僕の運命が動いた日 ②

文字数 3,396文字

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「――いやー、島谷さんが来られなかったのは残念だが、彼には君のように若くて頼もしい部下がいたんだなぁ。まぁ飲みたまえ。さ、遠慮しないで」

「すみません。僕、アルコールだめなんです。本当に申し訳ないんですが」

 会場に入り、ビュッフェで料理を選んでからテーブル席に着くや否や、僕を待ち受けていたのは他の上役たちからの「飲め飲め」攻撃だった。
 うちの会社に、こんなにも(のん)兵衛(べえ)が多いとは思わなかった。パーティー会場内にはすでにアルコールの匂いが充満しており、飲めない僕でも酔いそうなくらいだった。

「このパーティーの料理はどれも美味いだろう? 一流ホテルの料理人がわざわざ出張で腕を振るってくれてるらしいからな」

「……はぁ。美味しいです……」

 味なんか分かるもんか。酔っ払いに絡まれながら食べたって、食べた気がまったくしなかった。ここでどんなものを食べていたのか、僕は今も思い出せない。
 それどころか、ストレスで胃がどうにかなりそうだった。

「もう帰りたいなぁ……」

 ウーロン茶を(あお)りながら、この日もう何度目かというため息をついた、ちょうどその時だった。
 僕の横を、柑橘(かんきつ)系の爽やかな香りをフワッと漂わせながら、彼女が通り過ぎたのは。

 身長は百六十センチ前後だろうか。ヒールの高い靴を履いていたので、もう少し高く見えた。茶色がかった長い髪には緩くウェーブがかけられており、淡いピンク色の膝下丈のドレスの上から黄色い上着を羽織っていた。

 僕の姿に気づいた彼女は、ニッコリ笑って僕に会釈してくれた。僕も慌ててお辞儀で返したが、その時に彼女と目が合った。 

 ちょっと下がりぎみの眉にクリッと大きな目、長い(まつ)()、スッと通った鼻筋に、申し訳程度にピンク色のグロスが塗られたまだあどけなさの残る唇――。

 可愛い……。僕は彼女から目が離せなくなっていた。何とも恥ずかしいことに、僕は彼女に一目惚れしてしまっていたのだ。
「美人」というよりは、「可愛い」というにふさわしい印象だったので、まだ未成年だろうということは予想できた。もちろんウチの社員ではないだろうことも。
 ということは、彼女は出席者の身内。もちろん、家族同伴で出席していた人も少なからずいたが、気になったのは彼女から漂うタダモノではないオーラ。
 もしかして、彼女は――。

「――そこのキミ、さっきウチの絢乃に見惚れてたでしょう?」

 不意に中年女性の上品な声がして、僕は肩をポンと叩かれた。ハッとして振り返ると、そこにいたのはウェーブのかかった長い髪の四十代前半くらいの女性。――彼女は平社員の僕もよく(顔だけは)知っている人物だった。

「も……っ、もしかして、会長の奥さまですか!?

 僕に声をかけてこられたのは、なんと会長夫人の()()()さんだった。

 スラリとした体型に、先ほど通りかかった女の子とよく似た大きな目。威厳に満ちた眼差し。長身でダンディな源一会長と並んでいたらすごく絵になるので、加奈子さんは僕たち社員の間で有名人だった。
 そして、源一会長が実は入り婿で、加奈子さんこそが篠沢一族の真のドンであるということも、周知の事実だった。

「あら、私のこと知ってるの? まあ当然よね」

 フフンと胸を反らした彼女に、僕はなぜかどこぞの女王を思い浮かべた。

「そりゃあそうですよ。……というか、先ほど『ウチの絢乃に』っておっしゃいませんでした?」

「ええ、言ったわよ。デレ~ッと鼻の下なんか伸ばしちゃって。高校生相手に」

「伸ばしてません! ……って、え!? 高校生!?

