第2話

文字数 1,644文字


母は、急に降り出した雨に文句を叫びながら、洗濯物を取り込んでいた。どうやらまだ通話をしているらしく、相変わらずずぶ濡れの魁の方を見向きもしない。魁は玄関の隣の風呂場へ入ると、シャツを脱いで、雑巾のように絞った。皺だらけになったシャツだったが、そのまま洗濯籠へは入れられなかった。母が取り込んでいた洗濯物と、山のように服が積み上げられた籠を見るに、現状ではこのシャツが魁の一丁羅らしかったのだ。魁は息をのむと、まだ湿り気のあるシャツをもう一度羽織った。それから玄関に戻ると、靴棚に仕舞われていたレインコートと長靴を取り出した。去年ぶりに登場したそれらは、少しだけカビの匂いを漂わせて、今度は息を止めながら二つを身につけた。最後に、魁は傘入れから黒々とした一本の柄を選んで抜き取った。それは以前、一晩だけやってきた体格のいい男の人が置いていった、黒色無地の大きな傘だ。まだ新品らしく、小さいボタン一押しで颯爽と開いた。奥の方で何かしら、母の怒号のような声が聞こえたが、それは扉の外で唸り続ける風の手招きに劣っていた。魁はドアノブを回すと、少しだけおさまった雨と、吹き抜けていく風が立ち込める外界へと飛び出していった。
あの光の、「ほし」の正体が知りたい。魁は一心不乱に空を見回すと、先刻最後の光を見たところの近く、厚い雲の隙間からガラスのような光が差しているのに気がついた。それは、ここから少し登った先の、裏手にある丘のように小さな山の方に降り注いでいる。「ほし」が落ちたのは、きっとあの山の上だろう。その山道は、魁がよく一人で登って遊ぶ道だ。だから歩き方も、勝手もわかっていた。それなのに、今日は土砂降りのせいで足場が悪い。長靴の隙間からぬかるみが入ってきて、その気持ち悪さに魁は顔をしかめた。山に入ると、最初ほどではないものの平地よりは雨脚が強くなり、魁の背丈と同じくらいの傘は激しい雨音を立てる。雨を凌ぐために着たレインコートは、体中の汗で肌にへばりついてしまっている。
どれくらい歩いただろうか。魁の感覚ではまだ中腹あたりにもたどり着いていないが、少し疲れて傘を持つ手を一瞬だけ下ろすと、魁はぎょっとした。いつのまにか、辺りは白い煙に包まれている。嫌な予感がして、来たはずの方向に引き返そうとしたが、その道も白い煙で見えなくなっていた。思わず、どこへともなく走り出す。大声を上げることができないくらい混乱して、喉も乾いていた。どれだけ走っても、前に進んでいくたびに煙は濃くなっていく。ついに泥に足を取られて、魁は転がり落ちていった。

気がつくと、空は白かった。空は白くて、雨はまだ降り続いているのに、なぜだか眩しい。それに、レインコートで覆われていないはずの顔が、なぜだかとても熱い。口に溜まった雨水を、仰向けになったまま飲み込んで、ひとまずは喉を潤した。魁は、そうしてやっと立ち上がると、少し離れたところに落ちた黒い傘を拾い上げて、また空を見た。不思議だ。傘をさすと、顔の火照りが落ち着いていくように感じる。光はほぼ真上から差しているが、その線を目で辿ると、もう一寸先の方をスポットライトのように真っ直ぐ照らしている。そこを目がけて、また歩みを進めた。白い煙は魁の周りを包み込んだが、もう物怖じしなかった。思えば、白く見えた空の正体は、この煙だったようだ。そして、空から降る光の筋を見るに、「ほし」が落ちた場所に、大分近づいている。その確信を持って、また一歩を踏み出したそのときだった。魁の足元で、ばきん、と音がしたのだ。魁は思わず後ずさった。足があったところには、小さく細かいものがばらばらになって落ちていた。指先で触れてみると、まだ少し熱くて、石よりも硬い。煙の中を手で探ってみると、触ったかけらとおなじ色と温度の、何やら大きなものがあるのがわかる。ーーーきっと、「ほし」だ。魁は広げたままの傘を勢いよく振り回して、煙を払った。やっと全容をとらえると、魁の口から、あっと声が漏れた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み