夏が、はじまる。#1 Side Blue

文字数 927文字

「ねえちーちゃん、今日放課後暇?」
「……放課後?」

 夏休みが近づいて、なんとなくみんな浮き足立ってきた頃の休み時間。隣の教室からやってきたナオは、わたしの机の前に立つなり、いつもの勢いのある笑顔でそう問いかけてきた。

「……用件は?」
「図書委員ある?」
「ないけど、用件は?」
「急いで帰る用事は?」
「だからないから、用件は何」

 彼女はいつもこんなふうに、周到にわたしの逃げ道を潰していく。今までこの手の調子で生徒会の手伝いを頼まれたり(彼女も生徒会役員とかではなくお手伝い要員だった)、先生に頼まれたノート回収を手伝わされたりといろいろあった。
 かくいうわたしも、部活にも入ってない、委員会も週に一度だけ。バイトとか特別なことさえなければ、基本的に用件を断ったりしないのだけど、

「はい、これ!」

 手渡されたプリントを見て、今日だけは断りたい……と思ってしまったのはごめん、ナオに罪はない。
 それは、軽音楽部のライブのチラシだった。

「今日の放課後にあるんだって、一緒に行かない? ていうか来て?」
「なんでナオが宣伝してるの、帰宅部でしょ?」
「いやー前に見学に行ったよしみで人集め頼まれちゃってさー」

 あはは、と彼女は照れたように笑った。へえ、見学行ったことあるんだ。そんなことを思いながら、一応、チラシに目を通す。部の精鋭バンドとやらが演奏する、らしい。曲は、知ってるのがそれなりに。

「ね、なるべく人集めてほしいって言われてるの。三十分くらいだから、ちょっとだけでも覗きにきて! お願い!」

 顔の前で両手を合わせて、どうして彼女がそんなに必死になってるのだろう……と思ったけど口には出さない。その代わり、

「……わかった、少しだけなら」

 わたしの返事に、ナオの顔がぱっと輝いた。犬だったら絶対尻尾をぶんぶん振り回してるレベルの喜びように、思わず苦笑する。彼女のこの笑顔にはどうも弱い。

「じゃあ放課後にね! 忘れないでね!」

 チャイムとともに自分の教室に戻っていくナオを見送ってから、ふっとため息。チラシは二つ折りにして、鞄に雑に仕舞った。
 あの場所には、あまり近づきたくなかったのだけど。
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登場人物紹介

★アナウンス★

・アイコンイラスト(ちびキャラVer)を追加しました。

(2020/07/24)


・奈桜・真希・千夏の夏私服と所有楽器のイメージイラストを

ツイッターに公開中です。

*第2章-#3 を読んでからご覧いただくとより楽しめるかと思います。

斉藤 奈桜《さいとう なお》


高校二年生。いつも明るく、誰とでも仲良くなれる少女。

バンドではギター・ボーカルを務める。

佐倉 千夏《さくら ちなつ》

奈桜の同級生。学校ではおとなしい文学少女。

バンドではギター担当。

井川 真希《いがわ まき》

奈桜の同級生。薙刀部所属の文武両道少女。

バンドではベース担当。

富士森 天音《ふじもり あまね》

千夏のバイト先の店長の娘。高校一年。

バンドにはドラムのサポートメンバーとして参加。

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