10 リリーの古傷

文字数 2,066文字

 ひとつ確かなのは、私の耳はおかしくなり始めていた、ってこと。
 それはまあ、あの爆音部屋で暮らしていたら、しかたがない。
 でも、幻聴(げんちょう)っていうのかな、そんなものまで聞こえるようになってきたのはなぜだろう。

「むだだ、もう遅い」

「悪いことは言わん、ひきかえせ」

「危険すぎる、たえられるわけがない」

 はあ?
 遅すぎるって、私、まだ中学卒業したばかりなんですけど。
 危険なことは、まあ、少しはあるかもしれないけど、シェアハウスの人たちはみんないい人ばかりだし、いざとなったら、たがいに助けあう系だし。
 もちろん私だって、たとえばサラが(いや)がることを誰かが言っていたら注意するし、ロイのドラムだって誰かが「うるさい」と言ってきたら「私が我慢(がまん)しているんだから、あなたも我慢しなさい、(だま)ってろ」と、小声(こごえ)でささやく勇気くらい、ないわけじゃない。

 昼の共同キッチン。
 誰かが食べるだろうと思って大量に昼パスタを()でながら、手伝いといいながらなにもしないで見ているだけのリリーに相談してみた。

「最近、私、へんな声が聞こえるの」
「なに、セクシー系?」
「いや、むしろ、ホラー系」
「サスペンスの主人公みたいなやつか」
「ねえ、この家って、もともとなんだったの?」
「よく知らないけど、みんなが安く()めているのには、何か理由はあるかもね」
「なるほど。ロイを尋問(じんもん)する必要ありね」
「むしろロイは、こわい夢を見たくなくて、必死でドラムをたたいているのかも」
「まじ?」
「いや、ただの想像だけど」
「でも、なんか、すごくありえる話。私、リリーの笛も、同じ感じがする」
「はあ?」
「幽霊を鎮魂(ちんこん)する……的な?」
「私はそんな意図はないけど、でも、アイリッシュの音楽には、そんなところがあるかもね」
「そんなところ、とは?」
「アイリッシュダンスって知ってる?」
「クラブでみんなが(おど)っているのと、何かちがうの?」
「本当は、足だけで踊るの」
「ほわっ?」
(うで)を身体につけて、上半身を動かさないようにして、足だけステップ。理由があって、外から窓越(まどご)しに見られても、踊っているように見られないため」
「政府の踊り禁止法、みたいな?」
「たぶんね。いろいろあったのよ。そういう中で、精一杯(せいいっぱい)、私たちらしくあるために、足だけで踊った」
「そういえば、そんな映像(えいぞう)、見たことある。少し思い出した」
「”私たちは踊ったりしていません、足だけステップを少し”って」
「全身で踊ったら?」
処罰(しょばつ)される。たぶん殺される」
「理解した」
「そんな想いが()みかさなって、音楽になっている」
「だから、これは、自由と反抗(はんこう)のミュージックなのだ」
「でも、ナナーは、反抗とか、するの?」
「もし、私が、反抗しないガールだったら、ここには来ていない」
「そっか」

 リリーが、銀色の小さな笛を取りだして、澄んだ音色を(ひび)かせた。
 心に()みる。
 すると、ふと、疑問がわいた。

「リリー、あなた、レイプされたことある?」

 私の唐突(とうとつ)な問いに、彼女は何も表情を変えなかった。
 笛を止めて聞き返してきた。
「あなたはあるの?」
「いいえ。これは、私のことじゃない。リリーに関すること。なんか、疑問がわいて。変なこと聞いてごめん。関係なかったら忘れて」
 少しの()(のち)、リリーは小声で肯定(こうてい)した。
「まあ、ずいぶん昔だけど」
「昔って、リリーって、まだティーンよね?」
「17」
「だよね……」
「でも、昔なんだ」
「ヘンなこと聞いたけど、(おこ)る?」
「それより、なぜわかったの?」

 そう、なぜわかったのだろう。なんとなく、そんな感じがして、聞いてしまった……

「声が聞こえた」
「声?」
「言ったでしょ、最近、”声が聞こえる”って」
超能力(ちょうのうりょく)じゃない、それ」
 
 私たちは、半分ふざけていた。
 でも、半分は本気だった。

 フェリーが近寄(ちかよ)ってきた。
 私が(だき)き上げると、
「よけいなことには関わらない方がいい」
 と猫はつぶやいた。
 なんか、その言いかた、むかつく。
「フェリー、これはあなたのビジネスじゃない」
「誰かを救うとか、(たの)むから考えないでくれよ。そういう()い主は、ご飯用意、忘れがち」
「なによ、過去に同じこと、経験があるみたいじゃない」
 私は、じとっとフェリーの(ひとみ)をのぞき()んだ。
「……」
 眠いのか、攻撃的なのか、よくわからない猫瞳(キャットアイ)

「ナナー、ひとつ、頼みがあるんだけど、いいかな」
 とリリー。
「もちろん。リリーのためならなんでもするよ」
 彼女は、一瞬(いっしゅん)、せきばらいして、ツバを飲み込んでから、一言、強く言い切った。
復讐(ふくしゅう)、手伝って」

 キッチンタイマーがのどかな音で鳴り、私はそれを止めて、(なべ)のゆであがったパスタを大ざるに移す。
 湯気(ゆげ)が立ちこめる。
 私は急に、食欲が消えた。
 さっきのセリフ、やはり「なんでも」じゃなくて、「音楽関係ならなんでも」と言っておくべきだった。
 しかし、もう遅い。

 私の頭の中には、農夫(のうふ)が使うフォークみたいな形の道具がイメージされた。
 干し草を運ぶときなどに使う道具。
 正式名称はピッチフォークだよね。
 先がキラリと(とが)ったやつ。
 リリーのためなら、私は、私を止められないかもしれない。
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