第1話

文字数 1,010文字

 今日は仕事が休みだ。
 パンとコーヒーでブランチ。そのあとは、ベッドのなかで一日を過ごしている。
 二十時前に起きだして、簡単な夕ご飯を作った。冷凍の炒飯をチンして、ワカメの味噌汁。そして、八朔。
 「美味しいね」
 私は自分に言ってみた。
 夕ご飯が終わると、またベッドに入る。枕に顔を当てて、私は今夜も物思い。
 大学を出てから十年が過ぎた。大阪の実家には帰らず、そのまま奈良で暮らしている。
 「結婚も就職もせんと、あんたはひとりで何してんや」
 実家の母が不思議がる私のこの生活。
 「アルバイトやで、お母ちゃん」
 私は笑いながら答えた。掛け持ちでアルバイトをしながら、この街でひとり生きている。

 最近、私は恋をした。
 そのひとは駅ナカのコンビニで働いている。たぶん学生さんだ。そんな雰囲気がしている。
 昨夜もその店で私はパンを買った。仕事帰りにその店に寄っては、朝ご飯のパンを買う習慣だ。
 「有難うございました」
 彼がパンの入ったレジ袋を渡してくれた。私の胸はどきどきする。
 梅雨に入った街は肌寒い。紺色の傘でそのレジ袋を大切に守り、私は濡れた舗道をそろそろと歩いた。
 毎夜のように買い物にくる私を、彼は覚えてくれたはず。頬を赤らめてレジへ行く私だから、この想いも彼は知っているに違いない。
 でも、この恋は実らない。
 彼はアルバイト仲間の少女に目を潤ませていた。

 時計を見ると、日付けが変わっていた。
 シャワーをまだ浴びていない。
 湿った身体にシャワーの熱い湯を流す。心の中まで清潔になった気分。
 こざっぱりしたパジャマに着替え、ベッドにもぐり込んだ。シーツの清潔さや洗ったばかりの髪の香り。それらが私をつつみこむ。
 その心地よさに私の心は力を抜いた。毎日の悲しいこと、辛いこと。それらの気持ちがゆっくりと退いていく。私は幸せに満ちていた。
 昼は誰も見ていなくても真面目に仕事をして、夜は質素なベッドでぐっすり眠る。平凡だけど、私の心が求めるのはそんな生き方だから。
 さっき、朝ご飯のパンをテーブルの上に置いた。彼が働く店で買ったものだ。このパンを食べて、明日も仕事に行こう。
 寂しくて堪らなくなったら、無理に我慢しないで故郷へ帰るつもり。いさぎよく荷物をまとめよう。
 それまでは私らしく、この街で生きていく。

 私は部屋の明かりを落とした。
 眠りに落ちる前の幸せなひととき。
 切ない思いは消え、新たな一日が始まろうとしている。
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