第16話
文字数 4,300文字
横に広いの階段がぎっぎっと軋んている音が聞こえて、振り向いた。ユキの綺麗な黒い髪がちらっと見え始める。
「あー、いた! どこいたの?」
「ちょっと、薫と条件つきの交渉してた」
そう言いつつ、ユキはアサと目も合わさずに部屋の中に入った。ユキの顔は一人でいるときの顔だった。アサがいるのに。その様子に心の中でほんのちょっと首をかしげながら、もう荷物を置いた部屋へと入る。
「はあー、畳の匂いがする!」
ユキが部屋の中で大きく深呼吸をしている。部屋は夜になったら布団が敷かれる八畳ぐらいの間と、小さなイスが二つだけ置いてある二畳ほどの空間とを障子を隔てて分けられている。テレビも置いてあり、小さな冷蔵庫も置いてある。部屋の壁には押し入れが並んでいて、そこに今は布団がしまわれているはずだ。
ユキはすぐに障子を開けて部屋の窓を開けにかかった。硬くさび付いてきている鍵を何度かガチャガチャとゆすると、窓は変な音を上げながら横に開いた。とたんに磯の香りが鼻をつく。
窓の外をぼんやりといつまでも眺めているユキに近づく。その横にすとんと座って、景色ではなく、ユキの顔をぼんやりと見た。ユキは普段と変わらない顔で窓から見える海と浜辺を見つめている。
「交渉って、どんな?」
「薫、協力してくれるって」
「え、本当?!」
「ただし」
「ただし?」
「あんまり直樹くんうじうじしてたら、あとは知らないって」
「……へえー」
直樹がうじうじしてたら、薫は行動に出るってことかな。
薫が本気で咲姫を落としにいったら、直樹に勝ち目などない気がした。うじうじってどれくらいうじうじしていたらダメなのだろう。
「でも、咲姫ねえは、確かに直樹くんに興味があったもの。だから、大丈夫よ。それに、あたしたちがそこまでしなくても、本当に好きなら絶対平気」
一人、自分に納得させるように言ってから、ユキは立ち上がった。
「……? どこ行くの?」
「何よ、遊びにいかないわけ? ここでの時間なんてあっという間よ」
意気揚々と遊びに行くための準備をし始めたユキは、さっそく巨大なボストンバッグから財布やらなにやら取り出している。
「……うん! 遊び行く! まずどこ行くの?」
「そりゃあ、まず知ってる人に顔見せに行かなくちゃ」
「あ、あそこの駄菓子屋まだあるかなあ? ぼろぼろだったもんねぇー」
さっそくアサも荷物を解きにかかった。カバンの中から、必要なものをどんどん掘り出していく。黄色い大きなボストンバッグの中は、ぐちゃぐちゃになったけれど、かまわずかき回して必要なものをサブバッグに詰めていく。ちょうちょの刺繍があるこの小さなピンクのカバンは、島でしか使わないことにしている特別なものだ。
「あ、ちょっとアサ! 何でもかんでも出しちゃだめ! 部屋が汚れる!」
「いいよー。ちゃんと後でアサが片付けるから!」
大きな白い袋を取り出して、畳みの上におく。確か、これが下着を入れた袋。
「いっつもそう言って片付けるのは誰よ?」
「……ユキかな。でも! いつもはユキだけど、今回はちゃんと片付けるよ」
洋服を入れた袋や、お風呂に使う道具をボストンバッグから次々と取り出す。じゃないと、ものが重なって探し物が見つからないのだ。
「ったくもう」
呆れるような声を出してユキはアサの横で片付け始めた。
「あ、もう準備終わったの?」
「終わった。ほら」
そういって、アサとおそろいのちょうちょの刺繍がついたカバンを持ち上げてみせる。
「何でそんな早く終わるのー? 持ってものはほとんど同じなのに」
「整理が上手いからじゃない? あ、ほら、ここに帽子あった」
ユキはボストンバッグの中に手を突っ込んで、ぱっと見くしゃくしゃになってしまっているアサのくすんだ緑の野球帽を引っ張り出した。キラキラしたストーンがついている、お気に入りのやつだ。
「あ! やっと見つけた!」
「え、見つけたのはあたしよ。あと何無いの?」
「あとねえ、財布と……」
次々と移し変えているピンクのカバンの中身を確認する。
「あ、財布だけだ」
「財布ってこれじゃねえの?」
いつの間に入ってきたのか、諒が畳みの上にある財布を拾った。
