第8話 子猫
文字数 2,298文字
その後、梅小路から、どうなったのか訊ねられたお島はまだ、
調べている最中だとはぐらかした。
それというのも、尾張のお殿様の側室、福が、大奥に滞在しているからだ。
もし、バレたら、ただごとでは済まないだろう。
世の中には、当人が知らない方が、上手く事が運ぶことがあるという。
一方、「いわ」と診断された御台所の部屋は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
薬での治療が行われていたが、日に日に、症状が悪化していた。
そんな重苦しい空気を吹き飛ばすかのような吉事が起きた。
御台所がかわいがっているメス猫のたまが子猫を出産したのだ。
御台所の愛玩猫ともあって、奥勤めの女たちの間で争奪戦になった。
もし、めでたく、子猫をもらいうけることができれば、
今後も、良い関係を保てる者がいれば、新たなつながりができる者もいるからだ。
一生奉公を余儀なくされている上臈たちの間では、
親戚筋の娘をお付の者に加える者も少なくない。いずれ、その養女を出世させることが目的だ。
お島も、矢島局の期待を背負う養女のひとりだ。
今は、御台所付になっているが、ゆくゆくは、将軍側室。あるいは、大奥の役職につくことになる。
他の上臈たちも、矢島局と同じ。梅小路は、例外だと誰もが思っていたが違ったようだ。
振の出産を前にして、梅小路の秘蔵っ子ともされている御女中のまるが、
御台所の許しを得て、晴れて、家綱公の側室に加わることになった。
噂によると、最初は、梅小路に、側室候補の話が来たが、御台所の許しが出なかったという。
振は若くて美人ではあるが、病弱なため、今後、子作りができるかどうか危ぶまれた。
徳川の代を絶やさぬためにも、若くて健康な娘を側室とする動きがあるように思われる。
「おめでとうございます! 」
お島はそれを知るとすぐ、まるに祝辞を言いに行った。ところが、当の本人がなぜか、浮かない表情をしている。
「これからが大変。気をひきしめていかないと‥‥ 」
まるが神妙な面持ちで言った。
「ところで、お部屋はどこになるんですか? 」
お島が訊ねた。落ち着いたら、顔を見に行こうと考えていた。
「以前、振さまがお使いになっていたお部屋になると思う。
今、振さまは出産準備のため、北部屋にいらっしゃるから」
まるが穏やかに言った。
その時、お向かいの部屋から、にぎやかな話し声が聞こえた。
「何かあったのでしょうか? 」
「いつも、ああだから、気にしない方が良い」
まるが言うには、福がいる部屋は、静かなことはめったにないという。
かくまわれているわりには、常に、訪ねて来る人が後を絶えないらしい。
「最近は特に、御台さまの子猫をもらい受けたと言うから、
子猫見たさに、他の部屋の子たちまで集まって来ている」
まるがつまらなそうに言った。
「へえ。そうなんですか」
お島が言った。
「御台さまからもらい受けた子猫を育てている上臈たちが、
福さまを盛り立てはじめたから、
振さま付の上臈たちは、おもしろくないみたいよ」
まるが、新たな火種を予期する発言をした。
それもそのはず。福は元来、大奥の人間ではない。
しかし、御三家のひとつ、尾張徳川綱誠の側室となれば無視はできない。
綱誠と福との間にはすでに、御子がいるためなおさらだ。
福もまた、大きなお腹をしていた。つまり、懐妊中だということだ。
部屋を出ると、みゃあ~みゃあ~という子猫の鳴き声が響いて聞こえた。
それから3日後の朝。北部屋から、女の悲鳴が聞こえた。
何事かと思い、起きていた人たちが続々と、北部屋へ押しかけた。
お島も騒ぎ声につられて、北部屋の様子を見に行った。
すると、北部屋の方から、口論する女たちの声が聞こえた。
黒山の人だかりの合間から、
子猫を胸に抱く赤色の着物を着た女の手元が見えた。
「いったい、何の騒ぎですか? 」
お島が、近くにいた御女中に訊ねた。
「福さまの子猫が、北部屋に迷い込んで、そそうをしてしまったらしい」
その御女中が答えた。
「皆の者、下がりなされ」
突然、梅小路が姿を見せるなり、やじうまたちを蹴散らした。
「わたしが呼んだ」
まるが、梅小路の後ろから、お島に言った。
「梅小路殿。福をお罰しくだされ」
今は、振付となった御台所の守り刀ともされる右衛門佐が訴えた。
宮中はもとい、大奥の隅から隅まで
知り尽くしたお方だと言うだけあって迫力がある。
「わたしは何もしていません!
