轟音の地下鉄構内、マリアを巡って二人の想いが交錯する

文字数 2,962文字

第八話 勢いずく反戦集会の行方
「ごめんね。ひどいことに巻き込んじゃったね」
 ここは学校帰りのいつもの小さな公園。辺りはすっかり暮れなずむ。街路灯が頼りなさげな灯りを点す。
 沙也加はブランコに腰かけている。子供たちはもはやいない。夕方になって、またあちこちの打撲傷が痛んできやがった。正孝は鎮痛剤を服用しなかったことを悔やむ。動きにぎごちなさが目立つ。

 ふと、沙也加が正孝に近づく。
「頭の包帯が外れかかってるよ。巻きな直してあげる。ここに座って」
 近くのベンチを指さした。沙也加は丁寧に包帯を外しほつれを戻してからまた巻き直す。こんなに近くに沙也加を感じたことはない。頭が沙也加の胸辺りにある。何とも心地の佳い香りがする。シャンプー、リンスの香り。いや香水なのか。
 そんなことを考えている時に、沙也加の指先が直接患部に触れた。と、すぅーとズキズキ疼く痛みが消え去った。え、好きな女子にはこんな力が宿っているものなのか? 正孝は陶酔の中に身を浸していた。
 不思議なもので彼女のためならどんなことでも出来る。そんな危なっかしい正義感も芽生えていた。
 包帯を巻き終えた沙也加が、
「もうあなたは来てくれなくていいよ。ベトナムの民に共感してくれた。それだけでもう充分だわ。
 不思議ね。スロープに来てくれてからまだ三月しか経っていないのに。私の想いに賛同してくれて集会にも一役買ってくれた。ほんとうにありがとう……」
「いや、オレはまだやるよ」
 正孝は真っ直ぐな瞳を沙也加に向けた。
「えっ?」
 たじろぐ沙也加。
「全体連の奴らにも参加して貰う。だって、総長の『檄文』見たろう。学校側も賛同してくれている。反対する理由なんてないさ」

 さてさて、この会話を盗聴している者がいた。潜入捜査官、小林栄作。沙也加のパッチワークジーンズの肩掛けバッグには盗聴器が入っている。五センチぐらいのリスのヌイグルミに仕込んである。担当の女性捜査官によると沙也加は悦んで受け取ったそうだ。
 公安は常に最先端の機器を操る。提供元は政府公認の電子機器製造会社。感度は良好。耳のイヤホンを通して聞こえてくる。また同時に胸ポケットの端末機器にも録音される。捜査会議に開示するためだ。栄作は羽田を尾行してこの公園に辿り着いた。近くには沙也加が住んでいると称しているヤサがある。
 二人の会話から、来る6.30♪「Let it be 」の大規模集会で、どんなことが起きるかは予測出来ていないようだ。栄作は審議官にも報告していない怖れを抱いていた。革共連、青社連は間違いなく乱入してくる。ただ、怖いのは米諜報員が彼らに何らかの支援をすることだ。
 米国は手段を択ばない。♪「Let it be 」集会を率いる赤井沙也加を潰しにかかる。米軍を貶める輩を野放しには出来ない。民主主義のリーダーであり、世界の警察官を自認する彼らは誇り高き存在。
 表向きは言論の自由を標榜し、どんな辛辣な暴言にも耳を傾けるそぶりを見せる。が、そこに不都合な真実があってはならない。つまりベトナム戦争を例にとれば戦争行為への誹謗中傷は甘んじて受ける。彼らは常に勝共思想を掲げ、住民を護りながら共産軍と自由への闘いをしていると嘯く。
 だが、そこに米軍兵士のジェノサイド(住民への大量殺戮)の証拠となるような写真、画像を出されて米国の暴走、泥沼の戦争と揶揄されることを嫌う。断固として阻止したい。そこで暗躍するのが諜報員。奴らは表向き米国大使館職員を装う。
 しかし、ことあるごとに別の顔を覗かせる。盗聴、盗撮、誘拐、拉致、拘束、暴力、殺人と何でもする。それが国家利益に結びつくと考える。栄作には確信があった。絶対に米国は動く。理不尽なジェノサイドからベトナム人民を護るための平和を標榜する赤井沙也加は邪魔者。  
 たった一人の女性から始まった活動は学生たちの共感を呼び、集会は日々膨れ上がる。三万を超える学園は炎上する。大抵は、若さ故の軽挙妄動を抑えるはずの学内も賛同する側に回ってしまう。
 米国には、慮外の突拍子もない事態だ。今や〇大の「ベトナム戦争反戦集会」は「♪『Let it be』革命」とマスコミに称され、連日の報道合戦によって国民の関心も高い。下手をうつと、米軍の即時撤退は同盟国である日本国民の総意となりかねない。