「ああー! いつの間に?!」
「いや……俺はあんまり遅いからさっき部屋に来たばっかだけど……」
「じゃなくて、財布! アサ、外に出したっけ?」
「ほら、ぽんぽん外に出してばっかだから分かんなくなるのよ。じゃ、行くわよ」
ユキが立ち上がって、それから、とんとんと諒の背中を叩いた。小さく、ファイト、と言っているのが聞こえた気がした。
「……? 今、ユキ、諒にファイトって言った? 何がファイトなの?」
「っな、なんでもねえよ! それよりさ、ここの荘にもう一人、子どもいるんだってさ」
部屋を出て鍵をユキが閉めていると諒がそんなことを言い始めた。
「子どもー? あれ? 良子おばさんそんな小さい子どもいたっけ」
ユキを見ると、ユキも首をかしげている。
「そんな話聞いたことないけど……」
「やっぱり。そうだよねえ」
確か、良子さんの子どもはみんなもう成人して、東京で働きに出ているはずだった。
諒は小さくかぶりを振る。
「や、違う。良子おばさんの子どもじゃなくて、孫。中一だって」
「孫! 良子おばさんも孫ができる年齢なのね」
感心したようにユキが呟いた。そのまま、階段を三人で下りる。
「中一かあ。あ、あれ、良子おばさんだ」
アサの目線の先には良子さんが、一階の階段下にある部屋のドアに向かってしきりに何か話している。暗がりだからあまりよく見えないが、楽しげでないことは明らかだった。
「どったのー?」
アサが小走りに良子さんに向かっていくと、良子さんは困ったように笑った。
「あら、みんなで遊びに行くの? いいわねー」
「うん! まず島のみんなに顔見せに行くんだ」
楽しみでニコニコと笑いながら言うと、後ろからユキが顔を出した。
「……孫の部屋なのかしら?」
「あぁ、もう知ってたのね」
「えっ! 孫の部屋なの?!」
驚いた顔でユキと諒を振り返ったが、二人とももう察していたらしく、ドアをじっと見つめている。
何だよーみんなして。何で孫の部屋だって分かるの。
心の中で小さく口を尖らした。そんなアサを気づいていて放っておいているのか、ユキがすっと目を細くした。
「何かあったんですか?」
「え、ああ、そんな大したことじゃないんだけどねぇ」
恥ずかしそうに良子さんは笑っている。
「いやね、ちょっと難しい子でねえ。学校で何かあったみたいで、それで学校を休みがちになっちゃったみたいなのよ。それで、子どもが頼ってこっちに連れてきて。ほら、自然がいっぱいでしょ、ここの島。だから、リフレッシュになるんじゃないかって。だけどね……」
そこで困ったように良子さんがため息をついた。
三人で顔を見合わせる。それから、代表して、アサがまずノックしてみた。
「ねえー、いるんだよね? 一緒に遊び行こうよっ」
なるべく朗らかな声で話しかけてみたが、部屋からは何の応答もない。
「まずは名乗るべきじゃない?」
次にユキがそう言って、アサとバトンタッチする。
「あたし、有姫。今さっき話したのが安沙奈よ。二人とも高一で本土から遊びに来てるの。それから、中三の男子の諒もいるわ。ねえ、これから商店街の方に行くんだけど、一緒に行かない?」
これには、確かに反応があった。部屋の奥から、がさっと誰かが動く音がした。
「……諒? 諒って宇波諒? サッカー部の宇波先輩?」
「ええ?! 諒ってサッカー部だったの?!」
びっくりして諒を振り返る。諒も諒で驚いているようで、「同じ学校なのか?!」と目を見開いている。
「そう、宇波諒だけど……?」
慎重にユキが言葉を選ぶと、カチャっと小さな音がしてドアが本の少し開いた。みんな息を呑んだ。
ドアの隙間から見えたその顔は、アサがびっくりするほど白かった。ただの色が白いとか、そういうものではない。一度も日に当たったことが無いような、そんな気持ち悪い白さだった。ここが暗がりだから、余計そう見えるのかもしれない。薄っぺらそうな白い皮膚に、大きすぎるぐらいの目がぎょろっとくっついている。目が隠れてしまいそうなくらい長くてさらさらとした前髪が、余計暗い印象をづけている。
孫から目が離せないまま、アサは諒を小突いた。
「ねえ、諒の知ってる子?」
「いや……俺は知らない。サッカー部にはいねえ」
