第23話 兄嫁と甥っ子
文字数 1,855文字
「テニスやらないの?」と
「刑事が来てんだぞ。アタシは重要参考人なんだ、テニスなんかやってられっかよ!」
機嫌をそこねた
「お父さんが迎えに来たら、一緒に本家、行こ!」と凛は秀一に腕を絡めてきた。
「あまり時間がないんだ。ガンちゃんに呼ばれて来ただけだから、昼には帰るんだよ」と秀一が言うと凛は怒った顔で、秀一の腕を乱暴に放した。
「ラケット貸すからテニスしようよ」と秀一は自分のバックを開けた。
「……あたし……テニス、出来ない……」と凛は唇をかむ。
開会式で座り込み、岩田に注意を受けた凛は、もう帰れと怒られた。
更衣室で着替えて、父親に電話で迎えを頼んだら『本家に刑事が来て、刺身の大量注文が入ったから遅れる』と言われたそうだ。
「ガンちゃんには、オレから言っておくよ」と秀一は凛にラケットを手渡した。「オレが前に使っていたヤツだけど、重いかな?」
「タイガースっぽいな」と、凛は黒と黄色のラケットを抱きしめた。
「阪神フアンなの?」と、秀一の後ろから中学生がきいた。
変声期をとっくに過ぎた大人の声だった。
男子校での貴重なソプラノパートだと、音楽教師から喜ばれる自分とは大違いだと秀一は羨んだ。
(……バリトンか、な……)
ラケットを抱えた凛が大きくうなずいた。「お前も、おんなじだな!」と少年のラケットを指す。
少年は、165センチの秀一より頭半分背が高い。耳に銀のピアスをつけていた。
東京の男の子はオシャレだなと、秀一は再び感心した。
「叔父さんは、今、何使ってるんですか?」
突然少年が言い出した。
どこにオジサンがいるのかと、秀一は辺りを見回したが、少年は真っ直ぐ自分を見ている。
(オジサンって、オレのことか!)
かなりショックだ。
(……中学生にとって、高校生はもうオジサンなのか?)
「秀一! サーブ教えて!」と凛はラケットを振り回しながらコートに向かって行った。
オジサンという言葉に動揺しながら、秀一は自分のラケットをバックから取り出す。
「……オレ、今、Vコア使ってる……」
「アエロ、やめちゃったんですか」と言いながら、少年が手を差し出してきた。
貸してという意味なのだろう。
秀一はラケットを渡した。
真っ白な自分が恥ずかしくなるくらい、少年の腕はきれいに日焼けしていた。太さも倍はありそうだ。
少年は秀一のラケットで素振りを始めた。「こっちに変えようかな」と呟き、秀一を見る。「叔父さん、後で試合してくれませんか?」
(わああ! また言ったよ!)
そして気づく。
そうか、自己紹介していなかった自分が悪いのだと。
「……オレ、
少年は不思議そうな顔をした。「知ってますよ」
(えっ! 名前知ってても、オジサンいうの⁈)
秀一は腹に決めた。ここは一つちゃんと注意しないといけない。高校に入って上級生をオジサン呼ばわりして、面倒なことになるのはこの子なのだから。
「……じゃあ、名前で呼んでくれる? オレ、オジサンって、呼ばれたくない……」
秀一が言うと、少年は驚いた顔をして右目の目尻をかいた。うっすらと泣きぼくろがある。
「でも、母さんが……」と、少年はベンチに座る母親をチラリと見た。

(ん? お母さん?)
秀一が顔を向けるとベンチに座る少年の母親がまた頭を下げてきた。
母親は日傘を置いて立ち上がった。サングラスを取り、マスクを取る。そしてまた頭を下げた。
「おい、早く教えろ!」とベースラインから凛が怒鳴ってくるが、秀一の耳には入らなかった。
秀一はふらふらとベンチに近づいた。
女の顔に見覚えがあったが、まさかという気持ちの方が強かった。
秀一が前に立つと、女は両手で口を押さえた。「秀ちゃん、大きくなったね。すごい美人さんになったね」と、泣き笑いのような顔で言う。
秀一の方は驚いて、言葉も出なかった。
(……由美子さんだ……)
女は亡くなった兄の元嫁の由美子だった。
「
(……そうか……あの子、賢人だったんだ……)
秀一は振り返ってコートを見た。
背の高い、目つきの鋭い少年と目があう。
そこには、膝に乗せて絵本を呼んであげたり、トイレに失敗した時パンツを替えてあげた、あの小さかった男の子の面影は全く無かった。