 栄作は正孝の帰り際を狙った。いつものように沙也加を女子寮に送り帰路につく。彼は地下鉄で江東区の自宅に帰る。地下鉄のホームで声をかけた。ここなら盗聴の恐れはない。地下深いし電車の轟音で声が掻き消える。
「羽田君だね。僕は公安警察の小林と言います」
 栄作は真正面から向かうことにした。正しいことは正しい方向から。彼の信念だ。
「ちょっと頼みたいことがあります。赤井沙也加さんのことで」
 羽田正孝は最初こそ警戒していたが彼女の名前で立ち止まった。
 二人は構内のベンチに座る。

「ざっくばらんに言う。6.30♪『Let it be 』集会は狙われている。革共連と青社連に」
 正孝は理解出来ないようだ。
「奴らは革命の戦士だ。もちろんベトナム戦争にも反対していた。ところが赤井沙也加が新たな闘争の形態を持ち込み、学校側も同意してしまった。彼らの面目はどうだ? 彼らだって人生をかけて革命に命を捧げている」
 栄作はたたみかける。
「ちょっと考えてみてくれ。頼みと言うのは沙也加さんを護って欲しいのだ。革命の戦士は間違いなく沙也加さんをも標的にする。そこでだ。屈強な全体連を味方につけて彼女を護って欲しい。
 こんなことを民間人の君に頼むのは警察官としておかしい。けれど公安は動けない。君に言っても理解は難しい。これは米国を巻き込んでの国家間の難事件なんだ。頼む。よく考えてくれ!」
 折しも上下線二本の電車がホームに滑り込んできた。凄まじい轟音と風。これじゃ、盗聴も盗撮もムリだ。栄作は言うだけ言って立ち去った。

 正孝は公安警察官の申し出を車内で考えていた。「我々は、ここに集い、妥当政府を目指し、一致団結して、……」革共連、青社連の(革命節)が頭に浮かぶ。あの警察官の指摘通りに中には革命に拘り続け、六年、八年生も居るらしい。
 親にしてみればたまったもんじゃない。警察の捜査は親族全員に及ぶと言う。損得を考えればバカがすることに等しい。今の日本に革命など起こせるわけない。それでも人生を賭けるには並々ならぬ信念があるのだろう。
 〇大は維新の志士によって設立された大学として名高い。「尊王攘夷」に命を賭した維新の志士たち。〇大に一途な革命の戦士たちが集うのもそのせいだとも考えられている。けれど決定的な違いがある。維新の志士たちには礼節があった。それはスポーツに熱心に取り組む体育系の学生が持つもの、スポーツマンシップだ。
 革命の戦士たちにはそれがない。互いに監視しあい少しでも革命の理念に反したり、失敗すると総括(チクる)、粛清(リンチ)する。今まで一緒に闘って来た仲間に大けがを負わせ、命までも安易に奪う。
 あの公安警察官の言うように確かに奴らなら沙也加の命まで狙うかもしれない。正孝は心理学科の学生。じっくり心理分析をしてみよう。しかし動くなら急がなくてはならない。6.30までは一週間を切っていた。
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