ぎょろっとした目で孫はしばらく諒、アサ、ユキを順々に見渡していたが、しばらくして、はっと笑った。嫌な、笑い方だった。人を馬鹿にしたような、唇がひん曲がったように見えた。
「宇波先輩、先輩が誰に告白されても断ってる理由ってこれだったんですね」
「……は?」
アサの間抜けな声が空にポンと浮いた。開いた口が閉じないまま諒を慌てて見ると、諒もぽかんとした顔をしている。そして、次第に耳が赤くなっていった。
「てめぇ……!」
「夏休みにサッカーの部活の練習にも出ないで、こんな女の子たちと遊んでるなんて、僕、びっくりですよ。よくそれでレギュラーから外れませんね。もしかして何かやってるんですか? それに、こんな女好きとも知らなかったです」
「こら、颯!」
「ふざけんなあ!」
良子さんが怒る声と、アサが怒鳴る声が重なった。すぐにばたんっと大きな音をたてて、ドアは閉まった。
諒に驚いたように見られているのを感じたが、アサはそれどころじゃなかった。自分の心の中の怒りに収拾がつかなくなっている。
ユキだけがそんなアサの心の中が見えているのか、とんとんとアサの肩を叩いた。
「落ち着きなさい、アサ。ごめんなさい、良子おばさん。またトライしてみるってことでいいかしら?」
「え? ええ、もちろん。ごめんなさいね、嫌な気分にしちゃって」
「大丈夫。じゃ、行くわよ、諒」
「お、おう」
ユキに背中を押されるようにしながら、玄関へと向かう。一歩一歩怒りを押し込めながら前へと進む。自然と唇を噛み締めた。
許せない。嫌だ、こんなの。どうしてアサが大好きな諒があんなやつに馬鹿にされなきゃならないのっ。
それに、馬鹿にされた原因が、自分にあるということも、悔しかった。
「アサ、あたしが何か考えとくから。アサは怒っちゃだめ」
ユキに優しくそう言われて、ほんのちょっとの気休めになる。小さくこっくりと頷いた。
持って来ておいたビーチサンダルを足につっかけて、玄関の外に出た。じっとりとした磯の空気を海風が吹き飛ばしていく。アサの怒りで暑くなった体よりもはるかに暑い太陽の光が、アスファルトをじりじりと照り返していた。
「あー、いた! どこいたの?」
「ちょっと、薫と条件つきの交渉してた」
そう言いつつ、ユキはアサと目も合わさずに部屋の中に入った。ユキの顔は一人でいるときの顔だった。アサがいるのに。その様子に心の中でほんのちょっと首をかしげながら、もう荷物を置いた部屋へと入る。
「はあー、畳の匂いがする!」
ユキが部屋の中で大きく深呼吸をしている。部屋は夜になったら布団が敷かれる八畳ぐらいの間と、小さなイスが二つだけ置いてある二畳ほどの空間とを障子を隔てて分けられている。テレビも置いてあり、小さな冷蔵庫も置いてある。部屋の壁には押し入れが並んでいて、そこに今は布団がしまわれているはずだ。
ユキはすぐに障子を開けて部屋の窓を開けにかかった。硬くさび付いてきている鍵を何度かガチャガチャとゆすると、窓は変な音を上げながら横に開いた。とたんに磯の香りが鼻をつく。
窓の外をぼんやりといつまでも眺めているユキに近づく。その横にすとんと座って、景色ではなく、ユキの顔をぼんやりと見た。ユキは普段と変わらない顔で窓から見える海と浜辺を見つめている。
「交渉って、どんな?」
「薫、協力してくれるって」
「え、本当?!」
「ただし」
「ただし?」
「あんまり直樹くんうじうじしてたら、あとは知らないって」
「……へえー」
直樹がうじうじしてたら、薫は行動に出るってことかな。
薫が本気で咲姫を落としにいったら、直樹に勝ち目などない気がした。うじうじってどれくらいうじうじしていたらダメなのだろう。
「でも、咲姫ねえは、確かに直樹くんに興味があったもの。だから、大丈夫よ。それに、あたしたちがそこまでしなくても、本当に好きなら絶対平気」
一人、自分に納得させるように言ってから、ユキは立ち上がった。
「……? どこ行くの?」
「何よ、遊びにいかないわけ? ここでの時間なんてあっという間よ」
意気揚々と遊びに行くための準備をし始めたユキは、さっそく巨大なボストンバッグから財布やらなにやら取り出している。
