第6話 ヒマラヤの見えるアパート

文字数 3,501文字

 近所の日本食レストランに野菜炒め定食を食べにいって、日本人の女性と知り合った。

 女性は年に3カ月だけカトマンドゥにアパートを借りて暮らし、日本語教師のボランティアをしている。今年はもうじき帰国する予定になっていた。来年に戻ってくるまで、部屋は空いているらしい。

 ちょうど引っ越し先を探していた私は、女性の部屋を見せてもらうことに。食べ終わると、一緒にレストランを出た。

 アパートはすぐ近くだった。チベット人が経営する食堂の角を折れて、10メートルの砂地を進む。1階には、旅行会社のテナントが入っていた。2階と3階、さらに屋上のペントハウスが貸しアパートだ。

 3階には、大家の一家も住んでいる。

 大家のナラヤンさんは、40代のネワール族だ。背が高くて目鼻立ちが整っている。副業でアパートを経営しているが、本業はエンジニアだ。若いころに日本に来て、自動車工場で研修を受けた。以来、日本が好きになり、自宅を改築して日本人向けのアパートの経営を始めた。

 奥さんは、小学校で国語を教えている。きっちり()かした髪や整った身嗜(みだしな)みに、真面目で芯の強い印象を受ける。

 2人の子供がいる。14歳の娘と7歳の息子だ。

 娘は中国系の顔立ちをした、スレンダーな美少女である。実年齢よりも大人びて見えた。学校の成績も良く、医者を目指している。

 息子はシャイな性格で、両親の傍から離れない。病弱で、学校を休む日も多くあるらしい。

 ネワール族の家族のもとで暮らせるなんて、面白そうだ。風習や文化に関心がある。

 女性に教えてもらったが、「ようこそ」はネワール語で「ズーズーラッパ」と言うらしい。

 ズーズーラッパ! 大道芸人の少年が、下手(へた)っぴなラッパを吹きながら練り歩く姿が頭に浮かぶ。ナラヤンさんにお願いして、ネイティブの発音を聴かせてもらった。「ズォウズォウラパ」と聞こえる。



 ナラヤンさんたちと別れ、3階の奥にある女性の部屋にお邪魔した。簡素ながら、家具も揃っている。電気ケトルと中国製の炊飯器に、使いやすそうな広い机もあった。

 部屋に隣接して、トイレとシャワーもある。シャワーは、「調子が良ければ」お湯が出る。

 廊下を渡って子供たちの部屋を横切ったところに、ミニ・キッチンが。人が1人やっと立てるスペースに、シンクとガスコンロ。ミネラルウォーター・サーバーもあった。水の残りがなくなれば、ナラヤンさんが電話で配達を頼んでくれるそうだ。ついに、自炊ができる。外食続きで胃腸が疲れてきていた。

 キッチンを出て、廊下を渡る。狭い階段を上がり屋上に出ると、カトマンドゥの乾いた風が吹き荒れていた。洗濯物が、ハタハタと揺れている。遥か彼方に()っすらと、ヒマラヤの白い山肌が見えた。

《トモダチ》で知り合った登山家に聞いた話だが、ヒマラヤの標高6000メートル以上の場所には、登山中に力尽きた人間たちの死体がゴロゴロ転がっているそうだ。8000メートル以上になると、死体はさらに増える。回収できないので、野晒(のざら)しのまま。登山家たちは、〈現在地を把握するための目印〉として死体を利用するらしい。

 屋上からヒマラヤ山脈を眺めながら、「あのあたりに、死体が転がっているのかなぁ」と。想像は、どこまでも膨らんでいく。

 ここに住むと決めた。

《トモダチ》に戻り、オーナーに引っ越しの旨を伝える。
「アパートが見つかったんだね。まあ、いつでも遊びにきてよ」
 オーナーや従業員と離れるとなると、少し寂しい。アパート暮らしに慣れるまで、ちょこちょこと顔を見にくることになるかもしれない。

 1週間後、《トモダチ》を引き払う。

 オーナーや従業員たちが笑顔で送り出してくれた。
「宏美さん、また来てくださいね。待っていますから」アラティが何度も繰り返す。「絶対に来てください」
「ありがとう。アラティもアパートに遊びにきてね」

 引っ越しは実に簡単だった。バックパックに収まる程度にしか荷物がない。身軽な状況が清々(すがすが)しくもあり、寂しくもある。たったこれだけの荷物で生きているのか、と。

 バックパックを背負って、ナラヤン・アパートに向かう。

 アパートに着き、ナラヤンさんの部屋に顔を出す。英語で「いらっしゃい」と応じてくれた。ここは「ズーズーラッパ」でお願いしたいところではあるが。

 部屋の鍵を受け取る。荷物を置いてから、ナラヤン一家の部屋でチャイをご馳走になった。技術研修で日本を訪れた時の話を聞かせてもらう。日本で撮った写真のアルバムも見せてくれる。どれもいい笑顔で写っていた。

 こうして、アパート暮らしが始まった。順調なスタートである。カトマンドゥに来た初日の《ハッティ・ゲストハウス》、人間関係が広がり賑やかに暮らせた《トモダチ》、そしてついに、落ち着けるアパート暮らし。無計画な割りには、だんだんと良くなっていく生活環境。目に見えない〈何か〉に(まも)られている気がした。ネパールの神々に感謝だ。