 呆れたような、そしてちょっと面白がっているような彼女の言葉に、僕は耳を疑った。

「そうよ。あの子は私と篠沢源一の一人娘で、名前は絢乃。今、茗桜(めいおう)女子学院の高等部二年生。――何か訊きたいことある?」

「茗桜女子って……、あの、(はち)王子(おうじ)にある、名門お嬢さま校ですよね? 名家のご令嬢とか、政治家のお嬢さんとかが通ってるという……」

 僕はその学校名に聞き覚えがあった。というか有名な学校だし、中学時代の同級生の女の子が、「あたしも茗桜女子受けたいけど、学費高いからウチの経済力じゃムリだ」とグチっていたのを覚えていたからだった。

「ええ。あの子は初等部から通ってるわ。それも、私と夫が入学()れたんじゃなくて、自分から通いたいって言ってね。何でも、制服が気に入ったらしいわ」

「へぇ……、そうなんですか……」

 親に押し付けられたのではなく、自分の意思で小学校受験をした子なんて珍しいと思った。何より、「制服が気に入ったから」という理由が何とも女の子らしくて微笑ましい。

「――ところでキミ、所属と名前は? 招待客じゃないわよね?」

「ああ……、ハイ。僕は本社の総務課所属で、桐島貢といいます。もちろん招待客ではないんですが、ウチの課長が別件で出席できないから……と、代理出席を命じられまして」

「あらまぁ、災難ねぇ。――というか桐島くん、あの子が私の娘だって気づかなかったの?」

「…………えっと、ハイ」

 そういえば、加奈子さんに何となく雰囲気とか、顔立ちも似ているような気がした。彼女から漂っていた「タダモノではないオーラ」の正体は、コレだったのだ。

「あの子はまだ幼いから。でも、あと五年十年経てば、きっと化けるわよー♪」

「……はぁ」

 彼女は当時、十七歳。それから五年後だと二十二歳、十年後では二十七歳。……きっととびっきりの美女になっているだろう。十九歳の今でも十分美人だが。

「まぁ、私の娘なんだから当たり前だけどね。というわけで桐島くん、あの子に手出しちゃダメよ? まだ女子高生なんだから」

「ですから、出しませんってば! これでも僕、常識はわきまえて――」

 そう言いつつも、僕の目はバーカウンターのところにいる会長の元へ行く絢乃さんについつい行ってしまっていた。彼女はどうやら、お父さまを探し回っている途中だったらしい。
 それに(さと)く気づいた加奈子さんが、僕にカマをかけてきた。

「あら? もしかして桐島くん、絢乃に恋しちゃったの?」

「…………」

 僕はグッと詰まってしまった。ウソをつくのが下手な僕に、否定できるはずもなかった。

「…………はい、実は一目惚れしてしまったみたいで……。お嬢さんが高校生だなんて知らなかったもので」

「あら、いいのよぉ。あの子、初恋もまだなんだもの。桐島くんみたいな誠実そうな人が初めての恋人になってくれたら、親としてどれだけ嬉しいか。――あ、そうだわ!」

「……? 何ですか?」

「今日パーティーが終わったら、あの子を家まで送り届けるの、あなたに任せていいかしら?」

「はい!?

 加奈子さんのあまりにも突拍子のない提案に、僕は耳を疑った。

「あなたなら、下戸みたいだから車の運転も大丈夫そうだし。今日も車で来てるんでしょう? あなたがマイカー通勤してることは、ちゃんと知ってるわよ」

「……そうですけど」

 僕がマイカー通勤していることも、下戸だから飲んでいないことも、どちらも紛れもない事実だった。

「それに、あの子との距離も一気に縮められるかもしれないわよ? あなたが一目惚れしたってことは、あの子には内緒にしててあげるから♪」

 そう言って可愛らしくウィンクする加奈子さん。どうやら彼女は、僕のこの不毛な恋を後押ししてくれるつもりのようだった。

「はいっ! 奥さま、ご協力感謝します!」

「大げさねぇ。じゃあ頼んだわよ。――あら、あの人あんなところにいたわ。それじゃ、私はこれで」

 加奈子さんは僕に手を振ると、バーカウンターで話しているご主人とお嬢さんの元へ行ってしまった。

 篠沢家は、どうやら「かかあ天下」であるらしい。普段は会社で堂々たる風格を(たた)えていらっしゃる会長も、加奈子さんには頭が上がらないらしかった。加奈子さんに叱られている会長を見ていて、僕は何だか微笑ましい気持ちになった。

