第二話、港町

文字数 3,963文字

 深く沈んだ。エドワードは必死に海面へ上がろうと手足を動かした。わずかな月の光が見え、そこへ向かって泳いだ。

 海面に浮き上がり、息を何度も吸い込んだ。咳き込む、塩の味がきつい。辺りを見渡す。宿屋が見える。遠く離れているわけではない。出来るだけ早くここから逃げなければいけない。

 イーサンを探す。もう、どこかへ行ってしまったのだろうか。

 人の背中らしきものが海面に浮いていた。エドワードはイーサンらしきものに向かって泳いだ。ひっくり返すとやはりイーサンだった。息はしているようだが意識が無いようだ。海に落ちた衝撃で気を失ったらしい。

「自分から言い出したくせに」


 エドワードは侮蔑の言葉を吐き、手のかかる猟犬を引っ張りながら、海から上がれる場所を探した。




「おえぇ、気持ち悪い。寒い。痛い」


 イーサンは盛んにつばを吐きながら体をなでさすっていた。

 エドワードは、しばらく、イーサンのえりを引き海を泳いだ。ようやく上がれそうな桟橋を見つけ、重くなった体と気を失ったイーサンを引き上げ陸に上がった。それから、イーサンをひきずり、漁師小屋を見つけその中に潜んだ。


「寒い、火を炊こう」


 イーサンは小屋にあった網を体に巻き付け震えている。


「だめだ。吸血鬼に気づかれる」


「それは、困る」


 イーサンは体を縮めた。


「だいたい、海に飛び込もうと言い出したのはおまえだろう。何で気絶しているんだ」


 エドワードはにらみつけた。



「うむ。大した高さではなかったんだ。あの程度の高さ、吸血鬼の頃の感覚では、椅子の上から降りるぐらいの高さだ。ところがな、海に落ちる途中、私は自分がすでに吸血鬼でないことを思い出した。時すでに遅し、顔面を打ち付けるように海面に激突したんだ」


 イーサンはアゴをさすった。何とも間抜けな話だ。吸血鬼時代のイーサンは空を飛ぶことすら可能だったそうだ。人になってから、いや、戻ってから三十年はたつ。気軽に窓から飛び降りたのは、吸血鬼時代の感覚で飛び降りたのだろう。


「それで、襲撃してきた奴は、例の吸血鬼なのか」


「それはわからんが、たぶんそうだろう。宿に帰ってみればわかる。たくさんの証拠が残っているだろうからな」


「そう、だな」


 宿に残された宿泊客はおそらく全員殺されたとみるべきだ。全く無関係な人達を巻き込んでしまったことに、エドワードは怒りを感じた。

 そのままうとうととしながら朝をむかえた。




 日が昇り、宿に戻った。所々窓が破壊され、外からでも血の臭いがわかった。町から離れている所為か、この惨劇に、まだ誰も気づいていないようだった。


「ひどい有様だね」


 イーサンは平然とした表情で中に入った。いきなり頭の無い死体が宿屋の受付けのテーブルにあった。


「だれだ。宿屋の主人か」


 体型と服装に見覚えがあった。


「おそらくそうだろうね。我々がどこにいるのかも聞かず、下の階から順に全員殺してしまえばいいと、考えたのかもしれない。台帳を調べればいいのに」


「俺たちを殺すために、片っ端から殺しにかかったってわけか」


 宿の中は恐ろしく静かだった。時折水滴が落ちるような音がする。


「この靴跡、間違いないね。例の吸血鬼だ」


 廊下に点々と赤い靴跡が残っていた。


「なぜ俺たちのことがばれたんだ」


「それはいろいろ考えられるな。ここに来てから五日ほどたつ、どこかしら情報が伝わってもおかしくはないだろう。なんせ、この町は奴の地元だからな」


「警察官が吸血鬼なんて事は無いだろうな」


 警察には、吸血鬼の捜査できていると報告してある。


「あり得ないことではないが、警察官なんてものは昼間いなきゃおかしいだろう。半年間、夜にしかいない警察官なんて目出って仕方ない。それより、もっとも、疑わしいのは聞き込みをした靴を売っていた商店だろうね」


