第1話
文字数 1,702文字
生まれて初めて、人が真っ白になったのを見た。わたしが小学校一年のときだった。
「色が消える」というより、「色が引く」という表現のほうが近いかもしれない。すべての色が引いてしまったそこには、透明ではなく、純粋な白が存在していた。
色が消えると白くなる。
そのことを初めて知ったのも、その時だった。
わたしが小学生になってはじめての夏休みは、必ずお母さんの掛け声で一日が始まった。
「じゃあ、夏希、出かけるなら鍵を締めて、家にいるときも鍵はかけておいてね」
お母さんは毎日お決まりのことを玄関で大きな声で伝えた。わたしは見送りをするために、リビングからのそのそと玄関まで出ていく。お母さんは忙しそうに弟に靴を履かせている。
「じゃあ、行ってくるわね」
「はあい、行ってらっしゃい」
お決まりのやり取りをした後、お母さんと弟は眩しい夏の光の中へと進んでいく。重たい音をして玄関ドアが閉まると、急にわたしには空気が重く感じられる。なんとか言われた通り玄関の鍵だけはしっかり締め、重くだるい空気の中を、一歩一歩進んで、リビングに戻る。
小学生になって初めての夏休みの一日はたいていこんなふうにして始まった。
両親は共働きでで、歳の離れた弟は保育園。
わたしが夏休みに入った途端、小学一年生のわたしだけが、家族が刻む時間の流れからはじき出された。
夏休みが始まるほんの少し前、我が家では家族会議があった。その会議の議題は夏休みの間、わたしをどうするべきか、というものだったのだけれど、結果的に夏休みの間、わたしは学童には行かなくても良いことになった。団地の中には変な人は入ってこないというのがその時の両親の意見だった。だから外へは出ず団地内にいる、という言いつけだけ守っていれば、学童に行かなくてもよいことになったのだ。
お母さんは仕事終わりに保育園へ寄って弟と一緒に、夕方には帰宅してくれたし、平日の夜ご飯はいつもお母さん、弟、わたしの三人(たまにお父さんが早く帰宅して、四人)で食べていたから、寂しさも感じなかった。
寂しくはなかったけれど、うだるような暑さの中でじっとり、のっぺりとしたなつやすみ特有の時間の遅さに、毎日どっぷり浸っていた。そのせいで、日に日に、その気だるく重たい夏休みの濃い空気から、逃れられなくなっていた。
特に、家に自分一人しかいない平日昼間は、毎日毎日「なつやすみ」というぬるりとした透明な泥の中に沈み込んでいた。
朝が来るとお父さんが家族の誰よりも早く家を出て、それから、ドタバタとお母さんと弟が家を出ていく。
家に誰もいなくなると、なつやすみの空気はどおっと濃くなるのだ。
わたしはだあれもいない家の中で、たった一人、とろりとしたなつやすみの中で虚空を見つめながら、時間が流れていくのを見守った。
たいてい、畳の上に寝そべって、ちゃぶ台にはやりかけた宿題ノートを開きっぱなしにして、い草の匂いで胸をいっぱいにしながら、仰向けに横たわっていた。そうすると、窓からどこかでみた映像の中のような青い空が、らんらんと光っているのが見える。
たまにゆっくりと雲が移動していったり、爪のはしくらい小さな飛行機が窓枠から窓枠へと横切っていったり。
そうやって、ひたすら夏の青空を見つめながら、なつやすみの時間が流れる様子を感じていた。
だいたい、午前中はそうやって空を見上げてぼんやりと過ごす。
お昼の十二時になると小学校のプールからお昼休憩のアナウンスがかすかに流れる。
それが聞こえたら、わたしはもぞもぞと起きあがって、今日の宿題を片付けてから、お母さんが作っておいてくれたお昼ご飯(大抵はおにぎりやサンドイッチ)を食べる。
午後は午後で、画用紙と色鉛筆を引っ張り出して、気ままに描きたいものを描き、飽きたら仰向けに寝そべって空を眺め、ふいに思いついてまた絵を描き、飽きたらまた、窓枠で切り取られた夏休みの青空を見つめ……そんなふうにして、一日一日を過ごしていた。
こんなだらりとした日々が、夏中続くと思っていたのだ。
しかし、ある日、それは唐突に終わりを告げた。
