第5話

文字数 5,586文字

水曜日
翌日僕は朝早くに目が覚めた。襖から漏れる光はまだ外の薄暗さを表していた。寝ぼけた目を凝らしながら時計を見た。針は午前5時を差していた。暖房は切れていたため、1月の厳しい寒さが顔にしみた。布団を被り直し、再度眠りについたところで夢を見た。
僕は昼間に神社の中で彷徨っていた。秘密基地を探すもいつもの場所になく、一茶も周五郎もいない。一人ぼっちで林の至る所を見渡して誰かいないかを探した。
「おーい」と声をかけてみる。しーんとした空気であった。カサカサと音を立てて木を揺らしてみた。音を立てた後、再び静寂が訪れて悲しくなった。誰もいない。世界で一人ぼっちなのか。コエガダンダントキコエナクナッテキタ。
「起きなさい」と声がし、目を開くと見慣れた天井があった。戻ってきたと呟いた。
針は7時半を差していた。急いで起き上がり、準備をして学校へ向かった。まだ夢の中での出来事が忘れられずにいた。自分が一歩また一歩と足を前に出して歩く動作をしているだけの人形に思える程頭の中がぼーっとした。あの夢は何だったんだろうか。
「おはよう」とクラスへ入った。
自分の席に座り、また夢について考えていると「どうしたの」と声がした。
振り返ると彼女がいた。
「凄く気分が悪そうだよ。大丈夫?」と心配してくれていた。
「今日朝早くに目が覚めて、もう一回寝た時に怖い夢を見たからちょっと眠いし、気分が良くないんだ。けど、落ち着いたからもう大丈夫。」と僕は笑って誤魔化した。
「そうなんだ。私も怖い夢見た時、目が開くことあったからその気持ち分かるよ。なかなか寝れないんだよね。おばけが追いかけてきた夢見た時は起き上がれずに布団の中に潜ってたよ。気づいたら寝てて朝だったんだけど、眠いし怖かったから一日中暗い気分だったよ」と彼女はオーバーに身震いをし、僕を元気付けてくれた。

国語の授業は「わすれられないおくりもの」についてだった。ストーリーは物知りなあなぐまがおり、あなぐまは自分が死ぬ事を悟っていた。あなぐまは死について恐怖はないが、残された友達が悲しむのを心配していた。あなぐまは生前友達には死んでしまった後、悲しまないようにと言っていた。しかし、あなぐまの死後友達は悲しみにくれた。それぞれ友達は物知りなあなぐまに教えてもらったこととの思い出に浸った。そしてあなぐまは皆んなに忘れられない贈り物を残してきたというものだった。死んだあとでもあなぐまからの知恵が皆んなの中で生きていると。僕はあなぐまではないが、ここを離れてしまう。僕がここを去った時に何か残せるものはあったであろうか。

チャイムが鳴り
「今日はここまでです。音読して内容を理解しておきましょう」と最後に先生が言い国語の授業は終わった。
僕は何か残せるものはないか考えた。僕はあなぐまみたいに知恵もなければ与えられるものもない。与えられてばかりだ。