「靴屋が、共犯者ということなのか」


 まさか靴屋が吸血鬼だったなんて事は無いだろう。


「聞き込みをしている際、ここの宿屋のことを話したからね。もし何か思い出したことがあれば教えてくれとね。考えてみれば、あれは軽率だったのかもしれん。わざわざ宿屋まで自分が思い出した情報を言いに来てくれるともおもえないしね。我々が奴を探していると、靴屋が吸血鬼に情報を与えたのかもしれない」


「靴屋はそいつが吸血鬼だと気づいていないのか」


「おそらくね。我々も吸血鬼を探しているとは言っていない。気づいていて黙っている可能性も否定出来ないが、おまえ警察に追われているぞと、忠告をした、そんなところだろうね。我々は一応刑事という身分で捜査をしているからね。それで始末しに来たんだろう。どちらにしろ、靴屋に近い人物が吸血鬼である可能性が高いと言うことになる」


「なら、もう一度靴屋を調べれば、奴の手がかりをつかめるってことだな」


「そうだな、どのみち今日、日が沈むまでが勝負だ。日が沈めば奴は逃げるか再び襲ってくるかもしれない。地元の警察に頼んで、手分けして靴屋を当たろう。その前に」


「なんだ」


「水浴びをして服を着替えないか、体がべたべたする。確か宿屋の中庭に井戸があったはずだ」


 イーサンは不快そうな顔で手の臭いをかいだ。




 警察の協力により、昼までに吸血鬼のめどはついた。ジャック・ディーゼル、年は十七歳、港で日雇い労働者として働いていたが最近は見なくなったそうだ。靴屋の叔父がいる。彼が、エドワードとイーサンのことをジャック・ディーゼルに話したそうだ。ジャック・ディーゼルが吸血鬼であることを知らなかったようで、警察がおまえを調べているとジャック・ディーゼルに教えたそうだ。彼が住んでいる部屋を聞き、エドワードとイーサンはそこに向かうことにした。


