32*奈良県高市郡明日香村

文字数 3,126文字

 天ツ軍が名草から熊野へと動いた。
 山を越えても、川を遡っても、まずは吉野を通る。オオクニヌシは吉野でなく、飛鳥に陣所を構える。吉野は山々に囲まれて軍形が整えにくい。飛鳥は、大和盆地の南方にあり、吉野から三輪の本陣へと進むならば必ず通る。どう進んできても軍形を整えやすい。後方が開けてるぶん、国ツ軍が有利。湿原の戦となるが、同じ条件ならば地の利がわかってる国ツ軍が有利。
 飛鳥の北方に香具山、北東方に鳥見山。鳥見山の向こうの忍坂にトミビコ軍が陣所を構えてる。その後方の三輪にニギハヤヒ軍が本陣を構えてる。東の軍の、いや、西の軍の降伏後は国ツ軍の最終防衛戦線。設営を整えるまで、オオクニヌシ軍が天ツ軍を抑えなければならない。
 しかし飛鳥は、アヤ族の本拠地。噂でアヤ族とカラス衆は通じてるという。
 オオクニヌシは飛鳥に陣所を移す前に、アヤ族の族長と会う。

『久しぶりです。檜隈の姫』
 真神ノ原は飛鳥の中心にあり、真神と呼ばれる老狼が棲む。真神は人語を解し、人の性質を見わけ、善人を守り、悪人を食らうという。
 檜隈の姫はアヤ族の巫。彩られた巫衣とハデな化粧。数本の首かざり、腕輪、足輪が動くたびにうるさい。
 オオクニヌシが握手のための右手を差し出すが、檜隈の姫は手を取らない。振り返り、背を見せる。檜隈の姫の悪態にオオクニヌシは頭を掻く。むくれてるのか。
 蕃国(トナリノクニ)の王族が出自というアヤ族も、檜隈の姫が治めるようになって変わった。王族というより山賊に近かった。トミビコに黙って出雲国の神人を大和国に住まわしたが、飛鳥周辺は住みたがらなかった。いや、住んでたが、檜隈の姫に身ぐるみを剥がされて追いだされた。幾度とオオクニヌシは会い、追いださないように話してた。しかし話の数日後に追いだされた。オオクニヌシはうんざりしてた。
 天ツ軍進軍で忙しく、最近は檜隈の姫に会ってなかった。今日も使い烏を飛ばそうと思ってたが、大事な話なので来た。
『オオクニヌシは忙しそうだね』
 むくれてる。御機嫌は斜め、いや、御機嫌は倒れてフテ寝。
『ええ、元気です。今日はいつもと違う話があってきました。ヤマトに天ツ軍が攻めてきます。ヤマトが奪われると、アスカも無事でないでしょう』
 オオクニヌシは言いながら悔やむ。挨拶は『会いたくて来ました』だ。明らかに檜隈の姫は繕えないほどにむくれてる。オオクニヌシは転生を繰り返えし、性格を作り直した結果、思考がちょっとおかしくなってる。クエビコが居れば諭したり、諌めたりしてくれるが、黙って来たので居ない。
『アタシは関わらないよ』
『わかってます。できれば戦が終わるまで関わらないでいただきたい』
 なので、自覚のあるオオクニヌシは、クエビコが居ないときは、いつもしくじらないように話を短くするように努める。
『終わったら?それで天ツ軍が勝ったら?』
『御自由に関わってください』
 なのに、いつも悪い結果を導く。
『いいのかい?』
『ただ、もうカラス衆が天ツ軍を助けてます。そしてカラス衆にタカクラジがいると聞きます。姫様が命じてるのではないのでしょうか』
 また、はっきりと言ってしまう癖を直したい。興味のないあいてに、まったく気を遣わないと、いつもクエビコに怒られてる。逆に興味のあるあいてに、回りくどいくらい気を遣いすぎてると飽きられてる。
『さあ?』
『タカクラジは王族の最後の血族です』
『最後の王族だろうと、神威の無い神は、神に成れない。長に成れない。おかしいね、オオクニヌシはしがらみが嫌いなはず。……タカクラジが、男が、好きなのか』
『タ、タカクラジのいないアヤ族が心配で』
 オオクニヌシは『タカクラジでなく、アヤ族が心配で』と言おうとしたが、檜隈の姫の『男が好き』という言葉に動揺、言いまちがえる。
 なるべく平然を装う。
『……アタシじゃないんだ』
 檜隈の姫の言葉の意味はわからなかったが、アヤ族にとってタカクラジの存在意義は大きいはず。いちおう確認を行う。
『タカクラジが死に、天ツ軍が勝つ。アヤ族はどうなるのでしょうか?』
『タカクラジが死に、天ツ軍が勝つだけ。アヤ族はどうもならない。アタシも。ここでオオクニヌシが傅くくらい。土産にタカクラジの骸をあげるわ。もう話は終わり?』
『はい』
『アタシは帰るね。まあ、がんばって勝ってよ。あー、ひとつ、言い忘れたけど、最後の王族はタカクラジだけじゃない。弟神がいるよ』
『弟……神?』
『そう、オオクニヌシは会ってないけど、兄の成れなかった神に、成った弟神。そしてアヤ族の長に成る』
 オオクニヌシは檜隈の姫を見る。だからタカクラジはどうなっても良い、と。
『怖い顔だ。まあ、国ツ軍が勝ったら、アヤ族はオオクニヌシに仕えるから』
 オオクニヌシは檜隈の姫を見おくる。溜息をつく。とりあえず話は付いた、と思う。
 まもなくオオクニヌシ軍が着く。クエビコに黙っておこう。

