は挙げなくていいです。知ると面倒な事件に巻き込まれそうですから」
 話が危険な方向に逸れそうになったので、枕やファルマ氏に関する話から作戦に関する話に戻した。
「それで、アントニーの作戦は、どうするの」

 アントニーは地図を広げた。
「作戦は枕が空港に着いてからスタート。枕は予定通りなら、明日の深夜、〇時二十分に到着。午前一時に枕は空港を出て、美術館に向けて輸送される。今回は輸送中に枕を入れ替える。盗みは、僕がやるから。君は僕と同じ格好で、地図に指定した橋の下で待っていて欲しい。僕のモーター・ボートが橋の下に入ったら、君と入れ替わる」
「肝心のリーさんは、どこで出てくるんだ」

「リーはバイクで僕を追ってくる。リーは橋の下を通り過ぎたら、五分後に発砲。リーの発砲した弾はボートに当って、ボートは爆発。君は、川底にあらかじめ待機しているアシスタントが回収する」
 アントニーが等々力を見ながら説明を続けた。
「リーの発砲は全部、空砲。ボートの操縦と爆破は、両方とも左近さんが遠隔で行う。だから、君はボートに乗ってタイミングよく河に飛び込んでくれればいい。爆発は一見したところでは派手に見えるけど、威力は、ほとんどない。安全は確保されているわけだ」

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