「まだ、ここにいると思うか」


 赤煉瓦の小汚いアパート、それが彼の住んでいると思われる場所だ。


「入ってみないと何ともわからないね」


「こんなところに吸血鬼がいるのか、ただの小さいアパートじゃないか」


 どこかで下水でも詰まっているのか、じめっとした嫌な匂いがする。


「吸血鬼の死因で一番多いのが何か知ってるかい」


「さぁ、杭で心臓を打たれるってのが一番であって欲しいね」


「カーテンの閉め忘れによる太陽焼死だ」




 管理人に鍵を借りジャック・ディーゼルの部屋に入った。カーテンは無く窓は木の板でふさがれていた。どうやらカーテンの閉め忘れによる焼死はなさそうだ。

 床に散らかった衣類、光の全く入らない暗い部屋で、ジャック・ディーゼルはベットの上で眠っていた。


「こいつが吸血鬼なのか」


 懐中電灯をつけベットの上で眠っている男の顔を見た。癖毛のブロンド、顔にはそばかすがあり、普通の十七歳の少年の寝顔に見えた。


「呼吸も脈もほとんどない。間違いないよ。彼が吸血鬼だ」


 イーサンは彼の腕を手に取りながら言った。


「触っても大丈夫なのか」



「ああ、昼間、吸血鬼にとっては一番眠い時間帯だ。まだ成り立ての吸血鬼には抗える眠気では無い」


 イーサンは懐から注射器を取り出し、それをジャック・ディーゼルの腕に突き立てた。


「何をする気だ」


「血液の採取、血液を調べれば彼らの系統、血筋がわかる。それがわかれば、どの血筋が彼に力を分け与えたかわかる」


 黒い、粘度の高い血が注射器の中にたまっていく。


「それ大丈夫なのか」


「大丈夫だ。ただの血液に何の力も無い。これを摂取して吸血鬼になったりもしないよ。見たまえ、吸血鬼の血は人間のそれより約三倍粘度が高い。間違いなく吸血鬼だ」

「一体誰に吸血鬼にされたのか、尋問したいところだな」


「無理だね。昼間はよほどのことが無いと目を覚まさないし、夜は人の手に負えない。やることは一つだ」


 イーサンは表情を変えず言った。


「わかっている」


 エドワードは杭撃ち銃を手に取った。ジャック・ディーゼルの左の胸に杭打ち銃の銃口を密着させた。銃口から伝わる感触はやわらかく強く押すと沈み込みそうだった。


「そんなことをしなくても、窓の板を剥がせば済む話だぞ」


「いや、一度やっておきたい」


 人の腕ほどの太さがある鋼鉄の銃身をジャック・ディーゼルの左胸に押しつけながら、杭打ち銃の引き金を引いた。

 ハンマーが雷管を叩き、火薬が爆発し、先端に金属の矢尻がついた杭がジャック・ディーゼルの胸に撃ち出された。杭は煙を出している。エドワードは後ろに下がった。

 ベッドの上のジャック・ディーゼルの目が開いた。

 こちらを見つめた。

 誰? 少年は困惑しているような顔をした。

 小さな爆発が起きた。ジャック・ディーゼルの胸が膨らむ、木片と小さな鉄の玉がジャック・ディーゼルの胸の中を飛び散った。炸裂式杭打ち銃、二年ほど前に開発された対吸血鬼用の銃だ。これが開発される前は杭が心臓を外し、もう一度撃ちなおすと言うこともあったが、これなら体内で爆発するため、多少心臓をはずしていても、爆発した金属製の玉が吸血鬼の心臓を切り裂くことができる。

 ジャック・ディーゼルは金切り声を上げ、そのままの姿勢で、一度、天井近くまで跳ね上がり、胸に穴を開けたまま動かなくなった。


「これで終わりか」


 エドワードは言った。


「いや、まだだ」




 その後、窓の板を引っぺがし、ジャック・ディーゼルの体を太陽の光に当てた。ジャック・ディーゼルの体は紙束のようにほどけ、灰になった。残った灰は集めて本部に証拠品として送ることになる。


「これでまた少し寿命が延びた」


 イーサンは首に巻かれた銀色の首輪を触りながら言った。一定期間、吸血鬼を狩ったという報告がなければ、イーサンの死刑は実行されることになる。


「九百年生きて、まだ生きていたいのか」


 イーサンは九百年、人の命を奪い。今は吸血鬼の命を奪っている。どれだけの命を奪ってきたのだろうかと。エドワードは考えた。


「飽きることはないね」


 イーサンは真顔で応じた。


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登場人物紹介

イーサン・クロムウェル

九百年間、吸血鬼だった男

エドワード・ノールズ

イーサンの相棒

モーリス

イーサンの元相棒

ブライアン・フロスト

吸血鬼対策課第九分室課長

シャロン・ザヤット

分析係

トム・ターナー

ミグラス市警殺人課の刑事

ビル・カークランド

吸血鬼対策課戦術部隊

パメラ・モートン

調達部

ヒーゲル

戦術班

ジェフリー・グレン

レイヴァン・アスカル

ラリー・ジョイス

オーガス・タルンド

ギャングの下っ端

ジム・ハモンド

ポーラ・リドゲード

ポーラ、子供時代

ブレア・モリンズ

ポーラ・リドゲードを警察に通報した夫人

村の老人

デニー・ウィルソン

強盗

強盗

カーシー・キャラバン

テレーズ市強盗殺人課の刑事

店主

コルム市警総務課、課長

デニー・ウィルソン

子供時代

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