第59話 リザード
文字数 2,723文字
少女の姿が、一匹のどう猛なトカゲへと変貌した。
「
人の形をしたトカゲ、その異様な姿に、ウツロは戦慄した。
「ふふっ、ウツロ。要するにこれが、俺の本性ってことなんだろ? アルトラとはすなわち、その人間の精神の投影ってか」
「……」
万城目日和はケタケタと笑っている。
ウツロは何も言えなかった。
「けっこう気に入ってるんだぜ、この姿はよ? さてウツロ、仕切り直しと行こうじゃあねえか」
「くっ、来いっ……!」
「ん~?」
臨戦態勢を取るも、彼女はニヤニヤとほほえんでいる。
何かがおかしい、そう思った。
「これは……」
甘いにおい。
そして次の瞬間、ウツロのひざが勝手に地面をついた。
何が起こったのか理解できず、彼は激しく困惑した。
「甘いだろ? そのにおい。俺は体内でいろんなにおいを作れるんだよ。これを使ってそいつらを眠らせ、拉致ったのさ」
「ぐっ、しまった……」
猛烈な眠気がウツロを襲う。
こんな状況において、彼の脳は睡眠を渇望しているのだ。
刀を杖の代わりに、必死で体を支える。
「体ってのは正直だな、あ? ウツロ、おまえはもう動けねえ。俺の勝ちは決まりだな」
トカゲ人間がゆっくりと近づいてくる。
ウツロはある覚悟を決めた。
「なめ、るな……!」
「――っ!?」
ウツロの口から血が滴り、その姿がパッと消え失せた。
万城目日和はハッとなり、そして背後を取られたことに気がついた。
「ぐっ――!」
あわてて体を翻し、応戦する。
トカゲの爪は
「バカな、舌をかむ力なんて残ってなかったはずだ……」
もご……
ウツロの口から、黒い角のようなものが顔を出す。
「べっ……!」
吐き出された物体、それはバカでかいクワガタだった。
「時期はずれだが、来てもらっていて助かったよ」
「ははっ! クワガタに舌をかませるなんてな! いいねえウツロお、最高だぜ、おまえ。こいつはいよいよ楽しくなってきた……!」
トカゲが毒虫に突進する。
「ふんっ!」
ウツロは高く跳躍した。
すぐさま上空からの攻撃に備える万城目日和。
だが、降りてくる気配がない。
「――っ!?」
ウツロは背中の羽を大きく広げ、羽虫のごとく宙に浮いていた。
「へっ、空も飛べるのかよ、ウツロ?」
「われながらおぞましい能力だと思うよ、万城目日和?」
「お互いにな」
「ふん」
天地上下でにらみ合う。
しかけるタイミングを見計らっているのだ。
遠くのほうで船の汽笛が鳴った。
「いくぞ、万城目日和っ――!」
「来なっ、ウツロおおおっ――!」
ウツロは下降し、万城目日和は跳躍した。
「ぐうっ――!」
「があっ――!」
爬虫類の脚力は想像以上だった。
しかし、羽虫の突撃もまた、同様だった。
ぶつかり合う力は反力を生み、互いに後方へ弾き飛ばされる。
倉庫の向かい合う壁面に、それぞれが激突した。
「まだまだっ、万城目日和いっ――!」
「殺してやるっ、ウツロおおおっ――!」
広い空間に破裂音がこだまする。
火花のようなそれは、冷たい倉庫の中に熱量を与えた。
何度も、何度も。
ぶつかっては弾かれ、延々とそれを繰り返す。
あらゆる方向から、あらゆる手段で。
それはほとんど、戦闘というよりは葛藤に近かった。
ありもしない答えを、必死に導きだそうとしている。
つかめるはずもないものを、必死につかもうとしている。
こうしていれば、何かが見出せるのではないか?
二人はひたすら、もがきつづけた。
「はあっ、はあっ……」
「ふうっ、ふうっ……」
互いに地面へ降り立ったとき、そのダメージは決して少ないものではなかった。
何も見えてこない。
ふいてもふいても取れることのない、ガラスのくもり。
そんなもどかしさを感じていた。
「ウツロ、何か見えたか?」
万城目日和は問いかけた。
「いや、何も……こんなに難しいのは、はじめてかもしれない……」
ウツロは正直な心中を吐露した。
「解決する方法があるんじゃないか。そんなことを考えてたんだろ?」
「まあな。みんながうまい具合に助かれば、それが一番だからな」
「けっ、やっぱり吐き気がする。ヒーロー気取りのクソ野郎がよ」
「かまわない。それが俺の、性分なんでな」
「ふん、そうかい。なら、おまえの負けだぜ?」
「どういうことだ?」
「おまえが必死にそんなことを考えてる間、俺はおまえを倒すことだけを考えてたからさ」
「強がるな、万城目日和。戦いを通じてわかった。おまえは決して、魔道になど落ちてはいない。本当はおまえだって、俺と同じことを考えていたんだろう?」
「……」
図星だった。
だが、そんなことをやすやすと認めるような万城目日和ではない。
屈辱だ。
ウツロ、おまえは気がついていない。
そのやさしさが、どんな存在にもよりそおうとする甘さが、結果として人の心を傷つけ、踏みにじることもある。
彼女は決心した。
和解という選択肢を放棄することを。
すまない、ウツロ。
やっぱり、死んでくれ……
「ウツロ」
「……」
トカゲの右手が上がる。
「これ、な~んだ?」
「……?」
そこには小さな、一匹の黒い虫がつまみ取られている。
「おまえとぶつかり合ってる最中に失敬したんだ。簡単だったぜ?」
「それが、何だというんだ?」
いぶかるウツロに、万城目日和は
「あれ、わからねえ? さっき俺が言ったこと、もう忘れたのか? いろんなにおいを作れるって、確かにそう言ったよなあ?」
何を意味するのか、理解することはできなかった。
しかしウツロは、猛烈に嫌な予感がした。
果たしてその予感は、的中することになる。
「あ~ん」
つまんでいたその虫を、万城目日和は口の中へと放りこんだ。
「なっ、何をしている……!?」
「まだわからねえの? おまえ、バカ?」
ガリガリと虫をかみ砕く。
「こうしてな、胃の中で
「……」
「ふんふん、なるほどな。よし、よし、と……」
ウツロはやっと理解した。
前方へ向け、脚を蹴り上げる。
「いまさらおせえよ。もうしっかりと、
万城目日和の体から、紫色の気体が噴き出す。
ウツロはそれをモロに浴びてしまった。
「うっ……」
強烈な刺激臭が鼻をつく。
そのときにはもう、すでに遅かった。
「これ、は……」
呼吸がろくにできない。
彼は苦しさあまって、地面へと倒れこんだ。
「アポトーシスだ、ウツロ。この世にただひとつ、おまえだけを確実にぶち殺せる毒ガスの完成よ。はははっ!」
トカゲの笑い声が響きわたる中、毒虫の意識はどんどんと遠くなっていった――