巡りましょう回りましょう

文字数 3,498文字

 ネズミがいました。家族です。父親と母親と、それから22匹の子供達がいました。あと3日ほどで、孫も生まれる予定です。そうなると、合わせて300匹近い大家族になります。両親は、とても幸せでした。
 しかし、問題が一つだけあります。
 彼らの住む場所は食料が乏しく、そんな大所帯が暮らしていくのは大変なのです。両親の20匹もいた兄弟たちと、その子供と孫たちもこの辛い環境では生きていけませんでした。
 引っ越しをしよう。
 お父さんは考えました。
 引っ越しをして、みんなでお腹いっぱい食べよう。
 でも、どこへ行くっていうの?
 お母さんは困り顔です。
 引っ越した先が、ここよりいい場所だなんて保証はないわ。
 そうだ、だから、俺だけで行こうと思う。俺が探しに行くから、戻ってきたら一緒に移り住もう。
 そう言って、ネズミの父親は旅立ちます。昼も夜も朝も眠らずに、あちらこちらへと渡り歩きます。食べる時間すらも惜しんで、眠る時間も削って、ずっと新天地を探し続けていました。ネズミの足では広い範囲を動くのに時間がかかってしまうので、できるだけ長い時間を歩き続けたのです。
 そうして、何日も何日も歩いて、もう産まれてきただろう孫たちの事を思います。
 そんな時でした。
 にゃ〜ご、と。そんな声が聞こえてきたのです。
 見上げると、一対のアーモンドアイが見下ろしていました。まっすぐと獲物を見据えて、飛びつく時は今か今かと待ち構えています。
 逃げる事は、できませんでした。
 四本のある脚の二本が折れて、一本が千切れるほど全力で逃げましたが、猫の足にはかないませんでした。素早い前足に弾かれて、内臓が傷ついたようです。もう一歩も動く事ができません。
 もう子供達には会えません。とうとう孫の顔を見る事はありません。そして、もう奥さんと話す事はできません。
 悔しくて悔しくて、悲しくて悲しくて、そして恨めしくて。ネズミのお父さんは声にならない声をあげます。
 絶対に、許さない。
 猫の口にくわえられ、きっとその声は届きませんでした。それでもネズミは、命がある限りずっとその言葉を言い続けました。



 猫がいました。親子です。母親と、たった1匹の息子でした。本当なら5匹いましたが、産後の肥立ちが悪くてすでに死んでしまったのです。残った1匹も、立ち上がるどころかほとんど目を開けなくなってしまいました。
 きっと、お腹いっぱい食べる事ができれば解決するような問題です。ちゃんと栄養を取り、ぐっすり眠ればすぐによくなるでしょう。しかし、この辺り一帯は環境が悪く、母親の猫ですら日に日にやつれていっているのです。
 ちょっと遅くなるからね。
 母親は言います。
 私の分の食べ物も全部あげるから、今日はちょっとだけ我慢してね。
 いつもの狩場より離れたところに赴き、食料を調達してこようと考えたのです。子供が長い時間耐えられるかはわかりませんでしたが、これ以外に親子二人で生き残る方法はないと考えました。
 そうして、母親は走り出します。自分もお腹を空かせているのに、我が子のために必死に走りました。身体中の毛にはもう艶がなく、目も霞んでしまうほどの疲労を感じています。猫の足ならば、急げば遠くまで行けるだろうと頑張りました。今でも寝たきりなのだろう息子の事を思います。
 そんな時です。
 ようやく、念願の獲物を見つけました。まだ周りの土地は痩せていますが、迷い込んだのだろうネズミが一匹視界に映ったのです。
 幸運、でした。酷く衰弱していたネズミを獲るのは簡単で、お腹を空かせた彼女にも容易でした。そのネズミをくわえて、早速我が子の元へと戻ります。雨の匂いが近づいてきているので、急いで戻らなくてはなりません。
 これで、またしばらくは生きていける。もしもあの子が歩けるようになったら、今度は一緒に歩いて住む場所を変えよう。
 そう、思っていました。
 母親の猫が戻ると、息子はそこにはいませんでした。息子が眠っていた場所には鳥が群がり、わずかに残っている血染めの塊をつついているのです。
 何が起こったかなど、一目瞭然です。母親の猫はくわえていたネズミを取り落とし、空を見上げて呆然としました。そこに飛ぶ鳥たちは軽やかで、まるで母親をばかにしているように感じました。
 絶対に、許さない。
 たった一言そう言うと、母親の猫は自らが取り落としたネズミを食べ始めます。見つけた時はご馳走だと思ったネズミでしたが、どうやら味はしなかったようです。