ある夏休みの朝、わたしはお母さんに言われてゴミ捨てをした。それがきっかけだった。
「色が消える」というより、「色が引く」という表現のほうが近いかもしれない。すべての色が引いてしまったそこには、透明ではなく、純粋な白が存在していた。
色が消えると白くなる。
そのことを初めて知ったのも、その時だった。
わたしが小学生になってはじめての夏休みは、必ずお母さんの掛け声で一日が始まった。
「じゃあ、夏希、出かけるなら鍵を締めて、家にいるときも鍵はかけておいてね」
お母さんは毎日お決まりのことを玄関で大きな声で伝えた。わたしは見送りをするために、リビングからのそのそと玄関まで出ていく。お母さんは忙しそうに弟に靴を履かせている。
「じゃあ、行ってくるわね」
「はあい、行ってらっしゃい」
お決まりのやり取りをした後、お母さんと弟は眩しい夏の光の中へと進んでいく。重たい音をして玄関ドアが閉まると、急にわたしには空気が重く感じられる。なんとか言われた通り玄関の鍵だけはしっかり締め、重くだるい空気の中を、一歩一歩進んで、リビングに戻る。
小学生になって初めての夏休みの一日はたいていこんなふうにして始まった。
両親は共働きでで、歳の離れた弟は保育園。
わたしが夏休みに入った途端、小学一年生のわたしだけが、家族が刻む時間の流れからはじき出された。
夏休みが始まるほんの少し前、我が家では家族会議があった。その会議の議題は夏休みの間、わたしをどうするべきか、というものだったのだけれど、結果的に夏休みの間、わたしは学童には行かなくても良いことになった。団地の中には変な人は入ってこないというのがその時の両親の意見だった。だから外へは出ず団地内にいる、という言いつけだけ守っていれば、学童に行かなくてもよいことになったのだ。
お母さんは仕事終わりに保育園へ寄って弟と一緒に、夕方には帰宅してくれたし、平日の夜ご飯はいつもお母さん、弟、わたしの三人(たまにお父さんが早く帰宅して、四人)で食べていたから、寂しさも感じなかった。
寂しくはなかったけれど、うだるような暑さの中でじっとり、のっぺりとしたなつやすみ特有の時間の遅さに、毎日どっぷり浸っていた。そのせいで、日に日に、その気だるく重たい夏休みの濃い空気から、逃れられなくなっていた。
特に、家に自分一人しかいない平日昼間は、毎日毎日「なつやすみ」というぬるりとした透明な泥の中に沈み込んでいた。
朝が来るとお父さんが家族の誰よりも早く家を出て、それから、ドタバタとお母さんと弟が家を出ていく。
家に誰もいなくなると、なつやすみの空気はどおっと濃くなるのだ。
わたしはだあれもいない家の中で、たった一人、とろりとしたなつやすみの中で虚空を見つめながら、時間が流れていくのを見守った。
たいてい、畳の上に寝そべって、ちゃぶ台にはやりかけた宿題ノートを開きっぱなしにして、い草の匂いで胸をいっぱいにしながら、仰向けに横たわっていた。そうすると、窓からどこかでみた映像の中のような青い空が、らんらんと光っているのが見える。
たまにゆっくりと雲が移動していったり、爪のはしくらい小さな飛行機が窓枠から窓枠へと横切っていったり。
そうやって、ひたすら夏の青空を見つめながら、なつやすみの時間が流れる様子を感じていた。
だいたい、午前中はそうやって空を見上げてぼんやりと過ごす。
お昼の十二時になると小学校のプールからお昼休憩のアナウンスがかすかに流れる。
それが聞こえたら、わたしはもぞもぞと起きあがって、今日の宿題を片付けてから、お母さんが作っておいてくれたお昼ご飯(大抵はおにぎりやサンドイッチ)を食べる。
午後は午後で、画用紙と色鉛筆を引っ張り出して、気ままに描きたいものを描き、飽きたら仰向けに寝そべって空を眺め、ふいに思いついてまた絵を描き、飽きたらまた、窓枠で切り取られた夏休みの青空を見つめ……そんなふうにして、一日一日を過ごしていた。
こんなだらりとした日々が、夏中続くと思っていたのだ。
しかし、ある日、それは唐突に終わりを告げた。
ある夏休みの朝、わたしはお母さんに言われてゴミ捨てをした。それがきっかけだった。