「……うん! 遊び行く! まずどこ行くの?」
「そりゃあ、まず知ってる人に顔見せに行かなくちゃ」
「あ、あそこの駄菓子屋まだあるかなあ? ぼろぼろだったもんねぇー」
さっそくアサも荷物を解きにかかった。カバンの中から、必要なものをどんどん掘り出していく。黄色い大きなボストンバッグの中は、ぐちゃぐちゃになったけれど、かまわずかき回して必要なものをサブバッグに詰めていく。ちょうちょの刺繍があるこの小さなピンクのカバンは、島でしか使わないことにしている特別なものだ。
「あ、ちょっとアサ! 何でもかんでも出しちゃだめ! 部屋が汚れる!」
「いいよー。ちゃんと後でアサが片付けるから!」
大きな白い袋を取り出して、畳みの上におく。確か、これが下着を入れた袋。
「いっつもそう言って片付けるのは誰よ?」
「……ユキかな。でも! いつもはユキだけど、今回はちゃんと片付けるよ」
洋服を入れた袋や、お風呂に使う道具をボストンバッグから次々と取り出す。じゃないと、ものが重なって探し物が見つからないのだ。
「ったくもう」
呆れるような声を出してユキはアサの横で片付け始めた。
「あ、もう準備終わったの?」
「終わった。ほら」
そういって、アサとおそろいのちょうちょの刺繍がついたカバンを持ち上げてみせる。
「何でそんな早く終わるのー? 持ってものはほとんど同じなのに」
「整理が上手いからじゃない? あ、ほら、ここに帽子あった」
ユキはボストンバッグの中に手を突っ込んで、ぱっと見くしゃくしゃになってしまっているアサのくすんだ緑の野球帽を引っ張り出した。キラキラしたストーンがついている、お気に入りのやつだ。
「あ! やっと見つけた!」
「え、見つけたのはあたしよ。あと何無いの?」
「あとねえ、財布と……」
次々と移し変えているピンクのカバンの中身を確認する。
「あ、財布だけだ」
「財布ってこれじゃねえの?」
いつの間に入ってきたのか、諒が畳みの上にある財布を拾った。
「ああー! いつの間に?!」
「いや……俺はあんまり遅いからさっき部屋に来たばっかだけど……」
「じゃなくて、財布! アサ、外に出したっけ?」
「ほら、ぽんぽん外に出してばっかだから分かんなくなるのよ。じゃ、行くわよ」
ユキが立ち上がって、それから、とんとんと諒の背中を叩いた。小さく、ファイト、と言っているのが聞こえた気がした。
「……? 今、ユキ、諒にファイトって言った? 何がファイトなの?」
「っな、なんでもねえよ! それよりさ、ここの荘にもう一人、子どもいるんだってさ」
部屋を出て鍵をユキが閉めていると諒がそんなことを言い始めた。
「子どもー? あれ? 良子おばさんそんな小さい子どもいたっけ」
ユキを見ると、ユキも首をかしげている。
「そんな話聞いたことないけど……」
「やっぱり。そうだよねえ」
確か、良子さんの子どもはみんなもう成人して、東京で働きに出ているはずだった。
諒は小さくかぶりを振る。
「や、違う。良子おばさんの子どもじゃなくて、孫。中一だって」
「孫! 良子おばさんも孫ができる年齢なのね」
感心したようにユキが呟いた。そのまま、階段を三人で下りる。
「中一かあ。あ、あれ、良子おばさんだ」
アサの目線の先には良子さんが、一階の階段下にある部屋のドアに向かってしきりに何か話している。暗がりだからあまりよく見えないが、楽しげでないことは明らかだった。
「どったのー?」
アサが小走りに良子さんに向かっていくと、良子さんは困ったように笑った。
「あら、みんなで遊びに行くの? いいわねー」
「うん! まず島のみんなに顔見せに行くんだ」
楽しみでニコニコと笑いながら言うと、後ろからユキが顔を出した。
「……孫の部屋なのかしら?」
「あぁ、もう知ってたのね」
「えっ! 孫の部屋なの?!」
驚いた顔でユキと諒を振り返ったが、二人とももう察していたらしく、ドアをじっと見つめている。
何だよーみんなして。何で孫の部屋だって分かるの。
心の中で小さく口を尖らした。そんなアサを気づいていて放っておいているのか、ユキがすっと目を細くした。
「何かあったんですか?」
