ノーメイク・サマー

文字数 1,978文字

 研修先のグリーンランドは天国だった。大好きなメイクを、お仕えしている地球さまに1年中施せたから。
 水分を含んだぼたん雪を全体に降らして表面をカバー。それが氷っぽく固まってきたら、べたつかないように粉雪を散らしてマット気味に仕上げる。これでベースメイクの完成。草木(くさき)を彩るポイントメイクは、地球さまがご自身でなさる。
 カバー(りょく)には自信あり。地球さまがどんなコンディションだって、美しく仕上げてみせる――はずだった。
 初めての勤務先は日本。今年の春、赴任そうそう雪を降らそうとしたら、上司に死ぬほど怒られた。1年のうち決まった日時、決まった地域にしかメイクをしてはならない――新入社員研修で教わっただろう、だって。そんなの知らなかった。聞き逃してたのかも。当時の私、夢だった仕事につけて浮かれてたから。
 南半球でしっかりメイクするこの季節、もう片半球ではオフモードでいたいっていうのが地球さまのお考え。それで今は、化粧水としてときどき雨を降らすのが主な業務。
 メイクアップアーティストとは名ばかり。実際は地表のお手入れしかさせてもらえないなんて、なんかいかにも下積み時代って感じ。
 ――つまんな。
 入道雲をつくる雑務を放り出す。
 メイク室には私だけ。「予定外春メイク」未遂事件以来、社内で要監視水蒸気(じんぶつ)にされてた私。最近やっとソロでの仕事を任せてもらえるようになった。降水の合図が鳴るまでのちょっとの間サボったって、見つかる心配はない。
 うーんと派手に伸びをしたあと、今日の担当地域を眺めてみる。
 太陽さんが退勤して薄暗くなった視界のなかで、色とりどりの民族衣装――浴衣を着たニンゲンたちが寄り集まってるのを見つけた。今夜、日本のどこかで夏祭りがあるらしい。普段着ない服で出かけるなんて、相当楽しそう。あは、これ皮肉。
 私、ニンゲンのことぜんぜん好きじゃない。あいつら、積もりたての雪に足跡つけるのが好きだって言うから。私たち化粧課職員が身を粉にして仕上げたメイクを崩したがるなんて、悪趣味。サイテー。うんち踏んじゃえ。でも地球さまは、そんなニンゲンのことがなぜかお気に入りみたい。
 地球さまの表面を思い思いにうごめいてたニンゲンたちの動きが、だんだん落ち着いてくる。え、何。ニンゲンの考えてることって本当に分かんない。
 ――と。遠い地上で、ハイビスカスみたいに鮮やかな光がまぶしくはじけた。地表を突き破るように咲いて、一瞬間だけ夜空の主役になってから名残惜しく散っていく。
 きれい。
 それが花火だって思うより先に、目を奪われてた。

 最初に見た紅色(べにいろ)が去りきらないうちに、2発、3発と続けて咲く花火たち。その風景を見下ろしながら、思う。
 地球さまがニンゲンのことを気に入ってる理由、ちょっとだけ分かった気がする――って。
 花火が毎日咲いてくれたら、私の退屈もちょっとは紛れるのに。でもニンゲンたちは、特別な日にだけ、特別なシチュエーションで見るのがお好みらしい。地球さまの表面をいつでも同じ仕上がりでメイクしてたい私には、ぜんぜん理解できないヘンな趣味。
 でも――だからこそ、地球さまにとってはいとしく映るのかも。
 「ポイントメイクは季節感が命よぉ」――そう言ってウインクする地球さまの姿がリアルに想像できて、ちょっと笑えた。

 プンプンプンプーン。
 プンプンプンプーン。
 安っぽい電子チャイムの音に顔を上げる。繁忙期の6月にはうんざりするほど聞いた、仕事の始まりを知らせる合図。そうだ、化粧水――。
 でも、なんでだろう。今日は全然やる気になれない。この半年間、イヤイヤながらとはいえ社則を守ってメイクを我慢したし、やりたくない仕事だって要領よくこなしてきたのに。
 もう1度、地上に目を落とす。中心から勢いよく広がったオレンジの花火がちりぢりになって、星空以上に星空みたいな光を残してる。夢見心地で空を見上げたままでいるニンゲンたちの様子からして、花火大会はまだまだ終わる気配を見せない。
 ――雨、降らすのやめた。なんか、気分じゃない。
 今日はもう帰ることにした。こんなにシステム化された会社じゃ、ばっくれたのがバレないなんてありえない。けど、怒られるのは明日がいい。あんたたちニンゲンの大好きな「特別」、今日だけは私も感じてあげる。

 社員のシフトからメイクの進捗(しんちょく)までなんでも管理する事務所に、何気ない顔で入ってそそくさとあとにする。ドア越しに、「またあいつかああ!」と叫ぶ上司の声が聞こえた。
 わお、さっそくバレた。でももう遅い。ルールに厳しいうちの社風じゃ、タイムカードを押した社員を時間外に引き留めるなんてできるわけがない。
 もしかしたら、赤道直下あたりに飛ばされるかも。それでもいい気がしてきた。今日ほど仕事したくない日なんて、これから一生ないだろうから。
 
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