休み時間になり、みんな一斉に校庭へ向かった。僕は早く手を離して一輪車を乗れるように一番乗りで倉庫に行き、一輪車を持っていつもの練習場所まで走った。
昨日の記録5メートルから伸ばせるようバランスを取りながら足に力を入れペダルを回し、慎重に手摺りから手を離した。
今日自分は覚醒した気がした。一輪車と自分が一体になった気がした程抜群に相性が良かった。手を離して足でペダルを漕ぎ、両手でバランスを取りながら進んだ。進めば進むだけ景色が見違えるほど変わった。いつも練習していた場所から眺めていた景色の中で遠くにあった建物が徐々に近づく感覚が僕を高揚させた。10メートル、20メートル、30メートル進み僕はバランスを崩して転んだ。
「凄い、凄い」と声をかけてくれたのは莉奈だった。
「ありがとう」僕は莉奈の手を借りて起き上がった。温かみのある小さな手だった。
「もう乗れるようになったね」莉奈は僕以上に喜んでいた。僕は喜びもあったが、乗れた感覚を覚えておこうと何度も頭の中でさっきのシーンを回想していたため、ぼーっとした顔になっていた。
「ぼーっとしてどうしたの?もしかしてどこかぶつけた?痛い?」莉奈は心配してそう言った。
「大丈夫。身体が覚えているうちにもう一回乗らなきゃ」と僕は走って先程スタートした場所へ戻った。
今度は手を離してペダルを漕いでから40メートルほど進めた。回数を重ねる度に上達している感覚が僕をますます熱中させた。
やった。やっと乗れた。これで皆んなと一緒にレースも出来るし、彼女にも良いところを見せられる。僕はそう心の中で呟いた。
「一輪車乗れるようになったんだね」と彼女が来た。
「昨日10メートルくらいしか進めなかったんだけど、今日は40メートルくらい進めてやっと乗れるようになったよ。」僕は突然話しかけられたのと嬉しさでドキドキしながら答えた。
「朝悪い夢見たって言ってたけど、実は良いことが起きるお知らせだったかもね」彼女は冗談っぽく言った。
「そうかもしれないね。あと、由貴ちゃんに元気付けられたからかもしれないよ」と僕も冗談っぽく言った。由貴は彼女の名前だった。自由の由に貴族の貴の字を合わせて由貴。この言葉の響きが僕を癒やしてくれた。
「えっへん」由貴は威張ったポーズをした。その姿も僕にとっては愛おしかった。
「もう休み時間終わっちゃうな。ねぇ今日の放課後に競争しよ」由貴は僕にそう提案してきた。莉奈がそういうことを言うのと由貴が言うことでは僕にとっての捉える意味が違って聞こえた。由貴に言われると胸が高鳴るのと放課後が待ち遠しくて仕方ないものに思えた。休み時間が終わって、放課後になるまで僕は何度となく時計を見て、秒針が1秒1秒進むのを凝視した。同じだけ時は刻むはずなのにこれ程時間の進みが遅く感じることは今までなかった。時計を見てはまだ10分しか経ってない、20分しか経ってないと苛立ちを感じた。もちろん授業には集中しきれず、放課後になるまでの休み時間も早く過ぎてしまえばいいのにと心の底から思っていた。
「これで今日の授業は終わりです。皆さん最後に帰りの会をしましょう」やっと終わった。この長い長い戦いは終わったと僕は一息ついた。僕は時計を見過ぎで目がチカチカしており、目の神経が疲れているようだった。
ただそんなことを気にしなかった。ただ由貴と放課後に遊べるのを楽しみにし、アドレナリンが一時的に疲れを忘れさせた。
「以上で帰りの会を終わります。皆さん、気をつけて帰って下さい」先生の本日最後の言葉で学校は終わった。僕は由貴の元へ行き、「先にグラウンド行って待ってるね」と待ちきれない声で言った。
「分かった。勇輝くんと話してから行くね」由貴は笑顔でそう言った。由貴は勇輝と付き合っている。勇輝と聞くと僕はドキッとした。彼と僕は友達だが、僕は由貴のことが好きだった。誰が誰を好きか自由のはずであるが、本人達が知らない裏切りの罪悪感が僕を苦しめた。この事を2人に話すべきではなく、自分1人で抱えていかなければならないが、そっと1人で抱えきれるかの自信はなかった。
僕は由貴との会話の後ランドセルを勢いよく背負って、階段を最速で降りグランドの倉庫から一輪車を取り出した。急いでいつもの練習場所に行き、手摺りを掴みながら一輪車に乗り、ペダルを漕ぐと同時に手を離し、バランスを取りながら進んだ。休み時間に練習した感覚はまだ体に染み付いていたため、40メートル近く乗れた。やった。これで少しは良いところ見せられると胸を撫で下ろした時に
「ごめん、遅くなった」と由貴の声がした。振り返ると由貴と勇輝が居た。あぁそれもそうか。由貴は僕と2人で競争しよと言った訳でもないため、僕が勝手に2人きりになれると思い込んでいた。僕の妄想が行き過ぎてしまい1人舞い上がっていただけだと悟った。僕の勝手な期待感は見事に裏切られてしまった。
「上手くなってるじゃん」と勇輝は僕を褒めた。彼は悪気なく単純に僕を褒めているはずなのに彼の言葉は癪に触った。
「ありがとう」と僕は素っ気なく言葉を返した。ただ彼からしたら僕はただ機嫌が悪いだけのように感じたのか
「どうした?何か悪い事でも言った?」と心配してくれた。この感情は僕の単なるエゴだった。彼は何も悪くなく、この背景を知った場合に客観的に見たらむしろ彼は被害者だった。僕が彼に嫉妬しているだけだ。
「いや、大丈夫。悪い夢見て、今朝あまり寝れてないから眠たくて」と眠さを理由とした。