このこが、部屋を間違えて入っただけです! 」
福が、子猫を両手で掲げると金切り声で訴えた。
「いずれにしろ、飼い主の責任は免れない。早く、始末なされ」
梅小路が、福を守るようにして両脇に立っていたお付の者たちをしかった。
「は、はい。ただいま」
福のお付の者たちがあわてて、子猫が小便した畳の上を拭き出した。
その間、福は下を向いたままその場に立ち尽くしていた。
「振さま? 」
少しして、右衛門佐の驚きの声が聞こえた。
部屋の奥から、振が寝巻姿でよろよろと歩いて来た。
「下血した」
振が、右衛門佐の肩にすがると小声で告げた。
「早く、産婆を呼ぶのじゃ! 」
右衛門佐がさけんだ。
その日の夜。振が早産と相成った。
赤子は、産婆の手で取り上げられたがすでに息がなかった。
そして、母となった振もまた、大量出血を起こした末に、
19歳の若さでこの世を去った。
驚いたことに、翌日から、振付の者たちをはじめとする
御女中たちが相次いで病に倒れた。
奥医師たちが総動員されて、調査した結果、
大奥内で、はやり病が広がっていることがわかった。
「短い間ではありましたが、お世話になりました」
さすがに、はやり病の中、出産を迎えることはできないとして、
福が騒ぎにまぎれる形で大奥を去った。
調べている最中だとはぐらかした。
それというのも、尾張のお殿様の側室、福が、大奥に滞在しているからだ。
もし、バレたら、ただごとでは済まないだろう。
世の中には、当人が知らない方が、上手く事が運ぶことがあるという。
一方、「いわ」と診断された御台所の部屋は、重苦しい雰囲気に包まれていた。
薬での治療が行われていたが、日に日に、症状が悪化していた。
そんな重苦しい空気を吹き飛ばすかのような吉事が起きた。
御台所がかわいがっているメス猫のたまが子猫を出産したのだ。
御台所の愛玩猫ともあって、奥勤めの女たちの間で争奪戦になった。
もし、めでたく、子猫をもらいうけることができれば、
今後も、良い関係を保てる者がいれば、新たなつながりができる者もいるからだ。
一生奉公を余儀なくされている上臈たちの間では、
親戚筋の娘をお付の者に加える者も少なくない。いずれ、その養女を出世させることが目的だ。
お島も、矢島局の期待を背負う養女のひとりだ。
今は、御台所付になっているが、ゆくゆくは、将軍側室。あるいは、大奥の役職につくことになる。
他の上臈たちも、矢島局と同じ。梅小路は、例外だと誰もが思っていたが違ったようだ。
振の出産を前にして、梅小路の秘蔵っ子ともされている御女中のまるが、
御台所の許しを得て、晴れて、家綱公の側室に加わることになった。
噂によると、最初は、梅小路に、側室候補の話が来たが、御台所の許しが出なかったという。
振は若くて美人ではあるが、病弱なため、今後、子作りができるかどうか危ぶまれた。
徳川の代を絶やさぬためにも、若くて健康な娘を側室とする動きがあるように思われる。
「おめでとうございます! 」
お島はそれを知るとすぐ、まるに祝辞を言いに行った。ところが、当の本人がなぜか、浮かない表情をしている。
「これからが大変。気をひきしめていかないと‥‥ 」
まるが神妙な面持ちで言った。
「ところで、お部屋はどこになるんですか? 」
お島が訊ねた。落ち着いたら、顔を見に行こうと考えていた。
「以前、振さまがお使いになっていたお部屋になると思う。
今、振さまは出産準備のため、北部屋にいらっしゃるから」
まるが穏やかに言った。
