『狂気』 シズム
10月31日。日が暮れ始め、空が淡いオレンジ色を帯び始めた頃。若者たちが仮装し、狂ったように騒ぎ出すハロウィンという魔のイベントが今年もやって来た。
私の所属しているS大学オカルトサークルでは毎年この日に、郊外にある〝ハロウィンナイトパーク〟というテーマパークで夜を明かしている。なんでも仮装した客に混じって本物が現れるだかなんだとか。深夜0時を回ると〝精霊城〟に本物が出てくるだとか。
もちろん私もその噂を信じている一人で、わりと乗り気で参加した一人でもある。私は〝キョンシー〟の姿で参加し、未知との出会いを今か今かと待ち望んでいる。待ち望んでいた――が。
「いやああああああ! 助けてええええええ!!」
「うっわ引っ付くなこのケバケバオカマ!! 略してケバマ!」
――こんな出会いは微塵も望んでなどいなかった。
このテーマパークには二種類のお化け屋敷があり、和と洋の二つがあった。じわじわと恐怖を与え、絶望に落とし入れてくるジャパニーズホラーが大好きな私は、迷わず和のお化け屋敷へと向かった。しかし夕暮れ時という雰囲気のある時間帯のせいか列が長く、一時間以上は待たなければなりそうだった。流石にそこまで気の長くない私は早々に諦め、他のアトラクションへ行こうとした。だがそのとき列に並んでいる、フランケンシュタインの仮装をした長身痩躯の男に声をかけられた。
男に、声をかけられた。
「ね、ねぇちょっとそこのあなた! お化け屋敷に入りたいんでしょ? ならアタシと一緒に入ってくれない? なら列アタシの前に入れてあげるから!! ね!!」
色白の、もとい化粧の濃い男に誘われ、それを承諾したのが運の尽き。
今私はまさに、地獄とも呼べる状況にいる。
「アソボウヨォ……」
「いぃぃぃぃぃゃああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
私が恐怖に怯える隙もないほどの阿鼻叫喚地獄。
座布団の上で利口に座っている市松人形が喋りだす。それだけでこの反応。私は肺の空気をすっからかんにする勢いで息を吐いた。いい年をした大人が、ましてや男がここまでビビるのは酷く情けないと思った。オカマではあるが。
「もぉぉぉ、ビビるたびに袖を引っ張らないでください! 伸びます!」
「しょ、しょうがないじゃない! 怖いんだから!!」
「気合で何とかしてください! 男でしょう!」
「そんなの無理よ! 心はいつだって乙女だもの!!」
そんな言い合いを繰り返し、道に迷いながらも、両腕の関節とメンタルが安定したキョンシーと、知性の欠片も感じないほどパニック状態に陥ったフランケンシュタインは、貞子との鬼ごっこから逃げ延び、巨大ながしゃどくろの魔の手から逃れ、やっとの思いで出口手前にある和室へとやって来た。
和室は薄暗く、部屋の中心には囲炉裏がある。畳には黒くまばらな斑点模様がつき、その染みを目で追っていると、一面真っ黒な壁に目が行く。もしこの黒の全てが血痕を表わしているのなら、きっとこの壁は――。
ほんの少し、身体が恐怖で身震いする。こういった狂気的な演出が、私は大好きで堪らなかった。
「いや~こういうの本当、好きだわ……」
「あんた変態か何かじゃない? こんな怖すぎる部屋に興奮でもしてるの? こっわ」
「貴方にだけは一番言われたくないんですよね~? ここから出たらお手洗いで鏡でも見て顔でも洗ってみてくださいよ、SANチェック確実に入るのでね」
オカマを適当にあしらいながら、黒い壁に手をついて感触を確認する。すると右端の方に溝を見つけ、それに沿って右手を下におろしていくと、扉のとっかかりを見つける。
「お、あったあった。ここが終わりっぽいですし、さっさと出ましょ――」
オカマに出口の場所を教えようと後ろを振り向くと、先ほどまであんなに騒がしかったはずなのに、今は俯いて少しも動こうとしていない。
「あのねぇ……ここで最後なんだから、もう少し嬉しそうにしたって」
「ネエ」
息が詰まる。時間が止まっているように錯覚するほど、身体がピクリとも動かない。視線が一点に釘付けになり、目が、離せない。
声が聞こえた。子供の声が。幼く、弱々しい、今にも消えそうな声。
その声は確かに、目の前にいる人物から発せられていた。そしてゆっくりと、顔が上がる。
「マタキテネ」
感情のない微笑みが向けられ、抑揚のない声が部屋に響く。
光の点らない漆黒の双眸と目が合う。
その眼の色は黒か、それとも……。
気付けば私は扉を力任せに開き、出口から飛び出していた。
走り疲れて息を切らせながら、壁に手をつく。冷や汗が頬を伝い、背筋にも恐ろしいほど悪寒が走っているというのに、私はずっと笑顔だった。