 夕方には、カトマンドゥで随一の高級スーパー《ブルー・バード》に出掛け、日本米を買い込んだ。

〈日本米〉といっても、〈日本で()れた米〉ではない。日本の品種に近い米を、カトマンドゥの郊外の田園地域であるスンダリジャルで作っている。

〈スンダリ〉は〈美〉、〈ジャル〉は〈水〉だ。日本語に変換すると、〈清水〉といったところか。水が(かなめ)米所(こめどころ)相応(ふさわ)しい地名だ。

 スンダリジャルの日本米の値段は、1キロで65ルピー。当時のレートで、1ネパール・ルピーは、約1.5円。つまり、1キロで100円ぐらいだ。

 ネパールの物価は、日本に比べて格段に安い。日本円に換算すると、金銭感覚がおかしくなる。実レートではなく、1ルピー=10円ぐらいの感覚で使っていた。それでも、クラスメイトの篠田さんから見れば、私の生活は「贅沢(ぜいたく)過ぎる」そうだ。

「こっちは、1キロが22ルピーの米を食べてるのに」、と。「贅沢するから、太るんだ」との声なき声が聞こえてくる。

 篠田さんは、私に説教をしたがる。「気に入られているのだ」と良いように考える努力をした。小学生の男の子が、気になる女の子にちょっかいを掛けたくなる心理だろう。

 幾ら篠田さんに注意されようと、日本米の使用は譲れない。「清貧を心懸けなさい」との篠田さんの指導は無視だ。

 日本米の他に、サーグを食べる。しっかりとした歯ごたえと苦みのある葉物で、ネパール人の食卓には定番の食材だ。見た目は硬い法蓮草、味は菜の花に近い。フライパンで炒めて、カレー・パウダーで味付けをすると、ご飯によく合う。

 登校時に通り掛かる朝市で、サーグを買う日課ができた。2束で2ルピー、高くても5ルピーだ。私の通学鞄には、いつもサーグが刺さっていた。

 ナラヤン・アパートに移っても、停電は頻発した。もう慣れっこだ。蝋燭を灯して過ごす夜を、プチ・イベントとして楽しんだ。

 シャワーの湯は、エンジニアのナラヤンさんが設置した太陽発電装置に依存している。天候が悪い日が続くと、湯も(ぬる)くなる。日本と同じように便利な生活ができるとも思っていないので、大抵のトラブルは許容範囲だ。

 つい最近まで続いたゲストハウスでの生活が、遠い昔の出来事に思える。ゲストハウスでは、夜中の騒音に悩まされたものだ。近くのバーから夜な夜な響いてくる生演奏の爆音で、まともに寝られなかった。毎晩、同じ曲を聴かされて、ノイローゼ気味だった。

 ナラヤン・アパートは、バーから半キロほど離れているので、さすがに演奏は聞こえてこない。やっと安眠できる夜を迎えられるはず、だったが――

 布団に包まって眠りにつこうとする私を、音楽とは別の騒音が襲った。

 猫だ。発情期の猫の鳴き声が、(やかま)しいといったら! 想定外の問題だった。
 眠る努力をした。何度も寝返りを打ったり、布団を被って耳を塞いだり。

 1時間ほど耐えていると、バシャー、っと水の音がした。起き上がって窓の外を覗くと、ナラヤンさんがバケツを持って表へ出ていた。猫に水を浴びせる。ナラヤンさんの一家も眠れないのだろう。

 水を浴びた猫の絶叫が聞こえたあと、部屋は静けさを取り戻す。夢の入口に差し掛かったところで、再び交尾が始まる。それで、また、ナラヤンさんが、バシャー、っと。この繰り返しが、朝まで続いた。しかも、毎晩。

 初めの数日間は、神経質になった。翌日の大学の授業に差し支えるプレッシャーから、眠れない状況に焦燥する。
 次第に状況に慣れてきた。ナラヤンさんが水を掛ける音が聞こえると、「またか」と笑えてくる。朝を迎えるころには、可笑(おか)しくて堪らない。布団の中で身を(よじ)って、クツクツと笑った。
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登場人物紹介

リカルド

クラスメイト

メキシコ人

40代半ば(当時)

神話やインドの文学に興味があり、『ラーマーヤナ』(インドの代表的な文学作品。ラーマ王子の英雄譚)を原文で読みたい

きっちりした性格

ダニエル

クラスメイト

イスラエル人

30代半ば(当時)

アメリカでカメラマンをしていた際、ヨーガを学び始める。精神世界・瞑想に興味ありいずれはサンスクリットでヨーガ・スートラ(ヨーガの経典)を読みたい

大の甘党。ディスコでの夜遊びがやめられない

篠田さん

クラスメイト

日本人

65歳(当時)

ヨーガ、瞑想の(自称)エキスパート。日本の某私立大学の英語講師を25年に亘り勤め上げた。サンスクリットを学んで教本を出版したい

本人曰く、動物をも感動させる歌声を有し、森で鹿を泣かせたことがあるらしい

ディーパ

教師

ネパール人

25歳(当時)

幼少の頃から英才教育を受け、サンスクリットをマスターした才女

3児の母でもある

宏美(私)

日本人

27代半ば(当時)

大学1年生の時にインド旅行で衝撃を受け、インドの虜に

基本的にボーっとしてる

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