***
 クエビコさんに言われ、検索。奈良県高市郡明日香村に檜前(ヒノクマ)がある。隣の御所市にタカミムスヒを祀り、地上の高天原と言われる高天彦神社がある。明日香村の周辺は飛鳥と呼ばれ、天武天皇が飛鳥時代に宮都を置いた。またまた、天武天皇。
 天武天皇は中華思想を学び、同じように天子を頂点とする王権体制を築いた。古代中国で天子の権威の及ばない辺境の異民族を夷狄(蕃族)と卑しんだ。中国は東方の日本を東夷(とうい)と呼び、大和国は東国(関東・東北地方)に住む人を東夷(あずまえびす)と呼んだ。西国の熊曾と東国の東夷。中華思想は、元は古代中国のアヤ族の自民族中心思想。農耕と儒教を尊ぶ。飛鳥時代に始まった収穫祭の日(勤労感謝の日)。新嘗祭はとても大事な日だ。
「そ、そうだ。宮都が置かれる前は、ア、アスカはヤマトのアヤ族の、本拠地だ」
 古代中国の王族の後裔と称するヤマトのアヤ族は、天ツ神に領地を渡し、製鉄技術、土木建築技術を教え、そして軍事、特に暗殺を任される。初代征夷大将軍はイヅメの後裔。後にヤマトのアヤ族が継ぐ。江戸時代は、征夷大将軍は事実上の最高権力者となる。
 なるほど。天ツ神を表で、裏で仕えた一族。裏を知りすぎた一族。
「暗殺か」
 カラス衆を思いだす。
 神話も、古代中国の神話の影響があり、ヤマトのアヤ族の関与が考えられる。
「たしか、キトラ古墳にヤタノカラスが描かれてるってあった」
 天ツ軍を導いたヤタノカラス。天ツ軍に神剣を渡したタカクラジ。名草に潜むカラス衆。神宮と同格の日前神宮国懸神宮。なんかヤマトのアヤ族、カラス衆と関係がある。
「ひ、檜は社や寺を建てる建材となる尊い、日の木、霊の木が、ご、語源だ。木曽、高野で伐られる木。檜を神木として崇める一族だ。こ、高野山を挟んで日前と檜前がある。キノ川を遡ればアスカだ。……アスカはオレらが天ツ軍に負けた地だ」
 肩があれば、きっと肩をおとしてるだろう。
 瀬戸内海、紀伊水道を通り、紀ノ川を遡り、飛鳥。神話以前に、降りてきた天ツ神か。

 河内国のカワチのアヤ族とヤマトのアヤ族は同族という。竹内街道で河内国の飛鳥と大和国の飛鳥は結ばれてる。河内飛鳥も、カワチのアヤ族の本拠地も大阪府羽曳野市の周辺。多数の古墳がある。飛鳥戸神社、ちょっと離れてるけど、百濟王神社がある。
 アヤ族、カラス衆、濱宮と日前神宮国懸神宮とナグサヒコ、そして飛鳥。謎ときだ。飛鳥の語源は不明。うーん。他に飛鳥は……あった。三重県熊野市飛鳥町。
「熊野に?」
 調べたいが、桜井駅に着く。気になる、気になる。
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