 鳥がいました。独り身です。彼は若いので、まだ子供を作る必要はないと考えていました。そうでなくてもこの辺りは食料が少なく、自分を生かす事で精一杯なのです。それに加えて子供の分などと、考えただけで億劫になってしまいます。
 そんな彼がお腹を空かせている時、ちょうど眼下に獲物が見えてきました。どうやら猫のようですが、全く動いていません。怪我をしているのか、お腹を空かせてるのか、ともかく、これ以上にない獲物である事に変わりはない。
 一も二もなく、飛びかかります。呆気なく首を折り、爪をその体に食い込ませます。あまりにも手際が良かったので、きっと苦しむ間もなかった事でしょう。鳥はすぐさまその場所から飛び立ちます。自分が落ち着けるような場所に移動して、ゆっくりと食事をしようと思っていました。今この時にも、わずかに落ちた血液に小さな鳥が群がっています。
 猫を仕留められたのなんて、いつぶりでしょうか。少なくとも、親が死んでからは初めてに思います。彼の両親は、飢餓によって命を落としているのでした。食料が足りないと分かっていたのに、彼に優先的に食べさせていたのが原因です。おかげで彼は生きていますが、両親は日に日に衰弱していって緩やかに死を迎えました。そんなわけで、彼はつがいを持とうとは思えません。いずれは立派だった両親のように子供を持つのかとは思いますが、今しばらくそのつもりはありません。自分が生きる事で精一杯では、両親と同じように何かのために命がかかると分かっていたからです。
 少なくとも、多少の余裕ができるまではと、そう思います。そう思い、少しずつ引越し先を考えているところです。
 飛んでいるうちに、雨が降ってきました。まだ住処は少し遠くにあります。今日は、新しい住処を探している途中だったので、遠くまで来ていたのでした。
 やがて、雨は豪雨になり、豪雨は雷雨になります。鳥にとっては、あまりに過酷と言えました。翼を打つ雨が重く段々と飛ぶ事も難しくなります。ただでさえ獲物を持っている上でこの雨なので、高度を維持するために必死にならなくてはなりません。
 そして、近くに落雷。
 驚き、獲物をとり落とし、とうとうバランスを崩してしまいます。空中をきりもみして落下。なんとか翼を広げて体勢を立て直そうとするも、間に合わず地面にぶつかってしまいました。翼の骨が折れ、血が流れます。ただ、どうにか体勢を立て直そうとした事が功をそうしたのか、命に別条はないようでした。
 雷が直撃していたなら、こうはいかなかったでしょう。
 獲物はどこかに落ちてしまったようです。しかし、しばらくはここで安静にするしかないでしょう。無理に動いてしまったら、治るものもありません。それに、どちらにしても翼が治らなくてはまともに動き回れないのですから、じっとしている以外の選択肢はないでしょう。
 死んでしまった両親の事を考え、自分が命を拾った事に感謝します。もしかしたら両親が守っていてくれたのかと、そんな事を思います。
 そんな時でした。
 チュウ、チュウ、と。そんな声が周りから聞こえてきます。
 暗がりから現れたのは、目を光らせたネズミ。きっと空腹なのでしょう。この辺りに住んでいる動物はみんな空腹ですが、それ以上に、彼を見るネズミたちの目を見れば一目瞭然です。明らかに彼らよりも大きい体をしている相手だというのに、それに臆さず逆に襲おうというのですから。
 鳥は慌てます。たかがネズミだと思うでしょうか。それは、ネズミが一匹だった場合でしょう。まさか、数百匹はいようという牙を持つ小動物を前にして、まさかたかだかなどと言えるはずもありません。まして、翼は折れて飛べもししないのですから。
 もう、ネズミから逃げる術はありませんでした。力の限り暴れて、それでも小さな牙が体に食い込みます。やがて命を落とす直前に、彼は蚊の鳴くような声をあげました。
 絶対に、許さない。
 ネズミにすら聞こえないほどの小さな声は、雨の音に掻き消えてしまいます。それが、彼の最後の言葉でした。
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