その時、お向かいの部屋から、にぎやかな話し声が聞こえた。
「何かあったのでしょうか? 」
「いつも、ああだから、気にしない方が良い」
まるが言うには、福がいる部屋は、静かなことはめったにないという。
かくまわれているわりには、常に、訪ねて来る人が後を絶えないらしい。
「最近は特に、御台さまの子猫をもらい受けたと言うから、
子猫見たさに、他の部屋の子たちまで集まって来ている」
まるがつまらなそうに言った。
「へえ。そうなんですか」
お島が言った。
「御台さまからもらい受けた子猫を育てている上臈たちが、
福さまを盛り立てはじめたから、
振さま付の上臈たちは、おもしろくないみたいよ」
まるが、新たな火種を予期する発言をした。
それもそのはず。福は元来、大奥の人間ではない。
しかし、御三家のひとつ、尾張徳川綱誠の側室となれば無視はできない。
綱誠と福との間にはすでに、御子がいるためなおさらだ。
福もまた、大きなお腹をしていた。つまり、懐妊中だということだ。
部屋を出ると、みゃあ~みゃあ~という子猫の鳴き声が響いて聞こえた。
それから3日後の朝。北部屋から、女の悲鳴が聞こえた。
何事かと思い、起きていた人たちが続々と、北部屋へ押しかけた。
お島も騒ぎ声につられて、北部屋の様子を見に行った。
すると、北部屋の方から、口論する女たちの声が聞こえた。
黒山の人だかりの合間から、
子猫を胸に抱く赤色の着物を着た女の手元が見えた。
「いったい、何の騒ぎですか? 」
お島が、近くにいた御女中に訊ねた。
「福さまの子猫が、北部屋に迷い込んで、そそうをしてしまったらしい」
その御女中が答えた。
「皆の者、下がりなされ」
突然、梅小路が姿を見せるなり、やじうまたちを蹴散らした。
「わたしが呼んだ」
まるが、梅小路の後ろから、お島に言った。
「梅小路殿。福をお罰しくだされ」
今は、振付となった御台所の守り刀ともされる右衛門佐が訴えた。
宮中はもとい、大奥の隅から隅まで
知り尽くしたお方だと言うだけあって迫力がある。
「わたしは何もしていません!
このこが、部屋を間違えて入っただけです! 」
福が、子猫を両手で掲げると金切り声で訴えた。
「いずれにしろ、飼い主の責任は免れない。早く、始末なされ」
梅小路が、福を守るようにして両脇に立っていたお付の者たちをしかった。
「は、はい。ただいま」
福のお付の者たちがあわてて、子猫が小便した畳の上を拭き出した。
その間、福は下を向いたままその場に立ち尽くしていた。
「振さま? 」
少しして、右衛門佐の驚きの声が聞こえた。
部屋の奥から、振が寝巻姿でよろよろと歩いて来た。
「下血した」
振が、右衛門佐の肩にすがると小声で告げた。
「早く、産婆を呼ぶのじゃ! 」
右衛門佐がさけんだ。
その日の夜。振が早産と相成った。
赤子は、産婆の手で取り上げられたがすでに息がなかった。
そして、母となった振もまた、大量出血を起こした末に、
19歳の若さでこの世を去った。
驚いたことに、翌日から、振付の者たちをはじめとする
御女中たちが相次いで病に倒れた。
奥医師たちが総動員されて、調査した結果、
大奥内で、はやり病が広がっていることがわかった。
「短い間ではありましたが、お世話になりました」
さすがに、はやり病の中、出産を迎えることはできないとして、
福が騒ぎにまぎれる形で大奥を去った。
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