「え、ああ、そんな大したことじゃないんだけどねぇ」
恥ずかしそうに良子さんは笑っている。
「いやね、ちょっと難しい子でねえ。学校で何かあったみたいで、それで学校を休みがちになっちゃったみたいなのよ。それで、子どもが頼ってこっちに連れてきて。ほら、自然がいっぱいでしょ、ここの島。だから、リフレッシュになるんじゃないかって。だけどね……」
そこで困ったように良子さんがため息をついた。
三人で顔を見合わせる。それから、代表して、アサがまずノックしてみた。
「ねえー、いるんだよね? 一緒に遊び行こうよっ」
なるべく朗らかな声で話しかけてみたが、部屋からは何の応答もない。
「まずは名乗るべきじゃない?」
次にユキがそう言って、アサとバトンタッチする。
「あたし、有姫。今さっき話したのが安沙奈よ。二人とも高一で本土から遊びに来てるの。それから、中三の男子の諒もいるわ。ねえ、これから商店街の方に行くんだけど、一緒に行かない?」
これには、確かに反応があった。部屋の奥から、がさっと誰かが動く音がした。
「……諒? 諒って宇波諒? サッカー部の宇波先輩?」
「ええ?! 諒ってサッカー部だったの?!」
びっくりして諒を振り返る。諒も諒で驚いているようで、「同じ学校なのか?!」と目を見開いている。
「そう、宇波諒だけど……?」
慎重にユキが言葉を選ぶと、カチャっと小さな音がしてドアが本の少し開いた。みんな息を呑んだ。
ドアの隙間から見えたその顔は、アサがびっくりするほど白かった。ただの色が白いとか、そういうものではない。一度も日に当たったことが無いような、そんな気持ち悪い白さだった。ここが暗がりだから、余計そう見えるのかもしれない。薄っぺらそうな白い皮膚に、大きすぎるぐらいの目がぎょろっとくっついている。目が隠れてしまいそうなくらい長くてさらさらとした前髪が、余計暗い印象をづけている。
孫から目が離せないまま、アサは諒を小突いた。
「ねえ、諒の知ってる子?」
「いや……俺は知らない。サッカー部にはいねえ」
ぎょろっとした目で孫はしばらく諒、アサ、ユキを順々に見渡していたが、しばらくして、はっと笑った。嫌な、笑い方だった。人を馬鹿にしたような、唇がひん曲がったように見えた。
「宇波先輩、先輩が誰に告白されても断ってる理由ってこれだったんですね」
「……は?」
アサの間抜けな声が空にポンと浮いた。開いた口が閉じないまま諒を慌てて見ると、諒もぽかんとした顔をしている。そして、次第に耳が赤くなっていった。
「てめぇ……!」
「夏休みにサッカーの部活の練習にも出ないで、こんな女の子たちと遊んでるなんて、僕、びっくりですよ。よくそれでレギュラーから外れませんね。もしかして何かやってるんですか? それに、こんな女好きとも知らなかったです」
「こら、颯!」
「ふざけんなあ!」
良子さんが怒る声と、アサが怒鳴る声が重なった。すぐにばたんっと大きな音をたてて、ドアは閉まった。
諒に驚いたように見られているのを感じたが、アサはそれどころじゃなかった。自分の心の中の怒りに収拾がつかなくなっている。
ユキだけがそんなアサの心の中が見えているのか、とんとんとアサの肩を叩いた。
「落ち着きなさい、アサ。ごめんなさい、良子おばさん。またトライしてみるってことでいいかしら?」
「え? ええ、もちろん。ごめんなさいね、嫌な気分にしちゃって」
「大丈夫。じゃ、行くわよ、諒」
「お、おう」
ユキに背中を押されるようにしながら、玄関へと向かう。一歩一歩怒りを押し込めながら前へと進む。自然と唇を噛み締めた。
許せない。嫌だ、こんなの。どうしてアサが大好きな諒があんなやつに馬鹿にされなきゃならないのっ。
それに、馬鹿にされた原因が、自分にあるということも、悔しかった。
「アサ、あたしが何か考えとくから。アサは怒っちゃだめ」
ユキに優しくそう言われて、ほんのちょっとの気休めになる。小さくこっくりと頷いた。
持って来ておいたビーチサンダルを足につっかけて、玄関の外に出た。じっとりとした磯の空気を海風が吹き飛ばしていく。アサの怒りで暑くなった体よりもはるかに暑い太陽の光が、アスファルトをじりじりと照り返していた。