第131話 一人
文字数 2,490文字
ヴァルの頭上で脱力しているユウトの目前には降り立つことのできる草原と大地が広がっている。それまでユウトが感じていたヴァルの表面に吸い付くような感覚は急に衰え、滑り落ちるようにユウトは地に足を付けた。
「急用ガ出来タ。一時離脱スル」
ユウトが振り返る間もなくヴァルはそう語りながらユウトから後退して距離をとる。
「えっ?いいのか?」
突然のヴァルの報告にユウトは聞き返すもヴァルはお構いなしに返事をすることもなくユウトを運んだように空高く打ちあがっていった。
「行ってしまった・・・」
角度を付けながら昇っていくヴァルを視線で追いかけながら空を仰いだユウトは日差しのまぶしさですぐにヴァルを見失ってしまう。一人残されたユウトはフードを深く被り賑わうすぐそばのテント群に目を移して一息ついた。
ユウトには誰からの視線も殺気も感じない。
「もしかして・・・今オレは一人なのか」
ユウトはこの世界に来て初めて孤独を感じている。ゴブリンの身体となってこの世界で目覚めてから常に誰かと共にあった。任務を与えたセブルもラトムも今はいない。寂しさを感じながらもどこか身軽でほっとするような気がした。
ゆっくりとその場へユウトは腰を下ろすと草むらに四肢を投げ出し仰向けになる。遠くに聞こえるテント群の喧噪と風に揺れて擦れ合う草の音が聞こえていた。フードで遮った端から見える雲の緩やかに流れていく。鼻からゆっくり大きく空気をを吸い込んで口から出した。
一人ぼんやりと思考を巡らせ始める。思いお起こされるのは前の世界のことばかりだった。つらく、後悔の多いことだらけの前の世界の出来事であってもどこか懐かしく、どこか遠くの出来事のように感じる。ただ未練がないわけでもなかった。当たり前ではなくなって初めて恋しさを覚えるものもある。こうして人ならざるモノに姿を変え異世界に身を置くことになるのなら、もっとできたこともやっておきたかったこともあったと自覚した。
そこまで考えてユウトは身を起こすと座りこむ。そして現在、ゴブリンとしての自分はどうだろうかと記憶をたどった。
行き当たりばったりで命を懸け続けてきたことに思わずユウトは自嘲して声が漏れる。思想も理想もないまま本能で突き進んできただけなのかもと自問した。
座り込んで落とした視界に灰色の肌と浅黒い爪の異形の手が写る。左腕の袖をまくるとぐるりと金糸で縛りつけたような傷跡。腰ひもには光魔剣に丸薬。右腕をまくると自身の歯形の傷跡。そして首を触れば肌に張り付く魔術枷の手触り。そのどれも一つ一つに重ねてきた決断を思い起こさせられた。
そしてまた一つ、ユウトは決断の責任を取らなければいけないと思う。真っ向からガラルドと戦ってまで通したこの決断は重い。その結果ある保留にし続けてきた自身の問題に向き合わなければならくなった。
「ゴブリンとして生きていく覚悟・・・か」
ヨーレンにもジヴァにも否定された人の身体に戻れる可能性。それでもユウトはその希望をどこか捨てきれず、その希望が本人の立ち位置を不安定にさせてきた。マレイやネイラ、ジヴァのような人種がいていいこの世界においても、人でありたいという未練をユウトは心の隅でくすぶらせている。魔女の館で語ったユウトの決断はユウト自身への偽りはないと断言できた。それでも残っていた人への未練のくすぶりをユウトはゆっくりと丁寧に押しつぶすように消火していく。物思いにふける遠い過去の人としての記憶が匂う。決して忘れられはしないだろうとユウトは感じながらも、この決戦に決着がつくまでは思いだすことはないとその思い出への扉を閉じた。
遠く流れる雲と地平線を一人眺めながらじっとその場に座り続けるユウト。しばらくして唐突に腹が小さくきゅーと音を立てたのがわかった。
「ああ、腹が減ったな」
そう言ってふっと小さく笑ってユウトは立ち上がると振り向き、テント群に向けて歩き始める。空腹を主張するゴブリンの身体はがめつく料理のスパイスと香ばしい匂いの出所を確かに感じ取っていた。
