最終話 未来
文字数 1,915文字
あれから八年の月日がたって、俺たちは三十路目前になった。
そう、俺は今も孝弘と付き合っている。
あの日の覚悟は俺にとっても本物で、なんだかんだ今日まで続いてきた。
孝弘は前もごつい大男だったが、最近では少しヒゲを生やして、渋い感じになった。
俺はなんだか大学の当初からの童顔で、年のわりに若く見られがちだ。
今、俺と孝弘は、東京のベッドタウンになっている都市の駅前に自分たちの店を持った。
あの大学時代に夢に描いた、白木の椅子とテーブルの、北欧チックな喫茶店だ。
まだ実際に見たことは無くて、設計段階のパースを見せてもらっただけだけど、良い感じである。
今日、工事会社から店舗の引き渡しがあって、俺たち二人はその業者の人と会っていた。
俺の隣にいた孝弘が、店舗の鍵を受け取り、シャッターを開ける。
光が差し込んだ店内は、パース図の通りに白木の椅子とテーブル、そしてカウンターが設置してあった。そして、真新しい木の香りが店内に充満していた。
ぱちっと電気をつけると、オレンジ色の光が、上の釣り鐘式の照明から降り注ぐ。
業者の人は自分が作ったような顔で自慢げにその店舗を見回した。
「ね、いい店になったでしょう」
「はいっ」
俺は感無量になって少し涙ぐんだ。
孝弘は口をあけて店内を歩き回っている。
「何か不都合があったら、いつでもうちに連絡ください」
そう業者の人はいうと、「じゃ、鍵はおいていきますから」と俺と孝弘に一つずつ鍵を渡したのを確かめる。そして、一仕事終わったとばかり、帰って行った。
残された俺たちは、年甲斐もなくウキウキして頬を赤く染め、店内を散策する。
孝弘はぽつりと言った。
「夢が叶ったな」
「ああ」
俺は同意して、店の白木の椅子に座ってみる。
「ああ、本当にいい感じだよ」
座った状態で店内を見回す。
あの大学時代のカフェを思い出すような造りだった。
店内を歩き回っていた孝弘は、俺の向かいの席に腰を下ろすと、あらかじめ買ってあった缶ビールを取り出した。
「今は昼間だけど、乾杯しようぜ。今日は俺たちの人生で一番の祝いごとだ」
「そうだな。ここで乾杯しよう」
孝弘が缶ビールを俺に投げてよこした。
渡された缶ビールのプルトップを開ける。
プシュッと泡がたって少し缶から泡がこぼれた。
「今日の日を祝して」
孝弘が缶ビールを高く上げる。
「乾杯」
「乾杯」
俺も高く上げた孝弘の缶ビールに、自分の缶ビールをぶつけた。
俺たちは大学を卒業したあと、飲食関係の仕事でサラリーマンをしていた。
営業や、店舗経営などの経験を踏まえ、自分で店をもつという夢に邁進してきたのだ。
開店資金を二人でため合って、大学を卒業してから、三十手前でやっとその資金が溜まった。
以前働いていた社会経験を踏まえ、自力で店舗経営に乗りだした。
本当にあの大学時代の夢が、今日、現実に動き出したのだ。
「つまみも買ってくればよかったな」
「そうだな。でもまあ、いいじゃないか。飲めれば」
「それもそうか」
俺たちはささやかな祝杯をあげる。
「今度、お世話になった人たちを呼んで、ここで開店パーティーをひらこうよ」
「ああ、いいな、それ」
「料理はここのメニューにする予定のものとか出して。コーヒーも俺、淹れるよ」
「忙しくなりそうだ」
孝弘が笑う。俺も笑った。
今日は、俺たちの出発の日。
こんなにいい日があるだろうか。
好きな人と築いた俺たちの城は、社会という戦場で戦って勝ち取った、まさに血と涙の結晶だ。
ここでずっとヤツと仕事して、過ごしていく。
「あ……」
「何だよ」
外を見て目を見開いた俺に、孝弘も外を見た。
外に植わっていた街路樹の梅が、花を一輪つけているのが見えたのだ。
真っ白い、小さな一輪の花。
それは孝弘を受け入れた、あの日にみた梅の花を思い出させた。
あの日も初春で、ちょうど今と同じくらいの季節だった。
「梅の花が咲いてる。春がきたんだな」
「何のんきなこと言ってんだよ。これからが忙しくなるんだぞ」
呆れられたけれど。
孝弘との出発はいつだって春だから。
この春を告げる花を見ると、幸せになる。
「なあ、孝弘」
「なんだよ」
「キスしよ」
突然に言った俺に、孝弘は苦笑している。
でも、俺の心情をくみ取ってくれたように、缶ビールをテーブルに置いた。
こいつはいつも俺の考えていることが分かっているように思える。
そうして俺を甘やかしてくれるのだ。
両手で頬を包まれた。
そして、何かの儀式のようにゆっくりと唇を重ねた。
俺たちの喫茶店の中。
俺たちの城には。