「けど、そのおかげで一輪車が上手になったんだよ」と由貴が無邪気に言った。
「なんだそれ?よく分からないけど、そのおかげで一輪車乗れるようになったなら良かったな」と勇輝は細かい事は気にしていない様子で言った。
「ほら、勇輝くん。一輪車取ってこようよ」由貴は勇輝の袖を引っ張った。2人は倉庫に一輪車を取りに行き、走って戻ってきた。
「ねぇ3人で誰が一番早く倉庫までいけるか競争しようよ。倉庫にタッチした順番で最後の人は一輪車の後片付けをするってことで」スタート地点から倉庫までは約50メートルの距離だった。由貴の提案に僕と勇輝は乗った。僕は今までの最高記録を上回らなければいけない状況だった。
僕と由貴と勇輝は同じ位置に並び、手摺りを背中についた状態で手摺りを掴み
「位置についてよーいドン」と由貴が声を上げてスタートした。3人とも勢い良くペダルを漕いだ。3人共危なげなくスタートし、あっという間に10メートル地点に到達した。順位は勇輝、由貴、僕だったが、それぞれ差は殆どなく、団子状態だった。僕は由貴に追いつき、彼女の方へ目を遣ると彼女は僕を見つめ返し、余裕の笑みを浮かべているようだった。20メートル地点で勇輝とは差がついてしまったが、由貴とは横並びだった。そしてまだ勇輝に追いつけない距離ではなかった。30メートル地点に到達する頃には勇輝は40メートル地点に到達しようとしていた。僕と由貴は相変わらず抜きつ抜かれつを繰り返し、僕と由貴が40メートル地点に差し掛かるまでに勇輝はゴールしていた。残り10メートルになった時に僕と由貴はデットヒートを演じていた。横並びが残り5メートルまで続き、その後は僕がわずかにリードしている状態だった。ゴール間近で「あっ、、」と由貴は声を上げた。由貴はバランスを崩して前に投げ出され地面に足をつけたが、もつれてしまい転んだと同時に「ガシャん」と一輪車が地面に叩きつけられた音がした。僕は倉庫手前で一輪車を降り、勇輝も倉庫から慌てて由貴のもとへ駆けつけた。
「大丈夫?」僕は心配して声をかけた。
「うん、焦って漕ぎすぎたからバランス崩しちゃった」由貴は失敗しちゃったという顔をした。
「由貴ケガしてないか?」勇輝は聞いた。
「大丈夫、多分膝擦りむいたと思うけど、それくらいだし平気だよ」由貴はズボンを捲って膝を確認した。擦ったところから血がじわりと出てきた。
「とりあえず保健室行こう」勇輝は由貴の手を取った。僕はそれを見て嫉妬した。自分が勇輝の立場だったらなと羨んだ。またこの場面で勇輝が居なければ僕は自然と由貴の手を取ったであろう。ただ僕は2人の友達なだけで勇輝の前では由貴が嫌かどうかを別にして触れることも遠慮しなければいけない立場だ。変な誤解を生んで関係を崩したくなかった。
由貴は勇輝の手を取って起き上がり、倉庫に向かって1人で歩き、倉庫の壁に手をついた。
「へへへ、私の勝ちだよ」由貴は勝ち誇った顔で言った。
「それだけ元気なら安心したよ。後片付けするから保健室行っておいで」僕は2人に対して言った。本心ではない。2人に気を遣った言葉だ。
「ありがとう。おーい由貴、行こう。放っておいたら膝血だらけになるぞ」勇輝はそう言って由貴を保健室に連れて行った。
僕はそれを見送り、由貴と自分と勇輝の一輪車を倉庫に戻した後、秘密基地に行くか迷ったが今日は辞めておくことにした。ランドセルを背負って校門を出ると莉奈が居た。
「あれ?もう下校してると思ってた。誰か待ってるの?」僕は気になって尋ねた。
「ねぇ。君何か隠していない?それを聞こうと思って待ってたの」莉奈の言葉に僕はドキッとした。僕は一茶と周五郎を除いてまだ誰にも転校のことを打ち明けていなかった。2人が莉奈に話したとは考え難いし、単純に莉奈の勘の良さに驚いた。
「特に何も隠していないよ。どうして?」僕はまだ打ち明けるタイミングではないと思い嘘をついた。すかさず莉奈は
「だって、ここ最近変だよ。授業中もぼーっとしていたり、元気ないみたいだし何かあったの?」莉奈は僕を心配しているようだった。僕が何かおかしいことに気付いている。転校のことを打ち明けるべきか否かを迷い、僕が考えている少しの間沈黙が流れた。
「実は4月に転校するんだ」僕は重い口を開いて莉奈に告げた。彼女は絶句していた。そして彼女の目から涙が流れた。僕はどうして良いか分からなかった。彼女は声を抑えて静かに泣いていた。
「大丈夫だって。また戻って来れるはずだよ」僕はどう慰めて良いのか分からず思ってもないことを口にした。僕は転校したらもうここへ戻って来られないのが分かっていた。幼いながら行ったきりだと悟っていたが、莉奈が泣いている姿を見て動揺し、有りもしない嘘をついた。暫く莉奈は泣いていた。泣いている間彼女は何も話さずただ涙を流し、時折嗚咽を漏らしていた。僕は他の学年の子が校門を出て僕たちを見る度に女の子を泣かせた奴と誤解されているのだろうと想像した。また何も悪いことはしていないからこそ通る子たちの誤解を解きたかった。
「突然泣いてごめんね。少し落ち着いたよ」莉奈はハンカチを取り出して涙を拭った。莉奈ははぁと一息吐いてから
「私も隠していることがあって、君の事が好きなんだ」莉奈からの告白だった。
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