黒い影が木々の間を駆けていく。しなやかに身のこなしで石の張り出した崖すらものともせず登りきり高台でその足を止めた。
それは黒豹のようないでたちのセブル。その背中にはレナがしがみついている。二人はあたりを見回した。そしてすぐに気づく。不自然に揺れる木と飛び立つ鳥達に覗く黒々とした不定形の何か。
「アレが・・・大魔獣か」
レナは跨るセブルに確認するように語り掛けると腰の鞄から巻物を取り出して広げる。さらに頑丈に補強された方位磁針と筆記具を取り出し入念に確認しながら大魔獣の位置を巻物に記された周辺地図に書き込んだ。その地図には他の日付の大魔獣の位置がいくつも記されている。
記録された大魔獣の位置の移り変わりは蛇行しながらもある方角へ着実に進んでいることがレナには分かった。
「この進行の過程なら確かに予定通りに決戦当日がやってくるわね」
そう言いながらレナは地図と道具を片づけ始める。
「どうしたのセブル?なんだか強張っているけど。ユウトが心配?」
「がぅ・・・」
セブルは気のない返事を返すばかりで大魔獣の方をじっと見つめ続けていた。
「ユウトじゃないか。やっぱり大魔獣が気になるわけね。
ねぇセブル。これは答えなくていいけれどあたしも気になるから言っておきたい。あんたはただの魔獣じゃないことはわかる。でもだったら何なの?っていう疑問は残るわ」
レナの語る言葉にセブルは何の反応も示さない。
「その様子だと簡単には答えられないだろうけど、あたしは知りたい。だからいつか。いつかでいいから教えてよ。今はこれ以上聞かない」
それまで微動だにしなかったセブルはほんの少しだけ首をもたげた。
「さっ!戻ろう。後は報告するだけよ」
レナは声を張ってそう言うとセブルの背中を撫でる。それに答えてセブルも身体を大きく膨らませると勢いよく高台から飛び降りていった。
そして誰もいなくなった高台に風が吹く。その風に乗って遠くうごめく大魔獣の方角から生き物の絶命する叫びがかすかに響いた。
「急用ガ出来タ。一時離脱スル」
ユウトが振り返る間もなくヴァルはそう語りながらユウトから後退して距離をとる。
「えっ?いいのか?」
突然のヴァルの報告にユウトは聞き返すもヴァルはお構いなしに返事をすることもなくユウトを運んだように空高く打ちあがっていった。
「行ってしまった・・・」
角度を付けながら昇っていくヴァルを視線で追いかけながら空を仰いだユウトは日差しのまぶしさですぐにヴァルを見失ってしまう。一人残されたユウトはフードを深く被り賑わうすぐそばのテント群に目を移して一息ついた。
ユウトには誰からの視線も殺気も感じない。
「もしかして・・・今オレは一人なのか」
ユウトはこの世界に来て初めて孤独を感じている。ゴブリンの身体となってこの世界で目覚めてから常に誰かと共にあった。任務を与えたセブルもラトムも今はいない。寂しさを感じながらもどこか身軽でほっとするような気がした。
ゆっくりとその場へユウトは腰を下ろすと草むらに四肢を投げ出し仰向けになる。遠くに聞こえるテント群の喧噪と風に揺れて擦れ合う草の音が聞こえていた。フードで遮った端から見える雲の緩やかに流れていく。鼻からゆっくり大きく空気をを吸い込んで口から出した。
一人ぼんやりと思考を巡らせ始める。思いお起こされるのは前の世界のことばかりだった。つらく、後悔の多いことだらけの前の世界の出来事であってもどこか懐かしく、どこか遠くの出来事のように感じる。ただ未練がないわけでもなかった。当たり前ではなくなって初めて恋しさを覚えるものもある。こうして人ならざるモノに姿を変え異世界に身を置くことになるのなら、もっとできたこともやっておきたかったこともあったと自覚した。
そこまで考えてユウトは身を起こすと座りこむ。そして現在、ゴブリンとしての自分はどうだろうかと記憶をたどった。