キスをする俺たちを祝福するかのように、窓から柔らかい春の光が差し込んでいた。
END
そう、俺は今も孝弘と付き合っている。
あの日の覚悟は俺にとっても本物で、なんだかんだ今日まで続いてきた。
孝弘は前もごつい大男だったが、最近では少しヒゲを生やして、渋い感じになった。
俺はなんだか大学の当初からの童顔で、年のわりに若く見られがちだ。
今、俺と孝弘は、東京のベッドタウンになっている都市の駅前に自分たちの店を持った。
あの大学時代に夢に描いた、白木の椅子とテーブルの、北欧チックな喫茶店だ。
まだ実際に見たことは無くて、設計段階のパースを見せてもらっただけだけど、良い感じである。
今日、工事会社から店舗の引き渡しがあって、俺たち二人はその業者の人と会っていた。
俺の隣にいた孝弘が、店舗の鍵を受け取り、シャッターを開ける。
光が差し込んだ店内は、パース図の通りに白木の椅子とテーブル、そしてカウンターが設置してあった。そして、真新しい木の香りが店内に充満していた。
ぱちっと電気をつけると、オレンジ色の光が、上の釣り鐘式の照明から降り注ぐ。
業者の人は自分が作ったような顔で自慢げにその店舗を見回した。
「ね、いい店になったでしょう」
「はいっ」
俺は感無量になって少し涙ぐんだ。
孝弘は口をあけて店内を歩き回っている。
「何か不都合があったら、いつでもうちに連絡ください」
そう業者の人はいうと、「じゃ、鍵はおいていきますから」と俺と孝弘に一つずつ鍵を渡したのを確かめる。そして、一仕事終わったとばかり、帰って行った。
残された俺たちは、年甲斐もなくウキウキして頬を赤く染め、店内を散策する。
孝弘はぽつりと言った。
「夢が叶ったな」
「ああ」
俺は同意して、店の白木の椅子に座ってみる。
「ああ、本当にいい感じだよ」
座った状態で店内を見回す。
あの大学時代のカフェを思い出すような造りだった。
店内を歩き回っていた孝弘は、俺の向かいの席に腰を下ろすと、あらかじめ買ってあった缶ビールを取り出した。
「今は昼間だけど、乾杯しようぜ。今日は俺たちの人生で一番の祝いごとだ」
「そうだな。ここで乾杯しよう」
孝弘が缶ビールを俺に投げてよこした。
渡された缶ビールのプルトップを開ける。
プシュッと泡がたって少し缶から泡がこぼれた。
「今日の日を祝して」
孝弘が缶ビールを高く上げる。
「乾杯」
「乾杯」
俺も高く上げた孝弘の缶ビールに、自分の缶ビールをぶつけた。
俺たちは大学を卒業したあと、飲食関係の仕事でサラリーマンをしていた。
営業や、店舗経営などの経験を踏まえ、自分で店をもつという夢に邁進してきたのだ。
開店資金を二人でため合って、大学を卒業してから、三十手前でやっとその資金が溜まった。
以前働いていた社会経験を踏まえ、自力で店舗経営に乗りだした。
本当にあの大学時代の夢が、今日、現実に動き出したのだ。
「つまみも買ってくればよかったな」
「そうだな。でもまあ、いいじゃないか。飲めれば」
「それもそうか」
俺たちはささやかな祝杯をあげる。
「今度、お世話になった人たちを呼んで、ここで開店パーティーをひらこうよ」
「ああ、いいな、それ」
「料理はここのメニューにする予定のものとか出して。コーヒーも俺、淹れるよ」
「忙しくなりそうだ」
孝弘が笑う。俺も笑った。
今日は、俺たちの出発の日。
こんなにいい日があるだろうか。
好きな人と築いた俺たちの城は、社会という戦場で戦って勝ち取った、まさに血と涙の結晶だ。
ここでずっとヤツと仕事して、過ごしていく。
「あ……」
「何だよ」
外を見て目を見開いた俺に、孝弘も外を見た。
外に植わっていた街路樹の梅が、花を一輪つけているのが見えたのだ。
真っ白い、小さな一輪の花。
それは孝弘を受け入れた、あの日にみた梅の花を思い出させた。
あの日も初春で、ちょうど今と同じくらいの季節だった。
「梅の花が咲いてる。春がきたんだな」
「何のんきなこと言ってんだよ。これからが忙しくなるんだぞ」
呆れられたけれど。
孝弘との出発はいつだって春だから。
この春を告げる花を見ると、幸せになる。
「なあ、孝弘」
「なんだよ」
「キスしよ」
突然に言った俺に、孝弘は苦笑している。
でも、俺の心情をくみ取ってくれたように、缶ビールをテーブルに置いた。
こいつはいつも俺の考えていることが分かっているように思える。
そうして俺を甘やかしてくれるのだ。
両手で頬を包まれた。
そして、何かの儀式のようにゆっくりと唇を重ねた。
俺たちの喫茶店の中。
俺たちの城には。
キスをする俺たちを祝福するかのように、窓から柔らかい春の光が差し込んでいた。
END