 小川先輩は、会場内には現れなかった。途中から来られる招待客やその同伴者もいるので、その対応で忙しかったのだろう。――僕が小川先輩のことに気を取られていた、次の瞬間。悲劇が源一会長を、いや篠沢親子を襲った。

 ――ガタン! 何かが倒れる音に続いて、彼女と加奈子さんが会長に必死に呼びかけている声が聞こえてきた。
 僕はすぐ近くにいたから、ハッキリと状況を掴むことができた。会長が倒れ、母娘(おやこ)が彼を必死に介抱しているのだと。
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登場人物紹介

桐島貢(きりしまみつぐ)

篠沢グループ本社・篠沢商事・秘書室所属。大卒。

五月十日生まれ、二十五歳。A型。

身長一七八センチ、体重六〇キロ。

絢乃が会長に就任する際、本社総務課から秘書室に転属し、会長付秘書になった。マイカー(軽自動車→マークX)を所持している。

恋愛に関しては不器用で、現在も彼女なし。

絢乃と同じくコーヒー党。微糖を好む。スイーツ男子。

篠沢絢乃(しのざわあやの)

私立茗桜女子学院・高等部二年A組。

四月三日生まれ、十七歳。O型。

身長一五八センチ、体重四四キロ。胸はDカップ。

趣味は読書・料理。特技はスイーツ作り・英会話。好きな色は淡いピンク。

主人公。高二の一月に『篠沢グループ』の会長だった父・源一(げんいち)をガンで亡くし、父の跡を継いで会長に就任。

小学校から女子校に通っているため、初恋未経験。

大のコーヒー好き。ミルクと砂糖入りを好む。

桐島悠(きりしまひさし)

フリーター。飲食店でのバイトを三ヶ所ほど掛け持ちし、調理師免許を持つ。

六月三十日生まれ、二十九歳。B型。

身長一七六センチ、体重五八キロ。

桐島貢の兄。一人暮らしをしている弟の貢とは違い、実家住まい。高卒でフリーターになった。

貢曰く、かなりの女ったらし……らしい。兄弟仲は決して悪くない様子。

愛煙家である(銘柄はメビウス)。

篠沢加奈子(しのざわかなこ)

篠沢グループ会長代行。篠沢家当主。短大卒。

四月五日生まれ、四十三歳。O型。

身長一六〇センチ、体重四五キロ。胸はDカップ。

絢乃の母で、よき理解者。娘が学校に行っている間、代わりに会長の務めを果たしている。

亡き夫で婿養子だった源一とは、見合い結婚だったがオシドリ夫婦だった。

大の紅茶党。ストレートティーを好む。

ちなみに、結婚前は中学校の英語教諭だった。

広田妙子(ひろたたえこ)

篠沢グループ本社・篠沢商事の秘書室長。大卒、四十二歳。秘書室に異動した貢の直属の上司。

入社二十年目、秘書室勤務十年のベテラン。バリバリのキャリアウーマン。職場結婚をしたが、結婚が遅かったためにまだ子供には恵まれていない。

絢乃とは女性同士で気が合う様子。

小川夏希(おがわなつき)

篠沢グループ本社・篠沢商事の秘書室所属。会長付秘書→村上社長の秘書。貢と同じ大学の二年先輩。

七月七日生まれ、二十七歳。O型。

身長百六十二センチ、体重四十八キロ。

美人でスタイルもよく、仕事もバリバリできるキャリアウーマンで、社内では「彼女にしたい女性社員ナンバーワン」らしいが、現在彼氏ナシ、未婚。

同じ大学の後輩である貢のよき相談相手で、仕事上でもよき先輩。

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