行き当たりばったりで命を懸け続けてきたことに思わずユウトは自嘲して声が漏れる。思想も理想もないまま本能で突き進んできただけなのかもと自問した。
座り込んで落とした視界に灰色の肌と浅黒い爪の異形の手が写る。左腕の袖をまくるとぐるりと金糸で縛りつけたような傷跡。腰ひもには光魔剣に丸薬。右腕をまくると自身の歯形の傷跡。そして首を触れば肌に張り付く魔術枷の手触り。そのどれも一つ一つに重ねてきた決断を思い起こさせられた。
そしてまた一つ、ユウトは決断の責任を取らなければいけないと思う。真っ向からガラルドと戦ってまで通したこの決断は重い。その結果ある保留にし続けてきた自身の問題に向き合わなければならくなった。
「ゴブリンとして生きていく覚悟・・・か」
ヨーレンにもジヴァにも否定された人の身体に戻れる可能性。それでもユウトはその希望をどこか捨てきれず、その希望が本人の立ち位置を不安定にさせてきた。マレイやネイラ、ジヴァのような人種がいていいこの世界においても、人でありたいという未練をユウトは心の隅でくすぶらせている。魔女の館で語ったユウトの決断はユウト自身への偽りはないと断言できた。それでも残っていた人への未練のくすぶりをユウトはゆっくりと丁寧に押しつぶすように消火していく。物思いにふける遠い過去の人としての記憶が匂う。決して忘れられはしないだろうとユウトは感じながらも、この決戦に決着がつくまでは思いだすことはないとその思い出への扉を閉じた。
遠く流れる雲と地平線を一人眺めながらじっとその場に座り続けるユウト。しばらくして唐突に腹が小さくきゅーと音を立てたのがわかった。
「ああ、腹が減ったな」
そう言ってふっと小さく笑ってユウトは立ち上がると振り向き、テント群に向けて歩き始める。空腹を主張するゴブリンの身体はがめつく料理のスパイスと香ばしい匂いの出所を確かに感じ取っていた。
黒い影が木々の間を駆けていく。しなやかに身のこなしで石の張り出した崖すらものともせず登りきり高台でその足を止めた。
それは黒豹のようないでたちのセブル。その背中にはレナがしがみついている。二人はあたりを見回した。そしてすぐに気づく。不自然に揺れる木と飛び立つ鳥達に覗く黒々とした不定形の何か。
「アレが・・・大魔獣か」
レナは跨るセブルに確認するように語り掛けると腰の鞄から巻物を取り出して広げる。さらに頑丈に補強された方位磁針と筆記具を取り出し入念に確認しながら大魔獣の位置を巻物に記された周辺地図に書き込んだ。その地図には他の日付の大魔獣の位置がいくつも記されている。
記録された大魔獣の位置の移り変わりは蛇行しながらもある方角へ着実に進んでいることがレナには分かった。
「この進行の過程なら確かに予定通りに決戦当日がやってくるわね」
そう言いながらレナは地図と道具を片づけ始める。
「どうしたのセブル?なんだか強張っているけど。ユウトが心配?」
「がぅ・・・」
セブルは気のない返事を返すばかりで大魔獣の方をじっと見つめ続けていた。
「ユウトじゃないか。やっぱり大魔獣が気になるわけね。
ねぇセブル。これは答えなくていいけれどあたしも気になるから言っておきたい。あんたはただの魔獣じゃないことはわかる。でもだったら何なの?っていう疑問は残るわ」
レナの語る言葉にセブルは何の反応も示さない。
「その様子だと簡単には答えられないだろうけど、あたしは知りたい。だからいつか。いつかでいいから教えてよ。今はこれ以上聞かない」
それまで微動だにしなかったセブルはほんの少しだけ首をもたげた。
「さっ!戻ろう。後は報告するだけよ」
レナは声を張ってそう言うとセブルの背中を撫でる。それに答えてセブルも身体を大きく膨らませると勢いよく高台から飛び降りていった。
そして誰もいなくなった高台に風が吹く。その風に乗って遠くうごめく大魔獣の方角から生き物の絶命する叫びがかすかに響いた。